沈黙の在り方


 しとしとと、まるで糸のような雨が降る日だった。
 小雨程度ではあったが、家までとなるとそれなりに濡れてしまうだろうと、軒下から扉間は曇天を見上げた。わざわざ濡れることを選ぶ必要もない。ほんのりと明るい日差しの透けている雲の様子からして、この雨もそう長くは降るまいと、扉間はその場で雨が止むのを待つことにした。
 じとじととした湿気と夏を思わせる気温のせいで、首筋に汗が滲んでいるのが不快であった。
 扉間が執務を終えたのは夕方であった。いつも夜半まで執務室に籠っていることのある扉間からすれば、この時間に仕事を終えるのは珍しいことである。それもすべてアヤメのおかげである。学び舎の教員としても働いているくせに、こうして時間がある時にはかつてのようにアヤメは扉間の執務を手伝ってくれている。昨夜も夜半過ぎまで仕事をして、朝は朝日が昇ると同時に執務室に戻ったという扉間を知ったアヤメが、半ば無理矢理に引継ぎをして扉間から仕事を取り上げたのだ。
 こんな時間に帰路につくのは、はたしていつ以来であったろうかと、そんなことを考えていた扉間の耳に聞き逃してしまうほどに小さな足音が届いた。その音の方へ視線を向ければ、そこには傘をさしてこちらへと歩いてくる長身の男の姿があって。奴は非番であったはずだが、と、扉間は男を見て目を細めた。
 男は扉間から少しばかり離れた軒下に入ると、さしていた傘をたたみ、そのまま早々に立ち去るのかと思いきや、男は低い声で扉間の名を呼んだ。その声に返事もせずに顔を向けると、何を考えているのか分からない無表情を浮かべている男がこちらを見ていて。アヤメのものとは同じようで全く異なる、まるで深淵のような黒い目に扉間は僅かに目を細めた。


「・・・なんだ、マダラ」


 渋々といった体で返事をすれば、少し雨に濡れたらしい長い髪を鬱陶しげに肩から払いながら口を開いた。


「アヤメは執務室か」
「ああ。あと一時もすれば終わるだろう」
「そうか」


 それ以上、会話は続かなかった。雨が降り出したのでアヤメを迎えに来たのであろうが、しかしマダラはアヤメの執務室へ向かおうとはせずに、軒下から黙って雨の向こうへと視線を向けていた。それを横目にしながら、扉間は気付かれぬように小さく息を吐き出した。
 うちはの現族長で、歴代最強とも名高いうちはマダラという男。兄の千手柱間とは幼い頃からの旧知の仲で、忍の神とも呼ばれる柱間に唯一並び立つことのできる忍である。その実力は扉間も認めるところで、おそらく扉間などマダラは容易く打ち払ってしまうだろう。どれほどの知略と術を行使したとしても、マダラの才能と能力の前には児戯にも等しいのだ。たとえ、あのイズナを抜いた時空間忍術を応用したとしても、マダラには通用しないだろう。あの男は、それほどに強い男である。
 そして。うちはアヤメの夫でもある。
 千手とうちはを先導に里を興し、多くの忍一族が合流してきた。これら忍一族の中でも、唯一女衆を外部から徹底的に隔絶していたのがうちはであった。千手を含む他の一族は、あの戦の時代にくのいちとして女の忍も戦力として多用していたのだが、うちはだけは徹底して男のみで戦っていたのだ。しかしそこにうちはアヤメというくのいちが現れ、その戦では激震が走ったほどだ。
 アヤメを戦場で初めて見た日のことを、扉間は今でもはっきりと覚えている。
 先陣を切るマダラ隊と、戦場を駆け回るイズナ隊の向こう、後方に陣取ったその部隊を率いていたのがアヤメであった。アヤメが率いる部隊は術に特化した者で編成されており、うちはの代名詞である火遁だけではなく、風遁や、写輪眼を用いたコピー技、そして幻術を多用する部隊であった。統率の取られたアヤメ隊の、特に幻術はまさに悪夢であった。
 しかしそれ以上に、扉間はあの美しさに目を奪われた。戦場で他のことに意識を奪われるなど言語道断であるが、しかし無視することのできないほどに、アヤメという女は鮮烈な存在であった。
 うちはは男もとても整った容姿をした者の多い一族であったのだが、アヤメの登場によってうちはの女の美しさが知れ渡ったのだ。戦が終わり、里を興し、うちはの女衆も自由に出歩くようになってから、やはりその全員がとても美しい女ばかりであったのだが、扉間にとっての一等は変わりなくアヤメであった。
 しかし、アヤメは扉間が初めて目を奪われた時にはもう、他の男のものであった。だがそれを知ったとて、あの美しく咲き誇る花を望む気持ちだけは一向に消えてはくれない。


