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もう何度、この道を歩いたのか分からない。

桜の花びらで敷き詰められた薄紅色の絨毯の上や、深緑の葉から零れ落ちる光のスポットライトの下。
散りゆく落ち葉でつくられた色鮮やかなカーテンの元に、儚き白雪で飾られた木々のイルミネーションの傍。

そんな季節の折々を楽しみながら、毎朝この道を歩いていた。
時には一人で、時には大好きな人の隣で。

その道を今、大切な人の隣で歩いている。もうこの関係には昔のような名前はないけれど、それでもこうして、手を繋いで…。

「…3年前と、何も変わらないね」
「そりゃあ、すぐ変わるもんでもないしな」

一樹の言う通り、この道は3年そこらじゃ何も変わらない。それでも、3年という歳月が流れれば人はどこまでも変われる。

私も、一樹も。私は素直な女の子じゃなくなったし、一樹は一匹狼の男の子じゃなくなった。今の私は曖昧なままふわふわとしている女で、一樹は…。一樹は誰からも頼られる男の人になっていた。

「…一樹は、影谷先生と連絡とってたの?」
「まぁ、ぼちぼち…。お前を探すために、とかな」

そう言った一樹は、握っていた手の平の力をキュッと強める。そして、その若草色の瞳を私の方へ向けた。

その目と合ってしまえば、私の心臓に微かな痛みが走る。どうしてか、なんてそんなの考えなくても分かるよ。これは、罪悪感からくる痛みだから。でも、私は一樹には謝らないよ。

謝って許してもらおうなんて、思ってないから。

だから私は、一樹のその言葉に特に何かを返すなどということはせず、黙って彼の手を引いて歩き出す。そうすれば、彼は黙ってついて来てくれた。

「あ…」
「っ!着いたか…」

見慣れた壁沿いの先にある、少し古ぼけた校門。この門を通り抜けて少し歩けば、昇降口はすぐそこに。

あ、懐かしい。この昇降口で、一樹が傘を貸してくれたんだっけ?あの日から、私と一樹の距離が少し近くなったような気がした。ああ、ダメだ。さっきから懐かしい思い出が私の心を揺さぶる。

戻りたい、と思ってしまう。
私が今までで一番幸せだった時間に。

昇降口から校舎内に入り、来客用の下駄箱からスリッパを取り出して靴を入れる。そして、下駄箱の上にあるケースの中から来客と書かれた名札を取って服に付けた。

「そういえば、お前はいつもスリッパで歩いてたな。パタパタ響く音で、お前がどこにいるかすぐ分かった」
「私はそんなのなくても、一樹の場所はすぐ分かったけどね」
「ははっ、そうだな。名前はいつも俺を見つけてくれた」

どうしてだろう。無性に泣きたくなった。やっぱり、私はこの街に帰ってくるべきじゃなかったのかもしれない。

過去は捨てたはずだった。それなのに、一樹と再会してからその捨てたはずの過去を一つずつ拾い上げているような気がする。そして一樹は言った。「過去を切り捨てたなんて言うな。…そんなの、悲しすぎる」と。

私はそれが、悲しいことなんて思わなかった。
だって、私が強くなるにはそれが必要だったから。

じゃあ、過去を取り戻した私はどうなるの?…強くなったと思ったはずの心が、どんどん弱くなっていく。このままじゃ、ひとりで立つこともできないほどに。

「影谷のことだから、理科準備室にいるだろ」
「…そうだね。行こう」

溢れそうになる涙を堪え、私は歩き出す。弱くなった心から、目を背けるように。

そして私たちは、理科準備室の前に辿り着いた。そのまま準備室のドアをノックしようとすると、一樹がそれを遮ってドアを開けた。

「ちょ、一樹!ノックしないと…!」
「おっと、つい癖で」

中学生のころの一樹はノックなんてマナーを知らなかったかもしれないけど、流石に高校生になった一樹はそれをちゃんと知っていた。一応、星月学園の生徒会長だもの。

それなのに、ここに来てちょっと気が緩んでいるんじゃないかしら…。

「おーおー。お前ら、何も変わんねーな」
「影谷先生!」
「よう、影谷」
「ったく、見た目だけは一丁前になりやがって」

そう言って笑った影谷先生は、あまり変わらない。だけど無造作に流れていた髪は、夏だからか少しだけ短くなっていた。

「お久しぶりです、影谷先生」
「…ああ、久しぶり。名字、お前にはたっぷり説教してやらないとな」
「えー」
「不知火と俺がどれだけ心配したと思ってんだよ」
「…ごめんなさい」

ポスン、と影谷先生が持っていた教科書のようなもので頭を叩かれる。でもそれは、あまり痛くないものだった。

そしていつの間にか、一樹は理科準備室の中に入って中学生のころに自分が座っていた椅子に座っていた。それを見た影谷先生は、「とりあえず、中でゆっくり喋るか」と言って私に椅子に座るよう促した。

