:: summer | ナノ


久しぶりに、風邪を引いた。いや、むしろ、今まで体調を崩さなかったのが不思議なくらいだ。

昨日、俺にとって大事な裁判があった。その裁判のために、ここ数日徹夜で仕事に取り組んでいた。
徹夜続きで身体には疲れが溜まっていたはずなのに、不思議と気持ちだけは前向きで、当日はいつも以上に調子良く裁判に挑めた。

だがそれは、結局気合だけで挑んでいたにすぎなかった。

無事に裁判が終った瞬間、忘れていた疲れがドッと押し寄せてきて、俺は倒れそうになった。頭には激しい痛みが襲いかかり、視界はぼやけて身体はちゃんと真っ直ぐに立ってられない。喉からは熱いものが込み上げてきて、ゴホゴホと咳き込んでしまった。

そんな俺を見て、職場の仲間が早く自宅に帰るよう進めてくれた。

このままいても仕事らしい仕事もできねーし、他の人に移しちゃ悪いと思い、俺は車を走らせてやっとの思いで自宅に辿り着いた。

それが、昨晩の事だ。

俺の帰りが遅くなると思っていたあいつは、俺が早い時間に帰ってきたことにとても驚いていた。だが、子どもの頃から一緒にいるんだ。あいつはすぐに俺の体調不良に気づいた。

それからのことはよく覚えていない。
気づけば、俺はスウェットに着替えてベットで寝ていたからだ。

「熱い…」

汗でぐっしょりと濡れてしまったスウェット。カラカラに乾いた喉。だけど、それらを気にするよりもまず、あいつが俺の側にいないことの方が気になった。

目だけを動かして部屋を探しても、あいつはどこにもいない。それが分かると、言葉にできない不安の波が押し寄せてきた。

「っ…どこだ……?」

言うことを聞かない身体を無理矢理起こし、ベットがら這いずるようにして出る。

部屋のドアを開けてリビングに向かえば、キッチンからカチャカチャと物音がした。

「いた…」
「え、ちょ!一樹!?」

キッチンに向かうあいつの後ろ姿を見て、たまらず俺は抱きついた。その瞬間、さっきまで押し寄せていた不安の波が嘘のように消えた。

ああ、良かった。こいつはここにいた。
どこかに消えたのかと思った。

昔みたいに…。

「お前がどこにもいないから、怖くなった」
「…それで、泣きながら私のこと探していたの?」
「へ…?」

あいつが俺の頬に優しく触れたことで、俺は初めて自分の目から涙が溢れていることに気づいた。

「っ、俺を、一人にしないでっ…くれ…っ!」
「ごめんね。一樹が起きたときにお腹が空いていたらいけないと思って、卵粥を作っていたの」
「それよりも、っ、お前がいてくれた方が…んっぁ」
「…寂しい思いをさせちゃったね。大丈夫よ。もう一樹の側から離れないから」

