:: Waiter series | ナノ


人通りの多いネオン街であるここも、朝が近づくにつれて道を歩く人は徐々に姿を消していく。人通りが少なくなったこの通りを、一人歩く私の姿は珍しいのかもしれない。

そんなことを考えながら見上げた空は白んでいて、少し冷たい風から朝の香りがした。

そして見つけた、地下へと降りる階段。コツコツコツ、と高いヒールを鳴らして階段を降りる。降りた先には、『Bar Sirius』と書かれた扉があった。

すでに『Close』と書かれたプレートが下げられているけど、そんなことは関係ない。店が終わってから来てくれって、あいつが言ったから。

ガチャっとドアノブの捻れば、思った通り。扉に鍵はかけられていなかった。

「…いらっしゃい」
「………。」

扉を開けた先には、一人バーカウンターに座る一樹だった。人の気配に気づいた一樹は、振り返って私だと分かると疲れた笑顔で笑った。

そう、こんな時間帯にここに来たのは彼に呼び出されたから。

だから私は、仕事帰りで疲れているのにも関わらず、ここに来る前に適当なバーで時間を潰した。そもそも、こんな時間に呼び出す男なんて無視すればいいものの…。

だけど、一樹からの電話が久しぶりだったせいか、こうしてのこのこと来てしまった。それに、電話で聞いた一樹の声がなんだか疲れている気がしたから…。

「何か飲むか?」
「…任せるわ」
「りょーかい」

カウンター席に座った私とは反対に、カウンターの前に立った一樹。ボトルに入ったお酒を何本か取り出した一樹は、それらをシェーカーで混ぜ始めた。

「…一樹が作ったお酒を飲むの、久しぶりだね」
「…そうだな」

その言葉だけを交わし、私はしばらく無言でお酒を作る一樹のことを見つめた。

最後に一樹と会ったのは、いつだっけ?なんか、最後に会ったときよりも少し痩せた気がする。ちゃんと食べているのかな?…なんて、こうやって心配する資格が今の私にはないというのに。

「ほらよ」

コトリ、とカウンターの上に置かれたのは燃える夕陽のような色をした深紅のお酒。そういえばこれ、私が一樹に初めて作ってもらったお酒だ。

確か名前は、『キスール』。これって…。

「面白い冗談ね」
「そうか?」
「このお酒、恋人達が二人きりで過ごしたい夜にピッタリのお酒だって、一樹が教えてくれたんじゃない」

本当、可笑しくて涙が出ちゃう。だってもう、私と一樹は恋人同士じゃないのに。私たちが別れてもう半年が経つんじゃないかな。それなのに、このお酒を出すなんて冗談としてしか受け取れない。

そもそも、一樹がこうして私を呼び出したこと自体、何かの冗談じゃないかと思ったもの。こんな時間に別れた女を呼ぶなんて、普通ならありえないことだから。

「…懐かしいな」

懐かしそうに目を細めながら、一樹はカウンターから出てきて私の隣に座った。

「私を呼ぶなんて、何かあったの?」
「…いや?少し、お前の顔が見たくなっただけなんだ」

そう言って、ロックグラスに入ったお酒に口をつけた一樹。そんな一樹の横顔はやっぱりなんだか疲れていた。ああきっと、この人はまた一人で何か抱え込んでいるんだ。付き合っていた時間が長かったせいか、一樹の口から直接聞かなくてもすぐに分かる。

星月学園で知り合った私と一樹。あの頃から、一樹は何か辛いことや悲しいこと、そして苦しいことがある度にそれを一人で抱え込んでしまう人だった。

そんな一樹を支えたくて、付き合ったはずなんだけど…。

別れを切り出したのは、私だった。社会人になったばかりで仕事に慣れなくて、一樹に会える時間もどんどん減っていって…。昼間に働く私と夜に働く一樹とじゃ、上手くいくはずもなかった。

仕事に対する不安やイライラ、一樹に会えないことへの寂しさ、それらが一気に爆発して私は泣きながら「別れよう」って一樹に言った。

一樹は何も言わずにそれを受け入れた。それから半年、今日まで一度も一樹と連絡を取ることはなかったし、直接会うこともなかった。

懐かしい思い出に身を委ねていると、ポスンと肩に感じた柔らかい感触。見れば、一樹が私の肩にもたれかかっていた。

「…やっぱり、何かあったんでしょ」
「んー…?何もねーよ。それより、頭撫でてくれ」

言われるがままに、私は肩にある一樹の頭を撫でた。

猫のアメリカンショートのようにふわふわとした灰色の髪。何度か髪を梳くようにして撫でれば、一樹は気持ちよさそうに目を閉じた。ふふっ、やっぱり猫みたい。

それにしても、こうして一樹が甘えてくるってことはやっぱり何かあったんだ。だけど、私なんかに甘えなくても一樹に寄ってくる女はたくさんいるんじゃない?その人たちの中から誰かを選んで、その人に甘えなよ。

どうして、私のことを呼んだの?