「お前が、」


 暫しの沈黙の後、ぽつりと言葉を発したのは意外にもマダラだった。


「学び舎で先の大戦の話をした折、うちはのことを子供たちに語ったと聞いた」
「・・・ああ。あの場で、うちはを正しく語ることができたのはオレのみだった。アヤメではどうしたって私情が入る。他の者たちでは、お前たちの恐怖を語ることしかできぬであろう。お前たちうちはと最も多く対等に戦った千手のみが、お前たちうちはを正しく語れるだろう」


 お前にとっては不服だろうが、と扉間が言えば、マダラは感情の読めない無色の目を扉間へと向けた。
 マダラと扉間の深い溝は、今でも変わらずにそこに横たわっている。大きな要因としてはマダラの最愛にして、肉親の最後の一人あった弟のイズナを死に追いやったのが扉間であるからだ。それに加え、扉間はマダラにとって花盗人になりかねない男でもある。未だ、マダラ隣で咲きほころぶ美しい花を欲する扉間の浅ましさを、同じ花を愛でる男としてマダラも知っているのだ。
 新月の夜のようにも、深淵の底にも思える黒い目を、扉間は真っ直ぐに見返した。そうやって推し量るように扉間の目の奥を覗いていたマダラの目が、ややあってからゆっくりと瞬きをした。それと同時に、扉間に纏わりついていた息苦しさが軽くなるように感じられた。


「お前の言う通り、うちはを正しく語れるのは、長くうちはを研究していたお前だけであっただろう。お前のその話を聞いたという子供のおかげで、オレは時代と人の移ろいを感じることができた」
「・・・」
「戦は終わった。忘れることはできんが、前に進むことができるのだと、オレはようやく実感することができたのだ。共に手を取り、里を興し、子供たちが無為に死んでしまうことのない世が来るのだと、あの時にオレはしかと確信することができたのだ」


 マダラの言うあの時、というのが扉間には分からなかったが、あのマダラがこうして扉間相手に珍しく饒舌に話すほどの出来事があったらしいことは理解ができた。だがしかし、なぜそれを扉間へ語るのかが理解できなかった。これまで扉間がマダラから向けられていたのは嫌悪と憎悪ばかりで、こんなにも凪いだ感情ではなかったのだから。
 そういう意味での居心地の悪さも感じながら、らしくもないマダラの様子に、それでも扉間は耳を傾けた。マダラはただ真っ直ぐに扉間を見据え、ほんの僅かに言いにくそうに口を噤んだが、しかしそれも一瞬のことで。先ほどの凪ぎとは違った、何か強い意志を秘めた様子でマダラは再び口を開いた。


「アヤメは、子供を産めん」
「、な」
「お前に言うことはアヤメからは許可を得ている。病の治療に尽力してもらったお前には言わねばとアヤメが言っていたのだが、自分では言いにくいと言うので、オレの口から伝えることになった」
「・・・」
「同じ病を患っていたあいつの母君とは違い、病を抱えたまま戦場に出ていたのが悪かったのだろう。母親よりも随分と悪い状態であったらしく、同じ治療を翁が施して母君は三十過ぎまで生きられたが、あの時お前がオレに知らせなければ、アヤメはそれまでも生きることはできなかったと翁に言われた。その命を削る病を抱え、その身を削って戦場を駆けていたのだ。今こうして共に生きいてくれるだけで、オレには十二分だ」
「・・・ああ、そうだな。だが、貴様はどうするのだ」
「オレだと?」
「ああ。お前は、うちはの族長だろう」