「お前らがこうして揃うのも、3年ぶりか?」
「そうだな。中3の一学期以来だ」
「もうそんなに経つのかー…俺も老けるわけだな」

ハァーとため息を吐きながら、先生は机に項垂れる。だけどその姿は、3年前と何も変わてないと思った。

「先生は何一つ変わってませんよ」
「そうかぁ?お前は綺麗になったけどな、名字」
「ふふっ。ありがとうございます」

それから私たちは、懐かしい思い出話に花を咲かせた。…ばかだなぁ、私。結局は、こうしているときが一番楽しいんじゃない。

一樹がいて、影谷先生がいて。
戻りたかった時間に、今こうして戻っている。

自分の手で捨てたもののはずだったのに、こうして縋ろうとしている。さっきからずっと、これの繰り返しだ。心が、苦しい。こんな面倒なことを考えずに、今の時間を純粋に楽しむことができたらいいのに。

…今だけは、今だけはこの時間を楽しもう。一瞬で過ぎ去ってしまうこの時間を、精一杯愛しもう。きっと夏が過ぎ去れば、私はまたいつもの私に戻れるから。だから今だけは、私が戻りたかった時間を過ごさせて…。

そして私はある人物を思い浮かべ、その人に心の中で謝った。
ごめん。ごめんねー…「  」。

それからしばらくして、日もすっかり暮れてしまい、どこからか日暮の鳴き声が聞こえてくる。一体、ここに来てどれくらいの時間が経ったんだろう。

「もう夕飯前だな…。そろそろ帰るか?」
「そうだね。宗次郎さんが待ってる」
「もうそんな時間か。それじゃあ、次は冬休みにでも顔見せに来いよ」

そう言って影谷先生は立ち上がると、ガララッと準備室の扉を開いた。そうすれば、廊下側の窓から差し込んでいた夕陽の光が準備室の中にも差し込んできた。

…懐かしい場所にいるからかな。夕陽の光を見ただけで、泣きそうになったのは。そうして零れそうになった涙を、私は二人に隠れてこっそり拭った。

「はいはい。分かってる」
「…先生、さようなら。会えてよかったです」
「…ん」

ポンポン、と私の頭を数回撫でてくれた先生。そして私と一樹は、先生に向かって一度お辞儀をしてから準備室を出た。

二人並んで、オレンジ色に染められた校舎を歩く。
ああ、やっぱり綺麗だなぁ。

星月学園の廊下を歩くときだって、こういう光景をよく目にする。それでも、ここで感じる懐かしさを感じることはない。ああ、ダメだ。さっき拭ったはずの涙がまた溢れてきそう。

その涙が零れそうになった瞬間、「名字!」と影谷先生に名前を呼ばれた。

「…どうしたんだろう?」
「忘れ物とかじゃないか?」
「そうかも。先に行ってて」
「分かった。昇降口で待ってるからな」

一樹にそう言って、私は理科準備室に戻る。そして準備室から出て廊下で待っていた影谷先生は、何かに耐えているかのような苦しそうな表情を浮かべていた。

「…何ですか?」
「……あいつは、元気にしてるか?」
「っ…!」

影谷先生の言うあいつって、もしかして…。そのとき私の顔に思い浮かんだのは、ある一人の人物だった。

そして私は、その質問に対してこくんと首を縦に動かした。

「そうか…。このこと、不知火には?」
「言ってません…」
「…まぁ、知る必要もないわな」

私たちの間に流れる、微妙な空気。その空気はきっと、私たちが一樹に隠し事をしている罪悪感からくるもの。

そう、私は宗次郎さんとだけでなく影谷先生とも一樹には言えない秘密を持っている。そしてお互いにそのことを、一樹に言うつもりはない。それは何も隠そうとしているからじゃなく、言う必要がないと思っているから…。

「…先生、」
「ん?」
「………。」

先生に、何か言わなければ。だけどそれは、ありがとうともごめんなさいとも違う気がする。でも今、私がここでこうしていられるのはー…。

私が、一樹と再会できたのは影谷先生のおかげだから。

「…この先、きっとお前は何もかもから逃げ出したくなるときがくる」
「え…?」
「そのときは、迷わず俺を頼れ」
「っ…」
「じゃあな。…また、顔見せに来いよ」

夕陽に染められた影谷先生の顔が、儚い笑みを浮かべる。それにつられて、私も不器用な笑みを先生に向けた。

そしてこの先、私は今日影谷先生が言った言葉を思い出すときがくる。…それは、何もかもから逃げ出したくなるとき。そのとき、私が取る行動はきっと多くの人を傷つけることになる。

それでも、私にはどうすればいいか分からないから。
何が正しくて何が間違いかも、分からないもの。

…でもきっと、自分が進む道が正しいと言える人はこの世に一人もいないのだろう。そして私も、その一人なんだ。


20150924 title by リラン

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