付き合っていたころは、一樹が何かを抱えているときはなんとなく察することができたのに。そして、何を抱えているのかも。だけど、今は何も分からない。

それくらい、一樹の傍にいなかったってことかな。

「やっぱり…」
「んー?」
「やっぱり、お前といるときが一番落ち着く」

カラン、とロックグラスの氷が音を鳴らした。それと同時に、私が一樹の頭を撫でる手も止まる。

一樹の顔を見れば、ほんのりと頬を赤く染めていた。ああ、酔ってるのかな?酔ってるから、そんなこと平気で言っちゃうの?それだけで、私の心臓の鼓動はこんなにも早まってしまうのに。

「っ、酔ってるんだよね?」
「…バーカ。酔ってたらもっと別のこと言うっつーの」
「なによ、それ…」
「俺のところに戻ってきてくれ、とかな」

私の肩に乗せていた頭を、ゆっくりと上げた一樹。その瞳は、真っ直ぐに私のことだけを捕らえていた。

一瞬、その言葉に頷きそうになった。それはきっと、反射のようなもの。反射的に、一樹の言葉に頷きそうになったんだ。

「お前がいなくなってから、俺なりに一人でもやっていけるように頑張ったんだ。それでも、お前がいないと駄目だった…」
「っ…」
「今日、翼に言われたんだ。最近のぬいぬいは無理して笑ってる、って。自分が無理して笑っていることなんて、翼に言われるまで気づかなかった。だが気づいたとき、お前に逢いたいって思ったんだ」
「それで今日、私を呼んだの?」
「ああ」

私の、せいだったんだ。一樹が疲れた顔をして笑っていたのは。そして私は、一樹に言われるまでそれに気づくことができなかったんだ。

情けない、と思うと同時に、今の私にできることは何もないと思い知らされてしまった。前の私だったらすぐに気づけたことを、今の私は気づけなかったんだもん。一樹の孤独に、気づけなかった。

だったらなおさら、私は一樹のところには戻れない。一樹が戻ってきてほしいと思っても、ね。

「じゃあ、私のことは忘れないとね」
「…どうしてそうなるんだ?」
「私のことを忘れれば、一樹はまた前みたいに笑えるよ」

それだけを言い残して、私はカウンター席から立ち上がった。もうこれ以上、私はここにいてはいけないから。

きっともう、こうやって一樹から連絡があっても逢うことはできない。逢いたい、と言われてもこのお店には来ちゃいけないんだ。だってもう、一樹の頭を撫でちゃいけないから。

飲み干した「キスール」のグラスを置いて、「ご馳走様」とだけ伝えて店から出ようとする。だけどその瞬間、一樹に手を引かれた。そして、掴まれた後頭部がグイッと押された。

「何をっん…痛っ!」

ガリッ、と唇を噛まれた。そして口の中に広がる血の味。一樹に噛まれたところから溢れ出した血だ。何が起こったのか分からなくて、私は何も言えずに突っ立ったまま。そんな私を一樹は抱き寄せて、そして唇から流れる血をベロリと熱い舌で舐めた。

チュウッと血を吸うようにして、吸い付いてきた一樹の唇。吸血鬼に血を吸われたことなんてないけれど、今の一樹は吸血鬼みたい。きっと今、一樹の口の中は私の血の味でいっぱいなんだ。

それが分かったのは、一樹の舌が私の舌を絡め取ったから。一樹の唾液と私の血が口の中に流れ込んできて、そのせいか私の瞳からは生理的な涙が溢れ出した。

「ん…ちゅ、はぁ…。お前が忘れろとかいうからだぞ」
「んっ、だからって、こんな…」
「お前のことは何度も忘れようとした。だが、無理だったんだ。俺はお前を忘れることも、お前から離れることもできない」
「そんなこと言われても…」
「お前がいないと駄目になっちまうような男になった責任、取ってくれよ…」

コツン、と自分の額を私の額にくっつけた一樹は、覗き込むようにして上目遣いで私のことを見つめてくる。私がその顔に弱いってことを知ってやっているとしたら、今の一樹は最低だ。

でも、最低だと思っても、真っ直ぐに伝えられた一樹の気持ちから目を逸らすことなんてできない。

「今の私じゃあ、一樹の負担になるだけだよ…」
「負担になるかどうかは、俺が決める。それに、お前が傍にいない方が駄目なんだよ。お前がいないだけで、俺はおかしくなっちまう」
「…バカ」
「バカでも何でもいい。…俺のところに戻ってこい」
「…っ、うん」

一緒にいるときっと負担になるだけかもしれない。だけど、離れることは無理で、忘れることはもっと無理だった私たち。

お互いの存在が、いつの間にかお互いがいないと駄目にしてしまった。そんな私たちは、きっと別れることが正解なのかもしれない。だけど、それが正解だなんて誰が決めたの?もっと違った答えがあっても、おかしくないはず。

私たちが最後にどんな結果を迎えたとしても、その責任はちゃんと取るから。一樹をそんな男にしてしまった責任を、私は背負うよ。

だから、だからね、一樹。

私を貴方なしでは生きていけない女にした責任を、ちゃんと取ってね。


14/04/20
0419 happy birthday shiranui kazuki.

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