世界は息継ぎをしながら回ってる


 うららかな日差しの心地よいある日。
 その日久し振りにアヤメが自身の執務室に姿を現した。


「もう体はいいのか、アヤメ」


 机から顔を上げて、うちはとはまた違った赤い目をこちらに寄越した扉間にアヤメはそっと目を細めて微笑んだ。
 病に臥せってからというもの、アヤメとの面会を許可されていたのは一握りの者たちのみで。その中に柱間と扉間兄弟は含まれていなかったために、アヤメがうちはの居住区に引きこもってから実に半年ぶりの再会であった。
 アヤメの病を治すために千手からも医療に長けた者たちを数人うちはに派遣していたのもあり、その者たちからアヤメの調子は右肩上がりに良くなっているとは聞き及んでいたものの、直接あの発作を目にしていた扉間はアヤメの無事な姿を見ない限りは心底その言葉を鵜呑みすることはできなかった。だがこうして、久しく見たアヤメの姿は病に臥せったその以前と比べるといくらか華奢になったように見えるが、その顔色や様子はなんら違和感を感じることはなかった。


「おかげさまで。もう随分と平気よ」
「・・・そのようだな」


 アヤメが病に臥せった後も、変わらずに残されていた彼女の執務机の椅子に腰掛けるアヤメのチャクラを扉間は探った。穏やかに全身を巡るそれは、かつてと変わりなく滞りの無く彼女の全身を、そして目までをしっかりと巡っている。
 もう嘘偽りのないその言葉に、扉間は人知れず安堵の息を零す。そんな扉間の様子にアヤメは気付く素振りも見せず、久方ぶりの職務に励むべく、扉間から仕事を受け取った。
 アヤメの仕事はもっぱら、この里の教育制度を整えるというものである。
うちはの古い習わしによって、うちはの子供たちは女親からまずは簡単な忍術を教わる。そして、男子であればそのまま戦場へ出る父や兄貴分たちから実戦忍術を教わり、女子であれば引き続き女親から身を守るための忍術を教わる。男が戦へ行き、女は集落に残るという、うちはならではの慣習であるのだが、アヤメはその古き慣習を打ち破った、うちはで唯一のくのいちなのだ。女親からも、男親からも忍術と生きる術を教わった彼女は、まさに生けるうちはの教本とも言えるわけだった。
 そんな彼女の平素は物腰が非常に柔らかく温和であるため、本来恐れるべきうちはの忍であるということを抜きにして、他の忍一族から話を聞き出すことに大いに役立っていた。忍術の研究家という側面を持つ扉間の要請では、聞き出すにも限りがあったであろうが、アヤメの人柄ゆえに、皆は大手を振って教育の統合のための情報提供をしてくれるというわけだ。
 アヤメが病に臥せってからは出来る限りを扉間が引き継ぎ、それをようやく今日、彼女の手へと返すことができるのだ。
 扉間が受け持っていた期間の書類や、引き継ぎ関連を纏めた書類に目を通し終えたらしいアヤメが顔を上げる。かつてと変わらない彼女の宵色が扉間を見つめた。


「随分と話が進んだのね」
「お前が置いていった下地がほぼ完璧だったからだ」
「あなたの実力よ、扉間」


 感慨深げに手にした書類に目を落としたアヤメの姿に、扉間は他には分からない程度に表情を緩めた。口にした通り、彼女が療養のために手放す事となった仕事は、彼女がほぼ完璧な状態まで作り終えていたおかげで、それが扉間の手に渡ってきた時には既に事は終えつつあった。そのおかけで、その次の構想まで思った以上に早く進むことができ、もうその為の土地と業者は手配済みである。
 この執務室の窓からも見えるその場所へと、アヤメは顔を向けた。