 これまでのうちはの族長は世襲だと聞いている。
 マダラの前は父のタジマ。タジマの前はその父が、さらにその前はその父が、といった具合に、マダラの血族による世襲が長く続いているのだ。マダラの血筋はうちはの起源であるインドラに通じるとも言われており、うちはを興した血脈こそ族長であるべしという風潮があったのだろう。未だにそこまでの血脈主義が続いているのかは扉間にも分からなかったが。
 そんな扉間の当然な問いに、マダラはどこか感心したような風で薄っすらと笑みを浮かべてみせた。それは、扉間がこれまでに幾度となく向けられてきた酷薄な笑みとは違うように見受けられる。まさかそんな表情をマダラが自分に見せるとは、と扉間は驚きを隠しきれずに僅かに目を見張った。


「ああ、オレは確かにうちはの族長だ。長く、祖先から続く世襲もあって、オレはこの座に就いている。だが、オレは誰に何と言われようと、アヤメとの子以外をもうけるつもりは毛頭ない」
「良いのか」
「構わんさ。オレの血脈が途絶えたとしても、うちはは続く。次代の優秀な者が族長を担えば良い」


 マダラの血脈以上に優秀な忍などうちはにいるのかと、そう扉間は胸中で呟いた。
 マダラはまさしく鬼のように強い男で、それに続くうちはの忍らも皆優秀であったが、しかしマダラと比べるとなると足元にも及ばない。マダラだけが突出して強大であることに、その血脈が全く関係していないとも言えないだろう。おそらくマダラの家系は、うちはの祖先たるインドラに最も近い血脈であるはずだ。マダラの父であるタジマはもちろん、早くに散っていったマダラの弟たちも、最後に残っていたイズナも、全員が並み以上の強い忍であった。しかしマダラだけは、その中でも群を抜いた強大さであったため、おそらくはマダラはただ一人のみ先祖返りを果たしているのだろうと扉間は予想をつけている。この読みは証拠がないので誰にも話していないが、外れてやいないだろう。そう扉間に思わせるほどに、マダラはうちはの中でも規格外の忍であった。
 マダラが言うように、次代が育てば優秀な者も出てくるだろう。しかしマダラには及ぶまいと、うちはの誰もが理解しているはずだ。若い世代は柔軟であるのでまだ良いだろうが、問題は年寄り衆である。うちはのご意見番ともいえる翁どもは、果たしてマダラの考えを理解し、承服するのだろうか。
 しかし結局はマダラが族長であるので、年寄りがいくら反対しようと意見を押し通すことはできるだろうが、それによっていつかのようにうちはの中で内紛が燻るのだけはご免被りたいというのが、扉間の意見である。
 扉間の言わんとするところを僅かな表情の変化から読み取ったらしいマダラが、これまた扉間に向けるにはらしくない苦笑のような表情を浮かべた。


「お前は、まさしく目で物を言うな」
「なに?」
「いや、気にするな。それで、次代のことだったな。まあ年寄りどもはうるさいだろうが、オレはガキの頃からアヤメを唯一と決めている。うちはの男にとっての唯一は、何があっても反故にすることのできないものだ。それが例え、族長であってもだ」
「そういうものか」
「ああ、そういうものだ」


