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とても、息苦しく感じた。それはまるで、全力疾走を何本も走った後のような苦しさで、みっともなく犬のようにハッハッと息を切らした。

何が苦しいのかも分からなくて、何が悲しいかも分からなくて、どうして視界が涙でぼやけているかも理解できなくて。

心の中にある黒くて大きな塊を、取り除こうとしても深く埋め込まれていて取れない。

上手く息を吸い込もうとしても、肺を満たすほどの酸素を取り込むことができない。浅い呼吸を繰り返すだけで、何も変わらない。

ああ、苦しい。いっそのこともう、××して。


月光をなくしても僕達は眠れない


「…名字、さん?名字さん?大丈夫?」
「う、えっ、あ…」
「ごめんね。すごくうなされていたみたいだったから、起こしちゃった」

目を開けた先にいたのは、心配そうに私の顔を覗き込む夜久さん。周りを見回せば、そこは私たちが泊まっているキャンプ場にある施設の部屋だった。

何が起きたのかも分からないまま、私はゆっくりと身体を起こした。
そして気づいた。
私が、泣いていることに。

「あれ…?」
「名字さん…」
「あ、ごめん。何でもないの。迷惑かけちゃって、ごめん」

夜久さんも、私が泣いていることに気づいたのだろう。自分が着ているジャージの袖で、そっと私の涙を拭ってくれた。

夜久さんのその行為に、私の目からは涙がポロポロと零れ落ちる。

どうして、私は泣いているのだろう?理由もないままに零れる涙は、止まることを知らないらしい。

「きっと、何か怖い夢でも見たんだよ」
「え…?」
「大丈夫。あたしが傍にいるよ」

そう言って、夜久さんは私のことを優しく抱きしめた。驚いたことに、夜久さんが抱きしめてくれたおかげで、ひどく安心してしまった。

言葉で表すのには難しい、何とも言えない不安に襲われていた。だけどその不安は、夜久さんの優しい温もりによって、いとも簡単に溶けて消えてしまった。

小さいころ、眠れないと愚図る私に、母がホットミルクを入れてくれたことがあった。

コップ一杯のミルクに、スプーン一匙の蜂蜜。温かい真っ白なミルクの中に、黄金色に輝く蜂蜜が、とろとろと溶けていく。その光景を見るだけで、どうしようもなく安心してしまう。そして、一口コップに口をつければ、ミルクと蜂蜜が優しく溶け合った甘さが心を満たしてくれた。

夜久さんは、そのホットミルクに似ていた。

「ありがとう、夜久さん」
「ふふっ。どういたしまして。あ、そうだ」

夜久さんは、「はいっ」と自分の手の平を差し出した。

それが何を意味するかも分からないまま、私は首を傾げる。すると彼女は、また優しく笑って、「手を繋いで寝れば、何も怖くないよ」と言った。

真っ暗な部屋の中で、窓から降り注ぐ月明かりだけが私たちを照らしていた。

月明かりに照らされた夜久さんは、いつもより青白く、そして幻想的に見えた。まるで、目の前にいる夜久さんが幻想かのように。

おずおずと夜久さんに手を差し出せば、彼女はその手を優しく握り、再び布団の中に潜り込んだ。それにつられて、私も布団に潜り込む。

「おやすみなさいっ!」
「…おやすみ」

夜久さんは、何も聞かない。何も聞かずに、再び夢の世界へ旅に出る。

そのことが、どうしようもなく救いだった。

私は、どうして自分が泣いていたのか説明ができない。一体、私は何が悲しかったのだろう?もしかして、夜久さんが言ったように、何か怖い夢でも見たのだろうか。

怖い夢、と聞いて真っ先に思い当たったのは、この前に見た、あの夢だった。

もう一人の私が、銃に撃たれたあの夢。あの夢は、怖い夢と言われれば怖い夢の分類に入るのかもしれない。なにせ、自分が殺される夢だったのだから。

だけど、眠りから覚めた私は何一つ夢の中で起こった出来事を覚えていない。そもそも、夢を見たかどうかも怪しい。

きっと、疲れているんだ。今日だって、一日中慣れないことをした。まったく知らない人たちに囲まれて、ご飯を作ったり、レクリエーションに参加したり。そのどれもが窮屈で、息苦しいものだった。だけど、一つだけ感謝したことがある。それは、夜久さんと部屋が一緒だということ。

最初は、最悪だと思ったし、面倒だと思った。だけど、夜久さんがいなかったら、私は今ごろ一人で泣いていたことだろう。一人で、真っ暗な部屋の中、誰にも慰めてもらえることもなく。

だから、夜久さんには感謝している。明日、起きてからちゃんとお礼を言わないと。そう思いながら、私は右手の平にある温もりを感じながら、もう一度眠りについた。

「ん…っ」

次に目を覚ましたときは、まだ真夜中だった。

私と手を繋いで隣に眠る夜久さんは、スヤスヤと寝息を立てていた。そんな夜久さんを横目に、私は彼女を起こさないように携帯で時間を確認した。

時刻は、午前2時すぎ。所謂、丑三つ時って言われる時間帯。

草木も眠る丑三つ時、という言葉があるように、この時間帯は人だけでなく草木までもが眠り静まりかえっているとされている。そして、そんな時間帯だからこそ、幽霊や化け物といったものが活動する時間と言われている。

