:: 透明な君に恋をした | ナノ



母親がいないことで、寂しい思いはしたことがないと思っていた。だけど、思い出した。あの雨が降っていた日…。小さい頃の私は、なぜか雨が降るとよく体調を崩した。だけど父は仕事があったし、私と9歳離れた兄の翔は部活があったりしたから、帰りが遅かった。寒い部屋、冷たいベッド。その空間に一人ぼっちでいることがすごく嫌だった。だけど、二人に迷惑はかけちゃいけないから。私は良い子でいなくちゃいけないからー…そうやって、幼心に自分に言い聞かせていたのを覚えている。


「もし体調が悪くなったら、保険証を持ってタクシーで病院に行くんだぞ?名前はしっかり者だから、大丈夫だな?」

「うん。お仕事頑張ってきてね。いってらっしゃい、お父さん」


本当は、大丈夫なんかじゃなかった。だけど、言えなかった。行かないで、どうしていつも一人にするの?、寂しいよ…。言葉にするのは簡単なのかもしれない。だけど、私はそれを父や翔に伝えることは出来なかった。寒い、冷たい、苦しい。仲が良かった友達が、風邪をひいたらお母さんがつきっきりで看病をしてくれると言っていたことを思い出す。だけど、私に母親はいなかったから。それが当たり前だったから。だけどもし、私に母親がいたら、こんなに寒い思いはしなかったかもしれない。もし私にお母さんがいたらー…。

無意識に伸ばした手を、誰かが優しく包んでくれた。これは、翔の手じゃない。誰?うっすらと目を開けると、そこには心配した目で私の顔を覗き込む一樹会長がいた。…あれ?私は修学旅行に来ているんだったんだよね?どうして目の前に一樹会長がいるの?


「名字に呼ばれて来たんだ。どうしても学園に戻らなくちゃいけない用事が出来たらしくてな。代わりに俺が来た」

「…う、そ……」

「嘘じゃない。俺はこうしてお前の目の前にいるだろ?ほら、目を閉じろ。まだ熱は下がっていないんだからな」


どうして一樹会長が私の目の前にいるのかは、次に私が目を覚ましたときに聞こう。誰かに優しく手を繋いでもらっている感触がする。これはきっと、一樹会長の手。…私は、こうやってずっと私の隣にいてくれる人が欲しかったのかもしれない。こうして私の手を優しく握ってくれる誰かを探していたんだ。…一樹会長、私、会長のことがー……。


「…寝たか」


名字から送信されたメールを開いたときには驚いた。だけど、俺は迷うことはなかった。すぐに学園の正門で名字の手配で待機していた先生の車に乗り込んで、名字のメールに書かれていたホテルを目指す。修学旅行といっても、星月学園は毎年バスで四、五時間の近場で済ます。ホテルに着いたときにはもう夜中だった。急いで名字が泊まっているホテルに向かった。あの人がどうして俺を呼んだのかは分からない。だけど、俺はあの人に一度だけ本気で怒られたときに、頼まれたことがあった。


「これは俺のわがままになるかもしれないし、贔屓だと思ってくれてもかまわない。だが、名前のことを守ってくれないか?もうすぐ、俺はあいつの隣にいることが出来なくなる。あいつを守ってやれなくなる。そのときが来たら、不知火。お前があいつを守ってやってくれないか?」

「どうして、それを俺に言うんですか?」

「その意味はもうすぐ分かる。だけど、お前じゃないとダメなんだ。あいつを守ることが出来るのはお前だけなんだ」


あの人が言っていた言葉の意味を、全部理解したわけじゃない。あの人がどうして先にこの学園からいなくなる俺に名前のことを託したのか…。あの人の方が、俺よりも長くあいつの傍にいることが出来るのに…。今は、そんなことを考えている場合じゃない。ノックして開けた部屋の中には、ベッドで寝ている名前とそれを心配そうに見つめる名字がいた。


「悪いな、不知火」

「名前は…?」

「まだちょっと熱があってな。悪いけど看ていてくれ」

「…はい」


そう言って名字は足早に部屋から出て行った。先生の車でホテルに向かっている間、電話した颯斗から聞いたことだが、あの人は今回修学旅行に参加するはずじゃなかったのに、わざわざ琥太郎先生に頼み込んだらしい。…妹が、心配だったからか?いや、俺はもっと別の意味があると思う。あの人の考えは、ときどき掴めなくなるときがある。いつも誰でも受け入れて接しているように見せて、本当の自分を見せていない。…それを、名前は気づいているんだろうか?

ドサッと名前が寝ているベッドの横に座る。名字が言っていた通り、少し苦しそうだ。名前のおでこに自分の手のひらを乗せる。そういえば、桜士郎によく、俺の手のひらの体温は高いと言われた。…手のひらが温かい奴は心が冷たいって言うよな。はぁ、とため息をついて俺の手のひらの代わりに、水で濡らして絞ったタオルを乗せる。…ったく、体調崩してねーか心配していたのにこれだからな。ますます父ちゃんはお前から目が離せなくなるよ。無意識のうちに…俺は名前の頬にキスを落としていた。…今だけは、許してくれないか?

ベッドの毛布からはみ出ていた名前の手を握って、俺も目を閉じる。起きたらきっと、ビックリするだろうな。…朝が楽しみだ。






「夢じゃなかった…」


一樹会長が看病しに来てくれるというなんともありえない夢を見た。はずだった。…何してんのこの人。学校はどうした。目を覚ましたときに右手に違和感を感じて見たら、一樹会長が私の手を握っていた。一体どうしてこうなったんだろう?そして翔はどこに行ったんだろ?可愛い妹の部屋に男一人置いていくなんて…妹が可愛くないのか、バ翔。さて、この状況をどうしよう?


「おはようございます…って、やっぱり会長がいらしてたんですね」

「颯斗、やっぱりって何」

「はよー。お、会長じゃん」

「隆文、なんでそんな冷静なの」


聞けば、昨日の夕方颯斗のケータイに一樹会長から電話がきて、今ホテルに向かっていると言っていたらしい。だったら止めてよ。…でも、一樹会長が来てくれたことが夢じゃなかったのは…嬉しかった…かも。いつの間にか熱も下がっていたし、今日からの自由行動には参加出来そうだ。起き上がろうと思って、一樹会長を起こす。パチッと目を開けた一樹会長はしばらくぼーっと私の顔を見つめていた。…あの、おはようございます。そして大丈夫ですか?


「…嘘だろ」

「は?」

「母さん!俺は本当に変態だったらしい!もう死ぬしかない!」

「朝から騒がしいですよ、会長」


どうやら一樹会長は大丈夫じゃなかったらしい。おもに頭が。






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12/12/10


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