そう言って、背伸びをしたあいつは優しく俺の頭を撫でてくれた。それから首に手を回して、トントンとリズムよく肩を叩いてくれる。

それだけで、子どものようにぐずっていた俺は安心してしまう。まるで、魔法みたいだ。

「汗かいちゃってるね。着替える?」
「ん…」
「着替えたら、卵粥食べよっか?」
「食う…」

それでも、子どものような受け答えしかできない俺は、相当弱っているのだろう。

あいつの服の裾を掴んで、離そうとしないのが何よりもの証拠だ。

それでも、あいつは特に気にする素振りを見せることなく、寝室へと足を運ぶ。俺も裾を掴んだまま、あいつの後を歩いた。

「はい、座って」
「んー…」
「よしほら、ばんざーいって」

言われた通りにばんざいをすれば、俺が着ていたスウェットの上を躊躇なく脱がせたあいつ。

…なんだか、母親に着替えさせてもらっているみたいだ。
だか、俺の前にいるのは母親ではなく俺の奥さんで、俺は子どもではなくいい歳した大人だ。

奥さんにこんなことしてもらっているなんて恥ずかしいことかもしれないが、そんなのは今はどうでもいい。今は思いっきり、こいつに甘えたい。

「なぁ…」
「んー?」

蒸したタオルで俺の身体を拭くあいつの手を掴む。そうすれば、きょとんとした顔で俺を見つめるあいつの瞳。

ああ、やっぱり、お前がいないと俺はダメだな。

「………。」
「どうしたの?一樹。お腹空いた?」
「その…」
「ふふっ。ゆっくりでいいから、言ってみて?」
「っ、…もっと、傍に来てほしいんだ」

そう言いながら、俺はあいつの手を引いてあいつの身体を俺の膝へと誘導した。

俺の膝の上に抱っこされるようにして座ったあいつは、手に持っていた蒸したタオルを一旦ベットサイドに置いた。

「甘えんぼさんだ」
「…お前にだけだから、いいんだ」
「風邪を引くと人肌が恋しくなるって言うけど、本当みたいね」
「…そうかもな」
「でも、着替えないとまた熱が上がっちゃうから、着替えるのが先!」
「あ、」

俺の腕からすり抜けるようにして立ち上がったあいつは、新しいスウェットを取り出して俺に着せようとする。

たった数瞬離れただけなのに、俺の肌が感じていたあいつの体温はすぐに消え、また一気に寂しさがこみ上げてきた。

どうやら俺は、あいつの体温を直に感じていないとダメみたいだ。あークソ、こんな俺、かっこ悪いよな。それでも、涙が止まらないんだ。

「もう、また泣いてる」
「っ、止まんねーんだよ…」
「もしさ、もしもの話だよ?」
「ん…?」

優しい口調で、俺に語りかけるようにして喋るあいつ。その姿はまるで、聖母マリアのようだ。

「もし、私たちの間に子どもが生まれて、一樹が今みたいに泣き虫だったら、泣き虫パパだって笑われちゃうかもね」
「っ、それは…」
「それはそれで、面白いかも」

さっきまで座っていた俺の膝に、あいつはまた座り直す。それから優しい眼差しで、遠くを見つめた。

きっとその視線の先には、未来の俺たちがいるのだろう。こいつに星詠みの力はないが、きっとそうに違いない。

「泣き虫のパパなんて、かっこ悪いな…」
「子どもの前では泣かないようにしないとね」
「…お前の前では?」

声が震えた。

悲しいわけでも、寂しいわけでもなく、ただ、声が震えた。

それに気づいてか、あいつは柔らかい手のひらで俺の頬を撫でながら微笑んだ。

「たくさん泣いていいよ。嬉しい涙も、悲しい涙も、ぜんぶ、ぜんぶ、私には隠さないで」
「っ、ははっ、隠せそうにないけどな」
「ふふふっ。そんな泣き虫な旦那さんが私は好きよ」
「お前はほんと…。ああ、俺もだよ。俺も、こうして俺の弱さを全部受け止めてくれるお前が誰よりも愛おしいよ」
「ありがとう…」

あいつの髪に顔をうずめて、甘い髪の香りを吸い込む。それだけで、身体の奥から優しさに包まれたような感覚に浸れる。

俺は、お前のことを誰よりも愛してるよ。この愛は、きっとお前の両親よりも、そして叔父さんにも負けない。桜士郎や誉にだって、負けてたまるものか。

やっと、やっと手に入れた大切な人なんだ。
今度は失うことが怖くてたまらない。

だが、その怖さよりも、もっと怖いものを俺は知っている。俺は一度、こいつを失ったから。だからこそ、この愛が何よりも尊いものだと知っている。

こいつの前では泣いてばかりの俺だけど、それでも、その涙の1粒1粒は、お前への愛してるなんだ。だから、1粒も取り零さないで受け止めてくれ。

ほらまた今、俺の瞳から涙が零れた。
愛してるよ。

title by リラン
14/08/16


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