「学び舎ができるのね」


 それはマダラと柱間の夢の一つでもあった。
 幼くして、若くして死んでいってしまう忍たちの生存率を根底から底上げするために、実力の乏しい忍びを養成する学び舎を作る。そこで忍の基礎を、術の基礎を、戦闘の基礎を、チームワークを学び、そして予め難易度ごとに振り分けられている任務のうちから、能力に相当するものを受けて実力を伸ばしていく。それ以外にも、実力のある忍もその能力ごとにランク分けを行い、それぞれもその能力に相当した任務を熟していくようにする。中でも、希望者や素質のある者から優先的に学び舎の教師も兼任し、忍の雛たちの先生となってもらう。
 それが、マダラの、柱間の、そして扉間の夢であった。
 その夢が、現実になろうとしている。学び舎のための土地も整備され、既に業者も動いている。実力のある忍たちのランク分けも進められ、併せて任務の難易度分けも進んでいる。
 先の千手とうちはの戦で活躍した忍の多くが、高ランクに値する上忍に分けられ、次に上忍ほどの実力は無いが忍としての能力が十分な者は中忍、そして実力の乏しい者は下忍と振り分けられている。今はこの3つの組分けではあるが、今後状況に応じて増えていく可能性もある。
 学び舎で教鞭をとるのは基本的には中忍以上で、任務の依頼の状況次第ではあるが、出来るだけ上忍が実戦的な分野や応用の分野では教鞭をとるようにしていきたいとは思っていた。


「アヤメ、お主に聞きたいことがある」
「わたしに?何かしら」


 窓の外へ向けられていたかんばせがこちらを向く。
 うちはらしい白い肌は相変わらずではあるが、陽の光に照らされる頬はかつてのような青白さというよりは、健康的な色をしていることにも扉間は人知れず安堵した心地となる。
 首を緩く傾げるアヤメの姿に、彼女が気取るよりも早く意識を切り替えた扉間は、自身の手元の用紙に目を落としながら口を開いた。


「学び舎での教鞭は基本的には中忍にとってもらうつもりだが、内容によっては出来る限り上忍にも教鞭をとってもらいたいと考えておる」
「それはそうね。上忍に分けられている忍の者の方が、どうしても忍術や体術、チャクラの応用がより得意だもの」
「その通りだ。だが上忍の中にも教壇に立つに向き不向きがある。兄者やオレはもちろん、マダラを筆頭にな」


 現火影である柱間はもちろん、その好敵手であるマダラや扉間は当然のように上忍に組分けられている。しかし、自分を含めたこの3人全員が人に物を教える立場になるには、あまりにそれぞれ問題がありすぎる。
 柱間は火影であること依然に、感覚で物を言う部分があることと、自分の大きすぎるチャクラが当たり前になっており、それ以外の者たちの感覚が分からず、上手く物を教えることができない。続くマダラは、妻であり幼馴染でもあったアヤメや、扉間預かりとなったカガミが言うには、相手の至らぬ部分をよく見抜き、長兄らしく物を教えるのが上手いとのことであったが、だが直球に物を言うため聞きようによっては叱責にも聞こえてしまうらしい。だがそれ以上に、その存在がやはり今でも恐れられているため、とてもではないが教壇に立たせることはできないし、火影補佐としての一面もあるため教壇に立つ暇がないのだ。扉間自身は物を教えることに問題は無いのだが、マダラと同じく火影補佐としてやる事が山積みであることと、忍や忍術の研究を行っているため、こちらも教壇に立つ暇がない。
 そんな理由で今のところ、木の葉の重役たちは教壇に立つ予定は一切無いのだが、先日までうちはに籠もっていたアヤメにはまだその確認が出来ていなかった。
 その話をすると、


「あら、わたしを上忍に組分けてくれるの?」


 不相応じゃないかしら。なんて言ったアヤメに、扉間はこれでもかと言うくらいに渋い表情を浮かべた。


「何を戯けたことを。うちはで唯一くのいちとして戦場に立っておったであろう。それに、オレはお主以上にチャクラの扱いの上手い忍びを知らん」
「買い被り過ぎよ」
「謙虚もほどほどにするのだな。過ぎれば嫌味だぞ」
「そうね・・・なら素直に受け取るわ」


 穏やかに微笑むこの女が、まさか先の戦で敵対している多くの忍たちを死に追いやった幻術使いとは、その様子からは到底思うこともできないであろう。ましてや年若く、先の戦に出ていなかった者たちや、彼女に出くわしていない者は特に、彼女のその実力を信じることができないだろうというくらいには、戦中と平穏時のアヤメの差は大きい。この平穏時のアヤメは元々のうちはの女たちの役割であったということもあり、人に物を教えるのが非常に上手いのだ。


