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秋に揺れる秋桜の花は、どこか儚げで危うい。そう思ってしまうのは、あの花びらが風によって呆気なく攫われてしまうからだろうか。

だが、俺は秋桜を見るたびに思い出す。
名前がくれた、優しさを。名前の笑顔を。

なぜなら、秋桜のあの色はあいつの優しさの色そのものだから。

俺の気持ちを誰よりも分かってくれて、そして俺の弱さを誰よりも理解してくれる名前。だからこそ俺は、あいつの優しさに溺れてしまった。

ぶくぶく、ぶくぶくと。まるで羊水に沈んでいくかのように、温かくて居心地の良いそこで眠りについていた。眠って、自分にとって不都合なものには目を向けないようにして過ごしていた。

だが、そのせいで俺は名前のことを失ってしまった。

俺があいつの強さばかりに甘えていて、あいつの弱さを見ようとしなかったせいで。そうしてあいつのことを失ったとき、俺に残されていたのは絶望しかなかった。

そのまま、その絶望に沈んでしまえば良かったのかもしれない。そうすれば、俺はもうあいつの負担になることはなかったのだから。だが、俺はそこで足掻いた。その絶望に沈んでしまっていたら、もうあいつは手に入らないと思ったから。

だから、俺は名前を手に入れるために足掻いた。足掻いて、足掻いて。その苦しさに息ができなくなってしまうかと思った。だが、そうやって足掻くことが俺には必要だった。そうやって足掻いて、強くなることが必要だったんだ。

名前を支えられる強さが。名前の弱さを受け入れられる強さが。

そして俺は、名前のことを見つけ出した。
日本で一番、星が綺麗に見える島で。

再会した俺たちは、お互いにもう離さないと誓い合った。

ずっとずっと、歪な関係を続けていた俺たち。その歪な関係は、終わりを告げた。そして始めた、お互いに支え合う関係。その関係が続き、そしてついに俺たちはー…。

「…ずき、一樹」
「ん?あ、ああ…どうした?」
「今の信号のとこ、右よ?」
「げっ、ミスったな…」
「もう。どうしたの?ぼーっとして」
「悪い。少し考え事をしていた」

そうだ。俺は今、家に戻るために車を運転している最中だった。それなのに、こうしていろいろ考え込んでしまったのは名前の腕の中で眠る存在があったからだろう。

まるで天使のような寝顔で眠る、その存在。その存在があったから、俺はこうして今までの自分のことを振り返っていたんだ。今までの自分から、変われるように。この子の父親として、やっていけるように。

「もう。パパは頼りないね」
「うっ…そう言うのは卑怯だぞ」
「でも、ママはそんなパパが好きよ」
「っ…!」

今のは、ずるい。やっと父親になる覚悟が出来始めたのに、すぐに名前だけの俺に戻ってしまった。

「…それより、叔父さんに遅れるって連絡しておいてくれ」
「はーい。宗次郎さんはもう家に?」
「ああ。誉と桜士郎も待ってるらしい」
「ふふっ。早くこの子に会ってもらいたい」
「…そうだな」

そう。今日は、名前と俺たちの子が病院を退院する日であり、そして叔父さんたちに子どもを会わせる日だ。

叔父さんたちを病院に連れて行っても良かったんだが、それだと絶対に騒がしくなっちまうからな。だから、叔父さんたちには今日まで待ってもらった。子どもの様子を毎日のように電話で聞いてくるのは、少し鬱陶しかったが。

だけどまぁ、やっと会わせることができるんだ。
早く、みんなにこの子を会わせたい。

それから、少し遅れて家に戻ってきた俺たち。当たり前と言ったら当たり前だが、俺も名前も少し緊張していた。

「…行くか」
「うん」

可愛い我が子は、生まれたばかりなのに俺たちの心情を察してくれたのか、スヤスヤと眠り続けている。

その寝顔を見て、緊張で震えていた手が少し落ち着いた。そして俺は、家のドアに手をかける。ゴクリ、と生唾を飲み込みながら開いたドアの先には、満面の笑みを浮かべる叔父さんたちがいた。

「「「三人とも、おかえり」」」

そう言って満面の笑みを浮かべながらも、三人の視線は名前の腕にいる子どもに釘付けだった。

「ただいま…って言いたいとこだが、家に入れてくれないか?」
「ふふっ、そうだね。このままじゃ落ち着いて話すこともできないし」
「おっと、ごめんな。つい浮かれちまって」

こうして出迎えてくれたのは嬉しいが、子どもに目を奪われたまま突っ立っているのは困る。名前も子どもも、まだ退院したばかりで本調子じゃないからな。

そしてリビングへ向かった俺たちは、この日のために用意しておいたベビーベッドに子どもを寝かせた。

「名前も一樹もお疲れさま」
「ありがとう、誉」

誉が俺と名前を労わってくれているというのに、叔父さんと桜士郎はベビーベッドの傍から離れようとしない。…むさ苦しいおっさん二人に囲まれて、我が子が少し可哀想になったのは内緒だ。

