風光るその先に、儚き白で染められた花びらが揺れる。揺れたその花びらは、一枚、また一枚と風に乗って彼方へと運ばれてゆく。
一体、風に乗ってどこまで行くつもりだろう?
窓から見えるあの山々か、それとも、丘を下って街へ行くのか。
もしかしたら、もっと遠くへ行くのかもしれない。
なぁ、もしまだ行く先が決まっていないのなら、俺の願いを聞いてくれないか?
ある人の元へ、行ってほしいんだ。
俺がずっと探し続けている、春の妖精の元へ。
そして、伝えてほしい。
俺はここにいる、と。ずっとお前のことを探している、と。
名前がいなくなってから、これで三度目の春を迎えた。だが、幾度の季節を過ごそうと、あいつはどこにもいない。
それでも、愛しい思い出に身を委ねればいつでも逢うことができた。あの、桜舞い散る裏庭で。だから俺は、今日もあいつに逢いたくて目を閉じる。
麗かな春の陽気に包まれれば、思い出の中だけでなく夢の中でもあいつに逢うことができる。
そうやって、眠りにつこうとしていたときだった。
ガララララッ、バンッ。
「一樹〜!入学式のことで、少し聞きたいことあるんだけど!」
「…チッ」
生徒会室の扉を乱暴に開けたのは、俺の親友である白銀桜士郎だった。
こいつとは、この学園に入学したときからの腐れ縁で、今となっては親友と呼べる立場の存在だ。だが、今みたいに俺の眠りを妨げることが頻繁にあるため、その関係は見直すべきなんじゃないかと考えている。
俺のそんな考えを桜士郎は微塵も知らずに、「なになに〜?不機嫌全開じゃん!」とやかましく騒ぎながら、生徒会室に入ってきた。
「桜士郎!生徒会室に入るときはノックしろって言ってるだろ!」
「ノックなんて小さい音、一樹が寝てたら聞こえるわけないじゃ〜ん」
ああ言えば、こう言う。とは、まさにこういうことだろう。どうやら、桜士郎は自分に非があることをまったく認めないようだ。
「どうせあれでしょ?また桜を見て春の妖精ちゃんのこと思い出してたんだろ?」
「んだよ、春の妖精ちゃんって…」
「一樹の元カノ」
そう言いながら、桜士郎は生徒会室にある戸棚からマグカップを適当に取り出し、珈琲メーカーに残っていたコーヒーを注いだ。
俺はというと、桜士郎の言葉にカチンときて寝転がっていたソファから起き上がり、生徒会室の物を私物のように扱う桜士郎を睨む。そうしていれば、桜士郎は俺のマグカップにコーヒーを注いで差し出してきた。
「いらねーよ…」
「あり?じゃあ、なんで俺のこと睨んでんの?」
「お前が言ったことのせいだろ…」
俺がそう言うと、桜士郎は「ああ」と手の平に拳をポンッと置いて呟くように言った。
「元カノってやつ?」
「………。」
「だって、一樹がなかなか名前教えてくんないんだも〜ん。だから俺も、妖精ちゃんとか元カノって呼ぶしかないでしょ?」
さっきから、桜士郎が春の妖精ちゃんだの、元カノと呼んでいるのは名前のことだ。
なぜ桜士郎が名前のことを知っているのかといえば、桜士郎を庇った怪我のせいで入院しているときに、話したからだ。俺の持つ星詠みの力のことや、両親のこと。月子たちのことも話したし、名前のことだって話した。
だが、名前のことはあまり詳しく話していない。
その証拠に、桜士郎は名前の名前すら知らないんだ。
名前との思い出は、自分の中だけに残しておきたかったから。だからこそ、あいつの話をしたのは今までで桜士郎だけだし、きっとこの先もそう多くの人には語らないだろう。
だから、桜士郎になんと言われようとあいつの名前を教えるつもりはない。
「もっとこう、別の呼び方があるだろ?」
「えー?例えば?」
「例えば…ほら、こう…例のあの人とか」
「一樹、それ…名前を言ってはいけないあの人みたいだから」
なんだよ、桜士郎のネーミングセンスに比べればマシだろ?お前のはこうなんか、聞くとイライラすんだよ。
俺がそう言っても、桜士郎に聞く気がないのは重々承知している。分かっていたから、俺は喉まで出かかっていた言葉を、無理矢理飲み込んだんだ。
「んで、どうしてお前は生徒会室に来たんだ?」
「ああ、そうそう!忘れるところだった」
「ったく…」
「入学式の流れで聞きたいことがいくつかあってね」
そう言いながら桜士郎が取り出したのは、一枚の紙。そこには、入学式の一連の流れが詳細に記されていた。
新聞部であり、生徒会の広報でもある桜士郎は、こうして行事ごとの写真を撮っては記事にして校内や近隣の高校へ配布してくれる。だからこそ、こうしてちょくちょく俺のところに来ては、打ち合わせをしていた。
こういうとき、桜士郎がいてくれて良かったと思うんだが…。
普段も、これくらい真面目になってくれないものか。
それでも、俺がこいつのことを追いかけていた時期に比べれば、丸くなった方だな。
それは、桜士郎が昔の俺のように荒れていた時期。そのとき俺は、まだ生徒会長に就任したばかりで、自分が学園のために何ができるかと試行錯誤していたときだった。