「それで、お主はどうする。教壇に立つ意思はあるのか」
「ええ、わたしで役に立つのであれば」


 ほぼ即答であった。それは想定内でもあったので、別段扉間は驚いたりもしない。さらに、彼女のその答えにも。
 木の葉重役の中でも、学び舎の計画に最も力を入れていたのがアヤメであったのだ。そのアヤメがよもや教壇に立つ話を断るはずもなかったのだ。経験も知識も技量も文句なしの彼女であれば、多くの忍たちを導くことができるだろう。何より、これはマダラも望んでいることだ。
 あの男はアヤメが忍として正式に復帰することに誰よりも難色を示していた。病を克服すると共に永遠の万華鏡を手に入れ、その実力はうちは族長であるマダラの折り紙付きではあるのだが、何せあの男は思いがけない愛妻家である。妻をみすみす危険な現場に戻すことに抵抗があったのだろう。しかしアヤメの能力はこの生まれたばかりの木の葉にとって必要なものだ。彼女の強力な瞳力も、彼女の忍としてのセンスも然りである。最終的には愛妻の強い願いに折れて渋々マダラも彼女の復帰を認めたのだが、しかしやはりできるだけ危険からは遠ざけたいらしく、彼女が教壇を望むのであればそちらに重点を置けるように計らわせてもらうと宣言していたくらいだ。柱間はそれを笑って受け入れ、扉間もこの男がそれで満足して木の葉に牙を剥かないのであれば構わないと受け入れた。
 そんなやり取りがあったなど到底知らない彼女は、木の葉の次代を築くことに心血を注いでいる。


「それで、工事はいつ終わるの?学び舎に入る忍たちへの周知も行っているの?」


 やれ、教壇には他に誰が立つ予定なのかなど、アヤメは宵色の目に柔らかな光を灯しながら次々と質問を重ねていく。
 それに一つ一つ返答をしながら、ああ、これからこそが自分たちの望んだ時代が来るのだろうと、そう扉間は確信を得た。
 柱間と扉間兄弟が生きた過去とマダラとアヤメが生きた過去は、形は違えどその悲しみの多さは変わらなかっただろう。親を喪い、弟を喪い、友を喪い、大切な者ばかりが喪われ、奪い合った時代だった。血で血を洗い流し、いつしかその血に慣れて、痛みに鈍くなって。それでも残酷に奪い合っては血涙を流した。そんな、薄暗い過去だった。
 だが、それもきっと終わる時代がやってくるはずだ。敵だった者たちが手を取り合うことができた。過去を忘れることはできないが、許しあうことができた。まだまだすぐにとはいかないだろうが、いつか、何十年とかかってしまうかもしれない、いつか。きっとその時はやってくるのだ。誰もが隔てなく手を取り合うことのできる時代が。その礎が今、確かに生まれたのだから。
 もう誰も奪われない。もう誰も血を流すことのない。もう誰も絶望と悲しみに暮れることのない、そんな日がいつか必ずやってくるのだと。理想家の兄ではない現実主義の扉間が人知れず、そんな夢想を心に描いた。



「アヤメが教壇に立つことを受け入れたらしいぞ」


 それを柱間から聞かされたマダラは、そうかと一言だけを返答とした。目線は手元にある書類に落としたままだ。そんな友の姿に気を害した様子もなく、柱間は言葉を続ける。


「カガミに忍術を教えておったアヤメであれば何の心配もないんぞ。それに他の教員候補の他の一族の者たちとも上手くやっていけよう」
「そうだろうな」


 書類に何かしらの不備があったのか、別紙に筆を走らせてその書類に添付してからマダラはようやく顔を上げた。その顔に浮かんでいるのはどこか呆れを含んでいるような渋い表情で。そんな表情でこちらを見られた柱間は何ぞ、と目を瞬かせた。