 くつりと笑って、マダラは再びその黒い目を雨の降る世界へと向けた。人一人分の空間を空けて並び立つ扉間も、マダラに倣うように視線を雨へと向けた。
 しとしとと今も変わらずに雨は降り続けている。風がないせいで、纏わりつような湿度と気温で、じんわりと滲んでくる汗が変わらずに不快であった。自身よりも髪が長く、さらには袖も裾も長いうちはの衣服に身を包んでいるマダラも、扉間と同じように汗が滲んでいて。ああ、この男もただの人と同じなのだなと、そんな当たり前のことを扉間はここへ来てようやく認識した。
 兄の柱間とは違った形で人智を超えた忍と評され、その通りの男であるのがマダラであった。忍の神とも評される柱間は、普段は隙のある性格の男であり、その隙の分だけ人間らしさを感じることができる。しかしマダラはそうではなかった。あるいは、アヤメの前でだけは人らしくあったのかもしれないが、少なくとも他の者たちの前では決して隙を見せない男だった。鬼であるとも、死そのものであるとも、そう言われ続けるだけの緊張をマダラは常に身に纏っていたのだ。
 そんな男が、ふと見せた人間らしさ。ただ汗をかいているだけだが、戦中でも何でもない、ただの蒸し暑さに汗を滲ませる、そんなありふれたことがマダラを人間らしく感じさせるのだ。ああ、この男はこの里が興ってから今日まで、一度として隙を見せることもなく生きてきたのかと、随分不器用な男なのだと、扉間は気付かれぬように口元に笑みを浮かべた。
 マダラが目元に落ちる前髪を鬱陶しげにかきあげるついでに、額にもじんわりと滲んでいたらしい汗を拭いとる仕草を横目に扉間は雨空をじっと見上げた。雲の切れ目も見えてきた。もう少しでこの雨も止むだろうと考えていた時だった。


「扉間」


 これまでに数度しか呼ばれたことのない自身の名前。驚いて反射的に顔を向けてしまった扉間に、しかしマダラはこちらを向くことなく口を開いた。


「オレは実子を得ぬかわりに、この里に生きる民を我が子として守ろう」


 はくり、と息を呑んだ扉間を知ってか知らぬか、おそらく前者であろうが気にした素振りも見せないマダラは、そのままくるりとこちらを向いて扉間を見つめた。


「他でもない、お前にだからこそ言うのだ、扉間」
「・・・」
「オレは、うちはの族長であるうちはマダラは、命ある限りこの里を守ると誓おう」


 その言葉がどれほど重い言葉であるかを、扉間は理解をしていた。
 里が興ってから以降も、扉間だけはマダラの身の内に潜む鬼を危惧し続けてきた。どれほど平和の時代が来ようとも、マダラの中の鬼は未だに戦乱を望んでいることに気が付いていたのである。しかし、それでもマダラが里の守護を担う重要人物であったのは、その隣にアヤメがいたからだ。彼女がいなければ、おそらくマダラはとうの昔に里を出て、里の難敵となったことだろう。柱間でしかマダラとは対等に渡り合えないのだ。いざぶつかり合うとなればその柱間でさえ、マダラ相手となると無傷というわけにもいかない。それが致命傷となり、マダラと共に柱間さえも倒れてしまう可能性だってあった。しかしマダラにとって唯一手元に残った最愛の存在が、マダラを未だに人たらしめている。彼女の存在あってこそ、里に生きる今日のマダラはあるのだと、扉間は深く理解していた。
 そんなマダラが口にした言葉であるからこそ意味がある誓い。うちはにとって最も尊重される一族という垣根を飛び越えて、マダラはこの里を自らの子として、命ある限り守ると言ったのだ。
 その言葉を紡いだのが柱間であれば、何を当然なことを言っているのだと笑ってみせるのだが、マダラが言うのであれば笑うことすらままならない。扉間はただ、言葉を失ってマダラを見ることしかできなくて。そんな扉間の様子にふと相好を崩したマダラは、仄かな笑みを唇に浮かべて目を細めた。


「お前には、言っておきたかった。あまり気負うな」


 そう言ったマダラは何かに気付いたように顔を正面へと戻した。


「ああ、雨も止んだな」


 その言葉に扉間も遅れて顔を正面に戻せば、確かに先ほどまで降っていた雨が止んでおり、雲の隙間から夜に移り変わっていく茜色の空が覗いている。
 これはもう無用になったな、とひとりごちたマダラは、閉じた傘を片手に持って軒下から建物の中へと移動しようと体の向きを変えた。