んで、手始めに教師たちの間で問題児とされていたこいつの更生に、取り掛かったってわけだ。
そのときは、まさかこいつが親友になるとは思わなかったけどな。
…あいつに、教えてやりたい。俺に、親友と呼べる存在ができたことを。きっと、誰よりも喜んでくれるはずだから。
「なに、一樹。また春の妖精ちゃんのこと考えてんの?」
「なんでだよ…」
「一樹がそうやってボーっとしているときは、大抵その子のこと考えてるんだよ」
「証拠は?」
「目が優しくなる」
「っ……」
動揺した俺の表情を見て、桜士郎はニヤリと笑う。まさか、こいつにそんなところを見破られていたとは…。
付き合いが長いせいか、桜士郎はそうやってすぐ俺の考えていることを見破るようになった。それが嬉しいか嬉しくないかと聞かれれば、はっきり言って嬉しくない。なんだか、心が変にザワつくからだ。
だからこそ、俺は誤魔化すようにしてまたずるずるとソファに寝転がって目を閉じた。
「ちょっと一樹〜。まだ聞きたいことあるんだけど」
「知るか。先生に聞け」
「一樹に聞いた方が早いから、聞いてるのに…」
その言葉に俺が無視すると、桜士郎はハァとため息を吐いた。そして、ブツブツと文句を言いながら生徒会室を去ろうとする。
そのまま勝手に出て行けば良かったものの、桜士郎は去り際にこう呟いた。
「あんまり、溜め込みすぎないようにね」
パタン、と今度は静かに扉が閉められる。そしてコツコツと、桜士郎が生徒会室から離れていく足音が聞こえた。
それを確認して、俺はゆっくりと目を開ける。
ったく、余計なこと言い残していきやがって…。お前に言われなくても、それくらい分かってるさ。だが、どうしたって考えてしまうんだ。
名前と過ごした、愛しい日々を。
正直に言えば、俺はその思い出に生かされていると言ってもいいくらいだ。辛いときや悲しいとき、苦しいときにあいつのことを思い出せば、すぐにそれらを忘れることができたから。
桜士郎からしてみれば、いつまでも過去に縋って前に進めずにいる俺が、心配であり、そして滑稽に見えるのだろう。
だが、どうしたって駄目なんだ。
名前のことを忘れるなんて、俺にはできない。
あいつのことを忘れて前に進むなんて、俺にはできないんだ。
だから俺は、こうして前に進むことのできないままに日々を過ごしている。
それが、幸せからより遠ざかることを知りながら…。
side 白銀桜士郎
プブブッと、生徒会室を出た瞬間に、制服のポケットの中にあった携帯が震えた。画面に表示された名前を見れば、俺が荒れていた時期に知り合った女からの電話だった。
普段なら、昔の仲間からの電話には一切出ない。
だが、彼女からの電話となれば話は別だ。
「もしもし?」
「もしもし?桜士郎?」
「うん、俺〜。久しぶりだね」
電話越しに聴こえてくるその声は、出会ったときと何ら変わらぬ綺麗な声。その綺麗な声に、実は彼女は人魚姫じゃないかなんて思ったこともある。
なんて、昔のことは今はどうでもいい。まずは、なぜ彼女が今になって俺に電話をしてきたのか考えなくちゃいけない。
「それで?何かあったの?」
「何かあったってほどじゃないけど…。桜士郎って、星月学園に通ってたよね?」
そういえば、彼女と知り合ってしばらく経ってから、そんな話をしたこともあったっけ?
彼女からのその質問に、俺は「そうだよ」と短く返事をする。そして、「でも一年留年したから、まだ二年生なんだよね〜」とも。俺がそう言えば、彼女は「桜士郎らしい」なんて返してくれた。
「俺らしいって、ひどくない?」
「ふふっ、ごめんなさい」
「まぁいいけど。だけど、どうしてそんなこと聞くの?」
俺がそう質問すれば、彼女から意外な返事が返ってきた。
「私、今度星月学園に転入するの。しかも、桜士郎と同じ学年よ」
「本当に!?」
どうして星月学園なのか、どうして俺と同じ学年なのか。そんな疑問よりも先に、ただ嬉しいという感情が湧き上がってきた。
それに、『どうして』と聞くのはルール違反だ。俺が昔いたあの場所には、誰もが知られたくない秘密を一つや二つ、持っていたから。だからこそ、俺たちの間では『どうして』という質問はしたことがなかった。
まぁ、理由なんてどうでもいいしね。
また彼女と、あのときのように一緒に過ごせるのなら。
それからいくつか言葉を交わし、そして用事があるからと言って彼女は電話を切ろうとした。
「それじゃあ、君がくるのを楽しみにしてるよ」
「ありがとう、桜士郎」
「うん。じゃあね…名前」
電話を切ってから空を見上げれば、裏庭から迷い込んできた一枚の花びら。もしかして君も、彼女がこの学園に来るのを歓迎しているのかい?
俺もだよ。俺も、早く彼女に会いたい。
春の日差しはキラキラと輝いていて、それはまるでこれから先の未来が輝いているようにも見えた。
きっと、良い一年になる。
そう思いながら、俺は職員室へと足を進めた。
20150519 / title by リラン