:: Waiter series (n) | ナノ


真冬の空に、ハァと白い息を吹きかける。その息はすぐに冷たい風に攫われ、ただただ虚しさだけが残った。

…もう、死んでしまおうか。

道端に落ちていた小石を蹴りながら、そんなことを考える。そもそも、どうしてこんな考えに至ったのか。…理由なんて、たくさんありすぎて考えるだけで疲れてしまう。

今日は朝から、満員電車で押し潰されながら出勤した。やっとの思いで到着した仕事場でミスをした。お昼に食べようと楽しみにしていたパンが売り切れてた。仕事が終わって早く帰りたかったのに、上司がしつこく飲みに誘ってきてそれに付き合った。そしたらなんか、お尻触られた。意味分かんない。

そんな感じの毎日を、ただ淡々と過ごしている。

仕事にやりがいを感じているわけでもなければ、何か楽しいと思うことがあるわけでもない。何のために生きているのかって聞かれたら、きっと私は困ってしまう。だって、生きている意味なんて特に思いつかないし…。

あ、でも…一つだけ。一つだけ思いついた。

そして思い浮かんだのはあの人の顔。そうだ。どうせ死ぬのなら、死ぬ前にあの人の顔を見てから死のう。最期に、あの人との想い出が欲しい。

そうと決まれば、私の足は自然に前へと進んだ。そして、向かった先にあったもの。そこは…「Cafe&Ber Le pin」。

少し重みのある扉を押せば、カランカランと聞こえてきたベルの音。そして私は、薄暗い店内に一歩足を踏み入れた。

…おかしい、な。いつもこの時間帯だったらお店はお客さんで溢れているのに、今日はお客さんどころか店員さんの姿も見当たらない。もしかして今日、お休みだったとか…?
そう思って慌てて扉を開けて確かめれば、扉の目線の高さのところに「close」と書かれたボードがかかっていた。

「…ツイてない」

神様は意地悪だ。今から死のうっていう人間に、最期くらい良い思いをさせてくれてもいいじゃない。…せっかく、逢いに来たのに。

でも、お店が閉まっているのなら仕方がない。ハァ、とため息を吐きながら、私は元来た道を戻ろうとした。だけど、ちょうどそのとき…。

「ん?名前じゃん」
「あ…おそ松くん」

目の前に現れたのは、私が逢いたいと思っていた人。このお店の店長である、松野おそ松くんだった。

「ありゃりゃ。ごめんね。定休日でもないのに店閉めちゃって。驚いたっしょ?」
「うん…。どうして、今日はお休みにしたの?」
「それが聞いてよ〜6つ子全員で風邪引いちゃって」
「え!?だ、大丈夫…?」
「うん。もう治ったから。それにしても、6つ子だからって同じタイミングで風邪引くとかなくない?」
「…ふふっ。6つ子って不思議だね」

このお店には、おそ松くん以外に5人のスタッフがいる。それが、おそ松くんがいま話している人たちだ。

そう。この店は、おそ松くんたち6つ子が経営しているお店。最初ここを訪れたときは驚いたけど、見慣れてしまえば誰が誰なのかちゃんと分かる。…ときどき、間違えちゃうんだけどね。

「…あのさ、これから時間ある?」
「え…う、うん。もともとお店に寄るつもりだったし」
「それもそうだよな。じゃあ、寄ってって」
「え…!?」

グイッと、カバンを持っていない手の方をおそ松くんに引かれた。その手は私の手よりも温かくて、その温もりになぜか泣きそうになった。

そしてまた、私は店内へと足を踏み入れる。そのままおそ松くんは私をバーカウンターへ導くと、そこで手を離した。

「適当に座って。あ、コート預かるよ」
「ありがとう…」
「さてと、今日は特別大サービスで俺の奢りだよ。名前の好きなもの頼んで」
「っ…!?いいの?」
「いいのいいの。名前は特別」

