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真っ白なキャンパスに、青色の絵具を満遍なく塗りたくったような真っ青な空。その綺麗さあまりに思わず背を向けたくなるような青空を見上げながら、私は寒さに震える身体を慰めようと首に巻いたマフラーに顔をうずめた。

そんな私を見て彼は、「寒いですね」といつものように唇で柔らかな弧を描いて微笑んだ。だから私も、「寒いね」と言って、彼に精一杯の笑顔を向ける。その瞬間に、目尻から零れたのは一筋の涙。その涙は、私が彼にみせた最後の本音。

そして、心の叫びだった。

まだ春の息吹を感じることができず、それでも、厳しい冬の寒さからは抜け出すことができた今日この日。私たちは無事、星月学園を卒業した。

あっという間の、3年間だった。

入学する女子生徒が2人しかしないと聞かされ、不安でいっぱいだった入学式。その不安が、一気に吹き飛んでしまった一樹会長の生徒会長挨拶。そして、星月学園に入学して初めてできた仲間たち。

それが、そのとき生徒会長を務めていた一樹会長。もう一人の女子生徒である月子。そして、颯斗だった。

きっかけは、一樹会長による生徒会メンバーのスカウト。入学式の生徒会長挨拶で、会長が私の名前と月子の名前、そして颯斗の名前を呼んだのだ。あの、自信たっぷりな笑みを向けながら。それはまるで、私たちがこのスカウトを断るわけがないと分かっているようで、あのときのことはいま思い出してもなんだか不思議な感じがしてしまう。

だって、私たちはそれぞれ一度は生徒会に入ることを断ったのに、結局はこの3年間を生徒会のメンバーとして過ごしたのだから。

月子と颯斗は部活動を理由に、そして私は2人しかいない女子生徒のくせに出しゃばっていいものかと感じたのが理由だった。だけど、一樹会長はあのお得意の傲慢さで私たちを説き伏せた。

そのおかげで私は…颯斗に、出逢うことができた。

いつから彼に惹かれていたのかは、分からない。
気づいたら、私は恋に落ちていた。

最初は、表面上の彼しか見ていなかった。柔らかな物腰に、優しい微笑み。気配りが上手で、個性が強すぎる生徒会メンバーの世話をいつも焼いていた。

なんて優しい人なのだろう。

そう、思った。だけど、その印象はあっさりと覆されることとなる。それは、たまたま放課後の音楽室前を通りかかったときだった。

聞こえてきたのは、ピアノの音色。それを聞いて抱いた印象は、悲しみだった。

明るい曲調のはずなのに、どうしてこの音色はこんなにも悲しいのだろう。この曲は一体、誰が弾いているのだろう。それが気になって音楽室の扉を開ければ、その先にいたのは颯斗だった。

「っ…はや、と」
「名前さん…!どうしたのですか?驚いた顔をして」

颯斗がそう言ったのだから、そのときの私は驚いた顔をしていたのだろう。

だって、まさか颯斗が弾いているだなんて思いもしなかったから。彼がピアノを弾くことは知っていた。でも彼なら、もっと優しい音色でピアノを弾くと思っていたのに…。

そのときから、かな。颯斗のことを目で追いかける日が多くなったのは。

そして気づいたの。颯斗がいつも、優しい微笑みを浮かべたあとに誰にも気づかれないように顔に影を落としていることに。

どうしてなのか、最初は分からなかった。だけど、一つ気づいてしまうと他にもどんどん気づくことが増えていって…。ついには、私が今まで見ていた颯斗は一体誰だったんだろうと思うところまでいってしまった。

でもそれを本人に聞くのは怖くて。だからといって、他の誰かに相談できるわけもなくて。私にできることと言えば、ただ颯斗の傍に寄り添うことくらいだった。

颯斗が一人残って生徒会室で仕事をしているとき、自分の仕事を急いで終わらせて彼を手伝った。日が沈み彼が、「遅くなってしまうと、危ないですよ」と帰るように促しても、私はそれを断った。
普段の学校生活の中でも、颯斗を見かければ必ず声をかけた。図書館でも、廊下でも、食堂でも。

「どうして、僕にそこまでかまうのですか?」

いきなりそうし始めた私を不思議に思ってか、颯斗は一度だけ私にこう問いかけてきた。

それは、颯斗にとって純粋な疑問だったのか。それとも、私のことをうっとおしく思ったのか。その思いを聞くことはなかったけど、きっと颯斗にとっては彼だけにここまでかまう私が不思議でたまらなかったのだろう。

だから私は言った。

「颯斗を一人にしたくないから」

たったそれだけ。その一言だけだった。

だけどその一言が、颯斗の心を動かしたのだ。それを聞いた彼はいつもの柔らかな物腰が崩れ、辛そうな、苦しそうな表情で眉間に皺を寄せた。

「…やめてください。勘違いしてしまいそうになる」
「勘違い?」
「…貴女なら、ずっと僕の傍にいてくれると」

颯斗のその言葉に、私はこてんと首を傾げてしまった。だって私は、そういうつもりで言ったのだから。

颯斗を一人にしたくないから、ずっと傍にいたいんだよ。と、そういう意味を込めて言ったはずなのに、それがどうして勘違いになってしまうのだろう?