「帰りに引き留めて悪かったな。オレはアヤメのもとへ行く」
「・・・いや、構わん。アヤメももう、終わるだろう」
「そうか。では、気を付けて帰れよ、扉間」


 そのままくるりと体の向きを変え、マダラは真っ直ぐに建物の中へと入っていった。その背中が消えると共に、扉間は人知れず大きく息を吐き出した。
 緊張していたわけではない。だがしかし、相手はあのマダラだったのだ。気を張ってしまうのも仕方のないことであるだろう。扉間のその内心にさえおそらくマダラは気付いており、しかしそれを素知らぬふりをして普段通りにしていたのだ。いや、普段通りではない、あれは随分と気安かった。通常であれば友の柱間などの親しい人物にしか見せないような、そんな気安さがあった。元来の性質とイズナの件も相俟って、これまでの扉間とマダラとの溝はこれから先も変わらないものだと、そう扉間自身は思っていたというのに。まさか、あの頑ななマダラの方から歩み寄りを見せるとは思いもしなかった。
 その心境の変化のきっかけが、おそらく学び舎でうちはを語ってやった子供の件なのだろう。アヤメからそれを聞いたマダラの胸中など扉間が押し測れる物ではない。が、それをきっかけにマダラは過去ではなく、言葉通りにマダラは未来を真正面に見ることが出来るようになったのだろう。最愛と共に未来を生きるためにどうするべきかを、聡いあの男は早々に考え、そしてそのためにならこれまでの頑なさを捨てることのできる柔軟さを見せた。
 きっと、本来のマダラはそういう男なのだ。
 愛情深く、情に篤く、強く、しなやかで、そして柔軟な、そんな男。
 ああ、と扉間は息を吐いた。
 敵うまいよと。
 決して花盗人になるつもりは無い。結局のところ、扉間が惚れたアヤメはマダラの隣で咲き綻ぶ姿であるのだ。自身の隣でも同じようにあってくれるだろうと、そんな青い夢を見るほど扉間は青二才ではない。だが、そうだと分かっていたとしても、完敗であるなと。自分は例え、未来のためだからといって自分自身を今日明日に変えることなど出来やしないだろう。自分の頑固さは自身がよく知っている。しかし、それをマダラはやってみせる。他でもないアヤメのためであればと、自分を二の次にすることができる男なのだ。
 到底、そのような振る舞いは扉間にはできない。
 扉間にとって優先するべきはこの平和であり、その障害となるだろう芽は早々のうちに摘み取ってしまうべしと考えている。今、事が起こっていなかろうとも、後の憂いとなる可能性が僅かでもあるのなら摘み取ってしまえと、そう考えてしまうのだ。それが例え、自身の惚れた女の一族であろうとも。
 扉間はそんな自分を恥じるつもりもないし、人でなしであることも承知している。お気楽で、楽観主義の兄とは正反対な視点と性格をしているからこそ、柱間兄弟に代替わりした千手はうちはとの戦に勝つことができたのだ。
 変われない自分と、変わることのできる男。どちらがあの美しい花の側にあるべきなど、考えるまでもない。あのマダラの側であるからこそ、アヤメは美しいのだと、そう改めて思い知ったのだ。
 それで良いのだと、そう扉間は心底思っている。扉間はこれからも、何があろうとアヤメへの感情を口にすることはないだろう。そうだと察しているのもマダラだけで、そのマダラも扉間がこのままであれば何かをしてくるようなこともないだろう。あの男はこと、外部からアヤメに関わる事柄になると驚くほど鋭くなるのだ。扉間が花盗人となろうとしない限り、その想いを抱えていること程度のことは意外と寛大であるのだ。
 雨が止んでからようやく、扉間はぬかるんだ地面へと踏み出した。今はまだこうしてぬかるんでいるが、やがてそれも乾くだろう。無くなりはしなくとも、ただ平坦に歩けるようになり、いちいち足を取られることもなくなるのだ。この地面と同じように、いずれこの慕情も。
 それまでも、その先も、扉間はこの感情に口を噤み、その時が来るのをただただ待つだけである。

2020/10/25
(2020/10/25)
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