そう言っておそ松くんは、ニシシッと笑いながら私の頭を撫でてくれた。ああ、やっぱりここに来て良かった。…最期に、素敵な想い出ができた。

「…じゃあ、キールをお願いします」
「ん。りょーかい」

キールとは、白ワインにカシスを混ぜたカクテル。このお店に初めて訪れたときにおそ松くんが作ってくれたもので、とても綺麗な赤い色をしていたのを覚えている。

そして目の前でお酒を作り始めたおそ松くんを、私はジッと見つめた。だって、これが最期なんだもの。ちゃんと目に焼き付けておかなくちゃ勿体ない。
…それにしても、おそ松くんってやっぱりかっこいいな。他の兄弟たちもかっこいいと思うけど、なんというか、おそ松くんだけは私の中で特別な存在なのだ。

からかうようにして笑う顔も、照れ隠しに鼻の下を擦る癖も、適当にしていると思わせながらもちゃんと周りを見ているところとか…私は、全部好き。

…好きだなぁ。

「…そんなに見られてると俺、照れちゃうよ」
「っ…!ご、ごめんなさい」
「謝ることなんてないよ。…俺に見惚れちゃった?」
「そ、それは…!!」
「へへっ、名前の顔真っ赤。図星だ」
「っ〜…」

熱くなった顔を隠そうと、私は手の平で顔を覆う。そしてその指の隙間からチラリとおそ松くんを見れば、彼は悪戯っ子のような笑みを私に向けた。

「…おそ松くんは、意地悪だね」
「んなことないって。はい、これあげるから機嫌治して」
「わぁ…!」

コトリ、とカウンターに置かれたのは、私が頼んだキールだった。そして私は、キールが注がれたシャンパン・グラスを手に取り、そっと口付ける。

「美味しい…」
「でしょ?俺も飲もっと」

いつの間にか自分の分も用意していたおそ松くんは、「乾杯しよっ」と言って私のグラスと自分のグラスをカチンと鳴らした。

「ん〜…美味いっ!」
「風邪引いていたのに、大丈夫なの?」
「いいの。それに、これは名前と二人で楽しみたいし」
「おそ松くん、お酒好きだもんね」
「…違うよ〜。相変わらず、名前は鈍いんだから」
「え?」
「キールのカクテル言葉、知ってる?」

キールのカクテル言葉…?カクテル言葉ってあれだよね。花言葉みたいに、それぞれのカクテルに込められた意味みたいなやつ。

そんなの、お酒に関して素人の私に聞いても分かるわけない。

「んー…赤いから、情熱、とか?」
「ぶっぶー」
「じゃあ、勇気かな?」
「それも違いまーす」
「…分かんないよ」
「普通、赤って言ったら愛じゃん」
「えっ!?」
「ま、それも違うんだけど」

な、なんだ…ちょっとでも期待しちゃった自分がバカみたい。おそ松くんみたいにモテる人が、私なんかにそんなカクテルを作ってくれるわけがないのに。

でも、本当に分からない…。赤って聞いて連想するのはあとはポストとか信号とかだもん。んー…降参。

「本当に分かんないの?」
「分かりません。降参します」

指で小さくバッテンを作って、私は降参する。その瞬間、おそ松くんがニヤリと笑った気がした。

「一回しか教えてやんないから、ちゃんと聞いてろよ」
「うん」
「キールのカクテル言葉は…」

そう言いながら、おそ松くんはスッと腕を伸ばしてその手の平で私の頬を包む。そしてそれとは反対の方に顔を寄せ、私の耳元でそっと囁いた。

「キールのカクテル言葉は、『最高のめぐり逢い』。俺、名前に出逢ったときに一目惚れしちゃったんだ」
「っ〜…!」

神様、ごめんなさい。一度でも死のうと思った私のことを、どうか許してください。

あったんだ。私の人生にも、こんなに素晴らしい出来事が。もし、あのままこの店に寄らずに死んでいたら、私はこうしておそ松くんの気持ちを知ることはなかった。その気持ちを知らないままに、勝手に自分の人生を終わらせていた。

…もしかしたら、おそ松くんは死にたがっていた私に神様がくれたプレゼントだったのかもしれない。

「ね、返事は?」
「わ、私も…おそ松くんが好きです」
「…へへっ。良かったぁ〜…。すっげー緊張した」
「うそっ!余裕そうだったのに!」
「あのねぇ…俺だって、好きな子に告白するのは緊張するの!あー…あつくなってきた。また熱出たかも」
「えぇっ!?」
「というわけで、可愛い彼女ちゃんに看病してもらおうかな」
「もう…」

20160126 title by 檸檬を齧って眠る

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