「てめえ、口ではなく手を動かせ」
「む。しかしだな、」


 呆れた感情を込めた声でそう窘められ、柱間は子供のように口を尖らせる。
 柱間があがってきた書類の中からそれをいの一番にマダラに伝えたのは、この男が何よりも大切にしている女に関わることであったからに他ならない。マダラを鬼にするのも、人にするのにもうちはアヤメという女の存在が何よりも深く関わっており、彼女がいるからこそ未だマダラが人でいられるのだと言っても過言ではない。だから柱間はマダラの我儘にも等しい要望を飲んだのだ。
 うちはアヤメという忍は、そこいらの忍では匹敵することのできない技量を持つ女であった。先の千手、うちはの戦では女だてらに前線へと繰り出し、その多彩な忍術と必殺の幻術で千手陣営の多くの手練れたちを屠ってきた。マダラと並んで鬼と称された実力は、柱間といえども決して侮ることはできない。特にうちは特有の瞳力による幻術は、かかってしまえばさしもの柱間でも生きて戻ることができない可能性だってある。彼女はかつてそうこぼした柱間の言葉を笑って否定して見せたが、永遠の万華鏡を手に入れ、かつて以上にその力を惜しみなく使うことのできる彼女の全力の術となれば、きっと柱間は敵わないかもしれない。それはマダラも同じで、その力を誰よりも理解しているからこそ、マダラはアヤメの復帰に折れた。が、ただでは折れないのがマダラである。
 アヤメが教壇に立つのであれば、出来うる限り、それこそアヤメ指名やアヤメでなければできぬというような任や人不足ではない限り、彼女を危険な内容の任務に出させることはしないと。それを族長の会合の折に宣言したマダラに異論を唱える一族もいた。彼女の実力を正当に評価しているからこそ、あの力は外へ向けての抑止力とするためにも隠す利点は無いと、そう言う者もいた。しかしそれを言ったのはいの一番に指摘しそうな扉間ではない者だった。
 里にとって最も益となることを優先する男が沈黙していたのだから、これは受け入れる他ないと。柱間はその者の言い分も理解できるが、ここはマダラの言い分を受け入れようとそう言った。まあ、もし扉間に異論を唱えられたとしても、今回だけは柱間はマダラの言い分を受け入れるつもりではあったのだが。
 マダラは喪うばかりの人生を歩んできた。他の者がそうではないということではないが、しかしマダラはあまりに情に厚く、そして喪ったものはあまりに多すぎた。あの時代においてマダラは優しすぎたのだ。愛するものを多く喪い、悲嘆にくれたマダラはついには修羅にまで落ちた。それを人に戻したのがアヤメであり、そのアヤメを喪えばマダラは再び修羅となるだろう。その時こそ、もう誰にも止められない、もう誰の声も届かない悪鬼羅刹とまでなってしまうだろう。マダラをそうさせないためにも、この優しく、情に厚く、そして心の奥底に子供のような純粋さを持ち続けている友と平和な世を築き、そして生きるために。そのためであればたった一つの我儘くらい、永き友として叶えるのなんて容易いことであるのだ。
 そんなアヤメに関わることだから、手を止めてマダラに話そうとしていたというのに。と、柱間が子供のような表情をしたのを見て、マダラは大きな溜め息を吐き出した。


「あのな。お前に言われなくとも、あいつがそうするだろうくらい分かってるだけだ」
「・・・信頼か?」
「んな生易しいモンじゃねえよ。アヤメは、オレの望まないことはしないってだけだ」


 学び舎を望んでいたのはマダラも同じだった。最初に語り合った子供の頃のあの言葉に、その思いが込められていたことを思い出した柱間は、その事を自身と同じかそれ以上に深く理解しているであろうアヤメとマダラの絆に耐えられないとばかりに破顔した。
 いっそ晴れやかなまでの笑みを浮かべ、そうかそうかと頷く柱間の姿に、マダラは眉間に僅かな皺を刻んで見据えるように彼を見やった。


「話はいいと言っただろう、柱間。お前が手を動かさねえと、オレの仕事が終わらないだろうが」
「うん?マダラがおれば終わるであろう」
「馬鹿言うな。オレは残んねえぞ」
「なに!?」


 当たり前だろうが、再び溜め息を吐き出したマダラはアヤメが病に伏してからというもの残業を一切しなくなった。自分の分の仕事を時間内に終え、戌の刻にはとうに帰宅しているのだ。それが例え、柱間の仕事が終わっていなくても容赦なく帰宅するのだ。遅れた柱間の分の仕事が翌日のマダラの仕事に加算されようとも決して変わることはなかった。そもそもうちはの居住区から出てくることさえ減ってしまっていたのだ。
 快方へ向かっているとはいえ、病に伏した妻が心配なのだろうとその当時、特に何かを柱間が言うことはなかった。が、それはアヤメが復帰したとしても変わらないらしく、残業は一切しないと改めて宣言したマダラにあんまりだと声をあげるも、そんなもの気にも留めない素振りで自身の仕事に戻っていく。
 そんな仕事の早い友の姿に、自分は今日も帰るのが遅くなるかもしれないと、そう柱間は項垂れたのだった。

2020/04/19
(2020/09/02)
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