もちろん私は、幽霊や化け物なんてものは信じていない。実際にこの目で見たことがあるわけでもないし、怪談なんてものも嘘くさくて信じていない。

そんなことよりも、少し喉が渇いた。きっと、さっき泣いたせいで身体の中にあった水分がなくなったのだろう。

仕方なく、私は夜久さんと繋いでいた手をスルリと離し、布団から起き上がった。そういえば、部屋を出た廊下の先に自動販売機があったはず。

持ってきていた旅行鞄の中から財布を取り出して、私は部屋から抜け出した。

「レモンか、ミルクか…。それとも、ストレートか」

自動販売機の前で、悩むこと数分。私は、レモンティーにするかミルクティーにするかストレートティーにするかという何ともどうでもいいことで悩んでいた。

いや、多くの人にとってはこれはどうでもいいことなのかもしれない。だけど、紅茶好きの私にとっては、大きな問題なんだ。ああ、どうして私がお気に入りのこの紅茶は三種類もの味があるのだろうか。選ぼうにも、三種類の中から一つなんて、拷問だ。

「ミルクティー…が、いい」
「うーん。そうだね。そう言われればそんな気分だしね」
「うん…」

…ん?私、今、誰の言葉に反応した?え、だって、さっきまでここには私しかいなかったし。ちゃんと、部屋から廊下に誰もいないことを確かめて出てきたし。

もしかして…。なんて、せっき考えていた『丑三つ時』という単語が、脳内をぐるぐるとかき回す。いや、そんな非科学的なことあるわけないじゃん。だって、ね。まさか、こんな所に出るなんて、ありえないでしょ。

そう自分に言い聞かせて、私は怯えながらも後ろを振り返った。

「…誰?」
「…?」

私の後ろに立っていたのは、同じジャージを着た星月学園の生徒だった。

ギザギザとした蜂蜜色の前髪の下にある、深緋色の瞳がとても綺麗な男の人。きっと彼も、このオリエンテーションキャンプに参加している生徒なのだろう。だけど、私は今日のオリエンテーションキャンプで彼を見かけていなかった。

とても印象的な顔だから、一度見たらきっと忘れないはず。おかしいな。今日一日で、大体の生徒の顔は見たはずなんだけど。

そんなことはどうでもよくて、今考えるべきなのは、どうして彼がこんな所にいるのかということ。

「俺は、神楽坂四季。星詠み科」
「…そう。それで?神楽坂は、どうしてこんな時間にここにいるの?」
「星が、教えてくれた」
「え?」
「名前がここに来ることを」

どうして彼が私の名前を知っているのか、星が教えてくれたとは一体どういう意味なのか、聞きたいことはたくさんあった。

だけど、疑問よりも先に感じたのは、なぜか懐かしさだった。

神楽坂に名前を呼ばれたときに、私の名前を呼ぶ彼の声が小さく耳の奥で震えた。まるで、何かを呼び起こすかのようなその震えは、私の中の何かを大きく揺さぶった。

「どうして、私の名前を?」
「知っていたから。ずっと、前から」

ああ、きっと私が転校してくる前に、女子生徒が転校してくるという噂でも学園内に回っていたのだろう。

まったく、あの保健医といい、陽日先生といい、もう少しプライバシーの管理にはしっかりしてもらいたい。これじゃあ、私の情報が他の生徒たちに筒抜けじゃないか。

なんてことを考えながら、私は自分が買うはずだったミルクティーの代金とは他に、もう一度お金を入れてボタンを押した。ガコンッガコン、と出てくるのは二つのミルクティー。私は取り出した二本の内の一本を、神楽坂に渡した。

「…くれるの?」
「あんたも欲しかったんでしょ?その代わり、女子生徒がこんな夜中に出歩いていたことを先生たちには内緒にしておいて」
「分かった」

そう言って、神楽坂は小さく微笑んだ。いや、もしかしたらその微笑は気のせいなのかもしれない。だって、そう思うくらい神楽坂の表情は分かりにくかったから。

そうだ。これ以上ここに長居していたら、見回りの先生に見つかるかもしれない。だったら早いとこ、ここから退散しよう。

「じゃあね、神楽坂。おやすみ」
「…おやすみ」

神楽坂に別れを告げて、私はスタスタと自分の部屋に戻る。

なんか、不思議な人だったなぁ。不思議な雰囲気を持っている人だったし、何より、初対面の人に最初に抱くはずの嫌悪感をまったく感じなかった。星詠み科の、神楽坂四季、か。覚えておこっと。

「もう何度もこうして出会っているのに、名前は俺のことを覚えていないんだね…」

自動販売機の明かりだけが眩しく光る廊下で、神楽坂のその呟きは闇に紛れて消えてしまった。消えてなくなってしまうほどの彼の呟きに、私が気づけるはずもなく、私が神楽坂の方へ振り返ることはなかった。

そしてこのときから、この瞬間からだった。綺麗に噛み合っていたはずの歯車が、少しずつズレを起こし始めたのは。






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title by 誰花

14/01/04



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