アヤメ。
 お前がこの世を旅立ってから、随分と時間が過ぎた。かつてはお前がいなくなることがあんなにも恐ろしく、お前を奪おうとするお前自身と、そしてこの世界をどうしようもなく呪ったのだったが、今やこんなにも穏やかに日々を過ごすことができている。オレ自身でも驚いているのだから、きっとお前もそちらで驚いていることだろう。
 お前とは長い時を共に生きた。
 幼い頃、あの桜の下でお前を初めて見た時には、オレにはお前が天女のように見えた。こんなことを言えばお前は照れて笑うだろうから終に言わなかったが、幼心ながら心底そう思ったのを今でも覚えている。うちはの者は皆、容姿の整った者たちが多いが、オレはお前ほどに美しく、心を揺さぶられる女にはこれまでに一度も出会ったことがない。
 オレの唯一はお前だけなのだと、オレはお前に出会って悟ったよ。
 それから色々なことがあったな。
 オレの弟たちが去り、ナツメが先立ち、お前の父が逝き、オレの父も果て、イズナも散った。戦はオレたちから多くを奪ったな。ああ、分かっているとも。同じように、他の者も奪われてきたのだと。分かっているよ、昔も分かっていた。だが、あの頃のオレは自分の絶望と虚無を飼いならすことができなかったのだ。弱いオレは、絶望と憎しみこそが力なのだと勘違いしていたのだ。だが、お前が、アヤメが側にいてくれたから、オレはこうして "うちはマダラ" として生きることができた。鬼としてでもなく、亡霊としてでもなく、ただのうちはの男として生きることができた。
 だが、まさかお前自身が、オレからお前を奪おうとするなど考えもしなかったな。
 病のことを扉間から聞いた時には、比喩ではなく全身の血が沸騰するような心地になった。そしてお前を奪おうとするお前自身に激しい怒りを覚えたし、だがそれ以上にどうすればお前を奪われずに済むかと焦ったな。こうと決めたらなかなか折れないお前の頑固さを知っているから、どうすればお前の頑なな決意を鈍らせられるかと苦心した。族長としても、夫としても、男としても、あの日のお前はオレを跳ね除けただろう。さすがにあの拒絶はつらかったぞ。
 オレはお前の独善を許せなかったし、お前の言う定めがどうしても納得できなかった。神になったつもりではなかったが、お前の命はオレのものだと、終わりを定めるのもオレなのだと、そう驕っていたのだ。
 だが、結局はオレはただの男なのだ。お前を恋しいと、愛おしいと、寂しいと、置いて逝かないでくれと、そう縋ることしかできない、ただのみっともない男でしかない。
 千手の助力もあり、お前の病も、限界を迎えていた目も癒すことができると聞いた時のオレの安堵を、お前はきっと知らないだろう。あの時、オレは初めて千手の技術に感謝をしたのだ。柱間に何度も礼を言って困らせたのは、今ではもう笑い話だな。

 お前には感謝しかない。お前以上の存在はないだろう。オレにとってはお前だけが最上で、お前だけが特別だったんだ。
 いつか、お前が言ったことがあったな。オレたちは浄土へ行くことはできないだろうと。ああ、そうだろうとも。オレもお前も、この両の手はあまりに血に染まりすぎた。戦の後の世にどれほど貢献しようとも、奪ってしまったものは戻ってくることはない。オレたちは多くを奪われたと同時に、多くを奪いすぎたのだ。だからきっと、オレたちの往く先は地獄であるだろうと、お前はそう言ったな。オレもそうだと思う。だが、それでいいと思っている。地獄にはお前がいるのだろう? ならば何も恐れることはない。オレにとって、お前がいる場所こそが極楽なのだから。

 なあ、アヤメ。
 もうオレは十二分に生きたよ。お前の去った世界でただ一人、移ろいゆく時代を見届け、お前への土産話もたくさんできた。
 なあ、アヤメ。
 お前はきっと変わらず美しいのだろうな。オレは随分と老いさらばえてしまったが、それでもお前はオレを変わらず愛してくれるのだろうか。オレは今も変わらず、お前だけを、アヤメだけを愛おしく思っているよ。
 このどうしようもなく悲しい世界で、お前に出会えたことが、お前に愛されたことが、オレにとって何よりの僥倖だった。
 なあ、アヤメ。
 そろそろお前に会いにゆくよ。
 だからどうか、もうそれ以上先へは行ってくれるな。オレを置いてあまり遠くへ行かないでおくれ。

 どうか願わくば、あの始まりの桜の下で。
 再びアヤメと相まみえんことを。

これにて、終焉



 それを見つけたのは、かつてマダラとアヤメが住んでいた家の片付けを手伝っていた柱間であった。晩年は退いたとはいえ、かつてはうちはの族長であったマダラの家にはうちは一族に関わる情報もあったので、柱間がその家に入れたのは先にうちはの者たちによって見分されてからのことだった。
 長くマダラと友であった柱間へ協力を要請したのはカガミであった。カガミが里の設立当初の頃より扉間に預けられて修行を重ね、うちはの中でも誰よりも早く見分を広げた忍だった。そんなカガミはうちはの者であると同時に、アヤメの歳の離れた従弟であり、マダラにとっては教え子でもあったのだ。あらゆる面でうちはの中でアヤメに次いでマダラに近かったカガミが許したのだから、柱間がマダラたちの家に足を踏み入れることに異論を唱える者などいなかった。
 そうして、家具だけが残された空っぽな家に柱間は足を踏み入れた。
 立場もあり、友であったマダラの家に訪れたことはたったの数度程度しか無い。そのどれもで、玄関でアヤメが笑みを浮かべて柱間を迎えてくれ、マダラは居間で柱間を座って待っていた。土産に持って行った酒を飲みながら、アヤメが作ってくれた肴に舌鼓を打ちながら、見事な庭の見える縁側でマダラと語り合ったものだった。
 もう共に見ることも叶わなくなった庭を柱間は一人で眺め、しばらくしてからマダラの私室へとカガミと共に入らせてもらった。そしてそこで見つけたのだ。
 文箱の中の奥底にひっそりと仕舞われていた真っ白な文。
 回顧というにはあまりに愛に満ちたその文は、マダラがアヤメへと宛てた恋文だったのだろう。
 読むつもりではなかったが、重要な何かであってはなるまいと確認してみれば、それはきっとこの世を去ってしまう直前にマダラが綴ったアヤメへの手紙であったのだ。
 それを柱間はカガミに頼んでアヤメとマダラの眠る、あの桜の木の側の墓所で、わざわざカガミの火遁で熾した炎で燃やしてもらった。きっとマダラはそれを望んだだろう。色は違えと、カガミの炎はアヤメに通ずる。きっとあの恋文はアヤメに届いたことだろう。マダラはきっともうアヤメの元へ辿り着いているだろうから、恋文を読んでいるアヤメの隣で柱間の仕業だと確信するマダラが唸っている姿を簡単に想像ができた。
 柱間にはまだまだやり残したことがある。自分の子供も含め、里に生きる者たちは皆が柱間にとって子供にも等しく、その者たちのためにまだまだやれることがあるのだ。それらに区切りがつくまで、柱間は浄土へ往くことはできない。
 だからどうか友よ。いつかオレもそこへ往くから、その時に今回のことを存分に叱咤してくれて構わない。それが済んだら、お前たちが去った後の世の話を、いつかのように酒でも飲みながらのんびりと話そう。もちろん、アヤメ殿も共に。

2020/09/02
(2020/10/25)
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -