朝を想えば朧月さえも愛しい


 カン、カン、と甲高い音がしたかと思うと、その音を追うように地面に苦無が落ちて深く刺さった。獲物を弾き飛ばされてしまったアヤメは目を細めて利き足である左足で一気に踏み込み、その懐へと飛び込む。いっそ大胆ともとれるその特攻に、普通であれば無謀だとその行動を咎めることだろう。
 しかしこれがアヤメであるからこそ、違っていた。瞬く間に懐へと飛び込んだアヤメは右手を伸ばし、渾身の力で相手の顔の鼻の下からの下半分を掴む。アヤメらしくもない力技であるが、それに顔を歪めた相手の隙にアヤメはひとつ瞬きをしてその両目に写輪眼を宿す。


「っ、しまっ・・・」


 顔を掴まれ、思わず見てしまったアヤメの両の目。
 濃く、赤く、アヤメ本来の血のように赤い色を宿した写輪眼に己の失態に気付いて目を逸らそうとするも、もう遅かった。しまった、と言う間すら無く、アヤメの写輪眼が煌めいたのを見た瞬間、彼の意識はすでにそこにはなかった。


「そこまで」


 剣呑たる空気を割いた男の声に、アヤメの全身から迸っていた集中が霧散する。捕まえていた手のひらを外し、未だに夢を泳いでいるらしい彼をそっと地面に横たえてやった手付きは、先程までの苛烈さは無くただただ優しさに満ちていた。
 くるりと振り返ったアヤメの目はもう平静の宵色へと戻っており、その先に立つ男へと緩く微笑んで見せてからその場に片膝をつく。そして先ほど横たえてやった彼の顔の前に印を組み、小さく「解」と唱える。と、アヤメの写輪眼による優しい夢の中に落とされていた彼の茫洋とした目に意識が宿り、2、3瞬きをしているうちにその意識ははっきりとしてきたようで。
 そんな彼へとアヤメは優しく微笑んだ。


「カガミ、大丈夫?」
「っ、は、はい。アヤメ姉様」


 上体を起こし、気付のために頭を左右に振ったカガミは、こちらを窺うようなアヤメの問いにどうにか平気だと答えることしかできなくて。そんなカガミの様子にアヤメは申し訳なさそうに苦笑を浮かべながら、くるくるふわふわとした髪質のカガミの頭を優しく撫でた。


「ごめんなさい、カガミ。久しぶりだから、あまり加減ができなかったわ」
「いえ、平気です。俺もうちはで、アヤメ姉様の従弟なんですから」
「無理はよせ、カガミ」


 謝るアヤメが気に病まないようにと自身の血筋を誇るカガミにかけられた声は、聞く者によっては威圧に震え上がる者もいる低い声だった。
 しかしその声にカガミを案じる色が僅かながらも含まれていることに気付いているカガミは、その声の主のいる方へと臆することなく顔を向けた。


「族長」
「アヤメの幻術は訓練とは言え、この俺でも気分が悪くなるからな」


 足音も立てずにカガミとアヤメの元へと近付いてきたマダラは、そのままカガミに木にでも凭れて少し休んでいろと休憩を指示する。尊敬しているマダラからの言葉にカガミも甘え、素直に休憩を取るためにのろのろと動き出して一番近いところにある木の幹へとぐったりとした様子で凭れ掛かった。
 そんなカガミの様子を見ていたマダラだったが、カガミが木の幹に身を預けて目を閉じたのを見た途端に、今度はその視線をアヤメへと向けた。カガミが離れたことによって立ち上がっているアヤメに、今回の結果を伝えるべくマダラは族長として口を開いた。


「今回、体術・忍術・剣術に於いて、お前の反応はおおよそかつてと変わらんほどまで回復している。それに写輪眼の反応速度もだ。チャクラも問題ないだろう。・・・だが、久々だとは言え、流石にあれはないぞ、アヤメ」


 マダラがおおよそ問題ないと言ったのは、アヤメの忍としての復帰のための調子を整えることの話だ。
 うちはの写輪眼特有の目の病と持病のためにに長らく床に就いていたアヤメであったのだが、長らくの養生の結果、無事に忍として再び復帰することができるまで回復したのだ。だが、アヤメの目は生来の自身の眼球ではなく、かつてはカガミの眼球であった目が眼窩に収まっている。視神経と経絡系は問題なく結ばれ、チャクラも問題なく流れているのだが、いかんせん表舞台から退き、ましてや写輪眼をあまり使わなくなってから久しいアヤメが再びかつてと同じように写輪眼を使いこなせるのかと、マダラが族長として確認していたのだ。
 マダラ個人の本心としては、アヤメに忍として復帰して欲しいとは思っていない。むしろ、家でマダラの帰りを待っていて欲しいと強く思っている。
 しかし、アヤメは未だ唯一うちはの中のくのいちという存在であるし、今後うちはの女衆から以外でも女で忍となる者が多く増えられるようにと、アヤメはこの木の葉に於いてくのいちの存在を確立するために重要なのだと柱間から説得されてしまえば、ましてやアヤメ自身も望んでいることをマダラが拒否できるわけもなく。唯一の譲歩として、アヤメの復帰はマダラがその実力がかつてと寸分ないと判断しない限り、アヤメの本格的な復帰は先となるという条件を柱間とアヤメに呑ませたのだ。
 その試験が、今日であった。
 あれはない、とカガミのことを言外に指し示すマダラに、アヤメは困ったような表情を浮かべた。


「わざとじゃないのわ。写輪眼を使うのも久しぶりで、ちょっと張り切りすぎただけよ」
「ちょっとであれか・・・お前の幻術は耐性のあるうちはでも耐えかねるものだと自覚しろ」
「失礼ね。そこまでの幻術をカガミにかけるわけないでしょう。あの子は私が手塩にかけて育てている、次代のうちはの幻術使いになる忍よ?この程度で根を上げられては困るわ」
「アヤメ」


 どこか諌めるようなマダラのその物言いに、ようやくアヤメは素直にやりすぎてしまったことを認めて項垂れてしまった。
 曰く、自身を自分自身たらしめるその能力を久しく自由に使えることに、喜びのあまり思いのほか力を込めすぎてしまった。とのことであった。
 そんなアヤメの気持ちをマダラとて分からないでもないのだが、いかんせん相手はこの国の未来を担う若者。ましてやいずれアヤメの才能にも並ぼうとも言われている未来多き忍の子供であるのだ。そんな若者の先をうっかりとでも同族が摘み取ってしまうことはあってはならぬだろうと。
 ただ、かつては自身の弟やイズナ、今ではカガミの忍術を見てやっていることもあり、アヤメは教育にも慣れているはず。本当に、今回は快癒の喜びのあまり無意識のところで力加減を失念してしまったのだろう。
 無意識化でしてしまったことをこれ以上責めたところでどうにもならないだろうと、マダラは滲ませていた怒気を瞬く間に霧散させた。
 アヤメに向けていた目線を動かし、向こうで木に凭れかかっているカガミを呼んだ。のろのろとこちらを見て返事を返したカガミの様子に、アヤメの幻術が未だあとを引いていることを認識した。
 加減を忘れたといえども、それでもかつての戦時中の頃に比べれば全力のうちの半分も出していないであろう彼女の幻術。現在のうちはで最高峰だと言われるその才能を引き継ぐ才覚を持つカガミは、うちはの中でも幻術への耐性を高く持っている。そのカガミですら、この有り様なのだ。味方にあれば何とも心強いが、決して敵には回したくない相手だと、そんな万感の思いを込めてマダラは小さく息を吐いた。


「カガミ、気付け薬だ。これを飲めば今よりも幾分かましになるだろう」
「マダラ様、ありがとうございます」


 うちは直伝の気付け薬をカガミに投げてやり、それを受け取った彼が丸薬を一つ飲み込むのをしっかりと見届ける。
 あれはうちはに長く伝わる薬の一つである。即効性があるので飲めば、たちどころに効果を発揮するのだが、いかんせんとてつもなく苦い。そして即効性に特化しているがゆえに、その場しのぎ程度の効力しか持っていないことが難点である。カガミの顔色が青くなり、そして何とも言えぬ険しい渋面を浮かべているのを見やり、呻かないだけ上出来だとマダラは目を細めた。


「それの効果があるうちに戻るぞ」
「・・・は、はい」
「ごめんなさい、カガミ。平気?」
「平気です、姉さま。オレが未熟だっただけですので、どうかお気になさらないでください」


 青い顔のまま薄く笑むカガミの様子に、アヤメは申し訳なさそうに眉を顰めるばかりで。
 このままでは終わりの見えない謝罪合戦になりそうな二人のやり取りを遮るように、マダラは二人へ向けて声をかけた。


「お前たち、早く戻るぞ」
「はい」
「うん」


 こちらを向いて、どこか似たような顔立ちで頷いた年の離れた従姉弟同士の二人を先導するために、マダラは先に地を蹴った。

***

 木の葉が近づくとカガミは薬の効力が続くうちに帰ると言って、マダラとアヤメを置いて先に帰ってしまった。どうせなら夕食の買い出しをしたいというアヤメの言葉にマダラも付き合って木の葉の商店街へ来ていた。うちはの集落の中にも小さな商店街はあるのだが、木の葉と比べると規模は小さなものとなる。里の外から帰ったついでに、どうせなら木の葉の商店街で買い物をしようというのがアヤメの希望だった。
 里の中心の商店街なだけあって、うちはの商店街と比べると多くの人に溢れていた。どの家も丁度夕飯の買い出しに出ていているのだろう、その多くが女性であった。


「おや、アヤメさん。もうお加減はいいのかい?」
「こんにちは、ご心配ありがとうございます。もう随分と平気になりました」


 気安くアヤメに声をかけたのは、八百屋の女将であった。そのまま他愛のない会話を始めたアヤメと女将の姿を、少し退いたところでマダラはぼうっと眺めた。
 アヤメさん、と、そう女将は彼女を呼んだ。うちはの中では何があっても族長の妻の彼女はアヤメ様と呼ばれるばかりである。うちはでは考えられぬ気安さだ。その気安さをアヤメはまるで気にも留めずすんなりと受け入れている。そんな光景がマダラには新鮮に見えて仕方がなかった。
 マダラはうちはの中でも木の葉の中でも、マダラ様である。うちはの族長であり、忍の神と謳われ、今や火影として里の長を務める柱間の友であり戦友でもある忍。木の葉の中では柱間に次ぐ実力の持ち主であるとともに、柱間と違った冷酷で残忍な鬼であると、そう評されるマダラへ向けられる多くは畏怖だ。
 この木の葉に於いてマダラに気安い態度を取るのは柱間のみであり、マダラもまた柱間以外から気安くされることをあまり好んではいないせいで余計に周囲から遠巻きにされている。だが、それをマダラは気にしたことは一度として無かった。幼い頃から族長の長子として周囲の子供たちとは一線を画して接せられるのに慣れていたせいで、自身を遠巻きに見られるのも、そして畏怖されることにも慣れていた。そんなマダラに嫁いだアヤメもまた、マダラほどではないが周囲から一線を画され、敬われるようになっていた。
 マダラとは違って親しみやすいとはいえ、アヤメ様と呼ばれている姿ばかりに慣れていたマダラにとっては、アヤメさんと彼女が呼ばれているこの光景が珍しく新鮮に見えていたのだ。


「おや、そちらは・・・」
「主人です」
「なら、うちはの族長の・・・」


 ふとこちらに向けられた女将の目線に、マダラはそちらに目を合わせて小さく会釈をした。
 顔は知らぬとも、アヤメの夫がうちはの族長であることを知っているらしい女将は、きっとマダラのことは噂で知っているだろう。忍にすら恐れられるマダラなのだから、民の恐れようはそれ以上だ。無意味に怖がらせることもないだろうと、少し離れたところで会釈を返したのがマダラにとっての気遣いでもあった。
 こちらをしばらくじっと見つめていた女将であったのだが、やがてその目を柔らかく細めて笑みを浮かべた。


「噂には聞いていたけれど、随分な色男だねぇ。これぞまさに美男美女の夫婦だね」


 豪快に笑ってみせる女将は、マダラに対しても変わらぬ気安さで。その言葉や態度のどこにも畏怖は感じられなかった。初めて向けられたその気安さにマダラは少々驚いたように格好を崩し、僅かに目を見開いて女将を見つめた。
 マダラに取り入ろうとも媚を売ろうともしていないその気安さというのを、マダラは初めて体感したのだ。
 アヤメとマダラの両方を見て美男美女だと評した女将は、眼福の礼だと言って、アヤメが頼んだ野菜におまけをつけて渡している。礼を言ってそれを受け取るアヤメの横に並んだマダラは、できるだけ威圧感を与えぬようにと気を払いながら女将を見た。


「感謝する」
「なんでもないですよ。奥方様には贔屓にしてもらってます。その礼だとも思ってくださいな」
「そうか」
「ええ。またお二人で来てくださいねぇ」


 マダラにも変わらず気安い調子で商売人らしく豪快に笑ってみせる女将の姿は、マダラにとっても快いもので。そんな女将へ口元に僅かな笑みを浮かべて見せてから、マダラは女将へと背を向ける。
 アヤメが女将へと改めて礼を言っている声を聞きながら、マダラはゆっくりと歩みを進めた。
 

「良い人でしょう」


 隣に並び立ったアヤメは、ちらりとマダラを見上げて小さく笑った。その様子から女将の快い気安さがアヤメも気に入っているらしいことがよく分かった。
 アヤメの言葉にああ、と頷いて見せるマダラに嬉しそうに笑みを浮かべたアヤメは、機嫌良さそうにマダラの隣を歩いている。何をそんなに上機嫌なのかとアヤメに問えば、優しげな笑みを浮かべるアヤメはマダラを見上げて口を開いた。


「・・・人々の中にはあなたが思っているほど、あなたを恐れていない人もいるということを、あなたに知ってほしかったの」
「・・・そうか」
「ええ。そうよ」


 うちはの外にも、マダラの居場所はあるのだと。アヤメはあえて言葉には出さずに微笑みを浮かべるばかりに留めたのだった。
 人に理解されることを諦めてしまっているマダラの頑なな心を、こうして少しずつ解いていければいいと、そうアヤメは思っている。せっかく永らえた命だからこそ、自身の唯一であるマダラが健やかに安らかに今の時代を生きられるようにと、そうしてやりたいというのが、今のアヤメの願いであった。

2019/01/28
(2020/07/29)
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