「勘違いじゃないよ」
「え…?」
「ずっと颯斗の傍にいたい。だから、こうやってかまうんだよ」
「それはつまり、僕のことが好きということですか…?」
「…そう、だね。……そっか。私、颯斗のこと好きだったんだ」

颯斗に言われて、初めてその気持ちに気づいた。私は颯斗のことが好きだから、彼を一人にしたくなかったのだと。

颯斗のことが好きだから、一人で顔に影を落とす彼を見ていられなかった。悲しい音色でピアノを弾く彼を、ほっておけなかった。…彼のことを、私が守りたいって思った。

そう、颯斗に伝えた。そうすれば彼は最初、きょとんとした顔を浮かべる。だけど次の瞬間にはその顔で不器用な笑顔を見せてくれた。そんな颯斗の笑顔を見たのは初めてで、心臓が大きく上下したのを今でも覚えている。

「っ……。ふふっ、名前さんは変な人ですね」
「変な人!?」
「…だけど僕は、貴方のそういうところが好きです」
「っ!」
「……僕は、自分の弱さを認めたくない人間です…。だけど、名前さんに守ってもらうのは不思議と嫌じゃないんです」
「それは、つまり…?」
「だから、ずっと僕の傍で僕を守ってください。僕も、ずっと名前さんの傍で貴女を守りたいから…」

それが、私の、そして颯斗の告白だった。その日から、お互いが傍にいない日なんてなかったのかもしれない。

朝の登校でも、昼休みの食堂でも、放課後の生徒会室でも、私たちはずっと一緒にいたから。だからきっと、この先もずっと一緒にいられるんだと思ってた。

だけどそれは所詮、子どもだった私が描いた未来。

ずっと先のことを考えずに目の前の幸せだけで満足していた私には、颯斗との別れは受け入れられないものだった。

「ウィーンに、留学…?」
「はい…」

一樹会長から颯斗へ、そして颯斗から翼へと生徒会長の任が引き継がれたその日に、颯斗は私にそう告げた。

星月学園を卒業してからの颯斗の進路を気にしていないわけじゃなかった。だけど、颯斗はそれを決められずに悩んでいるようだったから、私はただ傍で見守るという選択肢を選んだ。

その結果が、颯斗のウィーン留学。

どうして、どうしてそんな大切なことを一人で決めてしまったのだろう。どうして私に相談してくれなかったのだろう。ずっと傍にいるって、約束したのに。

…もし私が、見守るだけじゃなくもっと積極的に颯斗に進路のことを聞いていたら。そしたら、この別れは突然じゃなかったかもしれない。それなのに、それなのに、私は…。

「さよなら、しなくちゃダメなの…?」
「いいえ。僕は、名前さんを手離すつもりはありません」
「え…?」
「名前さんとずっと一緒にいるためにも、僕はあえて自分が逃げてきた道を進みたいのです」

そう言った颯斗の朱色の瞳が、キラリと輝いた。それは強い意志の込められた瞳で、颯斗がどれほど悩んでこの道を選んだのか物語っていた。

「だから、名前さんには僕のことを待っていてもらいたいのです」
「っ…!待っていていいの…?」
「はい。必ず、貴女の元へ帰ってくると約束します」
「…じゃあ、私は日本(ここ)から颯斗のことを応援してる。逢えなくても、心だけはずっと傍にいるから」
「ありがとうございます…」

そして颯斗は、柔らかいキスを私にくれた。唇と唇が触れ合うだけの、そんな柔らかいキス。その唇が離れると彼は私の耳元で、「好きです。僕には、ずっと貴女だけです」と囁いた。

それに私は口で何か答えることはなく、ただ、きつくきつく颯斗のことを抱きしめた。

それから卒業式を迎え、しばらくして颯斗はウィーンへと旅立った。卒業式の日に一度だけ涙を流してしまった私を、最後まで心配しながら。

だから私は颯斗に、「もう泣かない」と約束した。私が次に泣くのは颯斗に再会してからだと、そう言って。そんな私に颯斗は、「寂しいときは、ちゃんと寂しいって言ってもらえた方が嬉しいです」と言った。

「…分かった」
「本当ですか?約束ですよ?」
「うん。ほら、もう飛行機の時間だよ」
「っ…。忘れないでください。僕がいつでも、名前さんのことを想っていると」
「私も、いつでも颯斗のことを想っているよ」

その言葉を最後に、私と颯斗は別れた。それは、いつまで続くか分からない別れ。

颯斗がいつ日本に帰ってくるのか、いつ私のことを迎えにきてくれるのか。それらを明確にした約束は、お互い結ばなかった。だから私は、心を強く持つと決めたの。颯斗が傍にいなくても、一人で彼の帰りを待てるように。

そうやって作り上げた心が、これから私のことを苦しめるとは知らずに。


20151129 presentation by "kiss hug kiss"

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