そして二人は、思い思いに子どもへ語り掛ける。

「おじいちゃんでちゅよ〜」
「くひひ〜。パパでちゅよ〜」
「おい」

ったく、叔父さんはともかく桜士郎は要注意だな。特に、桜士郎特有の笑い方が子どもに移ったら困る。こんなに可愛い顔してんのに、笑い方がくひひっていうのはないだろ。

なんて、まだ先の話だけどな。こうして子どもを目の前にすると、ついつい未来(さき)のことを考えてしまう。…昔は、未来(さき)のことなんて知りたくなかったのに。
こうして未来(さき)のことを知りたいと思えるようになったのは、子どもの、そして名前のおかげだろう。

そう考えていると、ぐすっと誰かがすすり泣くような声が聞こえた。もしかして子どもがくずり始めたか?と思ったが、相変わらず可愛い寝顔を浮かべて眠っている。…じゃあ、誰が?

「叔父さん…?」
「いやぁ、悪いわるい。年寄りは涙腺が緩くて仕方がねぇや」
「…宗次郎さん、この子のこと抱っこしてほしいな」
「えっ!?俺が…?」
「…そうだな。叔父さんにしてもらいたい」

俺に寄り添うようにして隣に立った名前の肩を、優しく抱き寄せる。そして、二人で叔父さんのことを見つめた。

そんな俺たちを見て、叔父さんは慌てふためく。それでもしばらく見つめていれば、叔父さんは何かを諦めたかのようにため息を吐いた。

「…いいのか?」
「ああ」
「もちろん」

そして叔父さんは、自分の手を恐るおそる子どもに伸ばした。そして、ふにゃりと柔らかいその身体を抱き上げる。

「…ははっ、柔らかいなぁ。ちっこいなぁ」

子どもを腕に抱きかかえて、その頬に自分の頬を摺り寄せる。その瞳からはぽろぽろと涙が零れ落ちていて、止まることなかった。

そんな叔父さんの姿を見て、俺も名前も微笑み合う。だって今、叔父さんは俺たちが感じた幸せと同じ幸せを感じているはずだから。子どもが生まれたときに感じた、あの幸せを。

きっと、この幸せは人生で何遍も味わえるようなものじゃない。数多くの運命が複雑に絡み合い、そうやって生まれるものなんだ。だからこそ、この幸せは何よりも尊い。

「…俺だけがこの幸せを味わってちゃいけないな」
「…じゃあ、誉と桜士郎にもお願いしていい?」
「いいの?」
「待ってましたー!!」

それからは大変だった。桜士郎が鬱陶しいくらいに子どもの写真を撮るは、叔父さんがどこからか取り出した酒を飲み始めて子どもの未来を語り始めるは…。唯一まともな誉は、名前に代わって夕飯の準備を始めて二人のことを抑えられない。

つまり、二人を抑えることができるのは俺一人というわけで…。そうやってわーわー騒いでいりゃあ、大人しく眠っていた我が子も目を覚ましちまった。

「うっ、ひえ、あ、ま゛ーーー!!」
「わわ、大変」

泣き始めた子どもを、慌てて名前が抱き上げる。そうやって子どもを宥めようとしている名前の顔はまさに母親の顔で、俺の心臓がトクンと優しい鼓動を打った。

どうして、だろうな。今になって、名前は本当に俺の妻になったのだと実感したのだ。そして、俺たちの家族がもう一人増えたことも。

名前と結婚したときも、子どもが生まれたときも感じたそれ。何度感じても、その感情に名前を付けることはできない。きっと、これから先も名付けることができないのだろう。それでも、俺はその優しく心地よい感情が好きだった。

そしてこの感情が俺の中で生まれるたびに、俺はー…。

「あれ?パパも泣いてる」
「っ……」
「…一樹は、どうして泣いているの?」
「…しあ、わせで……たまらない、んだ…っ」
「…良かった」
「え…?」
「昔、一樹が流していた涙はどれも辛いものだった。だけど、いまは違う。いま一樹が流している涙は、幸せだから流れるもの…。そうやって変わったのは、きっとこの子のおかげね」
「…この子だけじゃない。お前とこの子がいてくれるから、だ」

まだ子どもだったころの俺は、辛いものばかりに目を向けて幸せを手に入れようとしなかった。

だが、こうして幸せを手に入れて…。いや、違うな。幸せは手に入れるもんじゃない。幸せっていうのは、いつの間にか手の平にあるものだ。それに気づけるか気づけないかで、人の人生ってのは大きく変わる。

…俺は、少し遅れちまったがちゃんと幸せに気づくことができた。

だから、生まれたばかりの我が子にも気づいてほしい。その小さな手の平の中に、大きな幸せがあることを。その幸せは、父親である俺と母親である名前からの最初の贈り物だ。

その贈り物を手に、これからの人生を歩んでほしい。
そしていつかー…。

その手にある幸せを、大切な誰かと共有してより大きなものにしてほしい。俺と名前が、そうしたように。

…俺たちの子どもとして、生まれてきてくれて本当にありがとな。


20151226 presentation by "kiss hug kiss"

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