かみさまに嫌われるための戯れ
アヤメはああ言ったが、扉間はそれを隠すことが良策だとはどうしても考えられなかった。
扉間はうちはマダラのことを誰よりも正当に評価していた。兄はマダラを友であるからこその甘さを通してマダラを評価するし、常であれば誰にも公平なアヤメですら、恋慕の情がその慧眼を曇らせてしまう。しかし扉間にとってのマダラとは、ただのうちはマダラという男に過ぎない。好敵手でも、友でもない、恐ろしい鬼でもない、族長でもない。ましてや恋い慕うなどありもしない。うちはマダラという個人として、扉間はマダラを見ることができる。
その扉間から見たうちはマダラとは。
兄とは比べて言葉が少なく、他者との境界をしっかりと線引きした男である。己の懐に引き入れた者に対しては厚い情を見せるようであるが、一度敵対すればその存在を骨すら残さぬ業火で焼き滅ぼす。あの大名の一件がそうだ。公にはなっていないが、あれの下手人がうちはマダラであることは兄と己の内では明白の事実である。
話が逸れてしまったが。
マダラの情とは、それは最早情念にも似た重く深いものである。それが向けられる対象というのはこれまで数が限られていた。マダラの弟であったイズナはもちろん、妻であるアヤメも然り。そして扉間の兄である柱間もその内の一人であり、そしてうちは一族も一応その枠組みに当て嵌まる。マダラはうちはを守るために幼い友であった柱間に背を向け、愛弟を守るために戦場を駆けた。愛妻を守るために大地をその業火で焼き尽くすこともあった。
マダラの情念とはそういうものであり、それがマダラの愛の全てであった。
しかしその対象であるべきうちは一族からマダラは今や軽んじられ、愛弟はもう既にこの世には亡い。柱間は情念を向ける相手であると同時にマダラにとっての唯一無二の好敵手であるため、他の様な深い情を向けるわけではない。
そして今、マダラの腕の中に唯一残った最愛の妻さえも、病によって明日をも知れぬ身であるのだ。しかもその事実をマダラは他でもない愛妻によってこれまで巧妙に隠し通されて知りもしないのだ。この選択をしたのは他でもないアヤメ自身だった。しかし、それがマダラにとっての最善の手かと問われれば甚だ疑問が残る。
マダラは最愛の妻たるアヤメに、その身に宿る情の全てを一身に向け続けている。その唯一さえもその両腕の中から取り零してしまったとしたら、あの情の深い男はどうなってしまうというのか。
そんなこと、想像に難くない。情の、愛の矛先を喪ったあの男は必ず暴走を始めるだろう。喪ってしまった情を向ける先を探し求め、そうして最後には独り善がりな結末しか望めないだろう。
兄から聞き、そして己の目で見て知ったうちはマダラとは、そういう男であった。
だからこそ扉間はいくらあのアヤメの願いだとしても、それを承服するわけにはいかなかったのだ。
目尻のキツく吊り上がった生来からの赤い目で、扉間はじっと黒いその男を見つめる。戦場とは打って変わって、平素はまるで夜を身に纏っているかのような静けさを保つその男は、端正な顔を僅かに歪めてみせながら扉間の赤い目を黒曜石の目で見返した。
「珍しいな、お前がオレを呼び出すとは」
「フン。オレとて、必要であれば貴様を呼び出すこともある」
「ほう・・・。つまり、オレに何かを伝える必要があるということか、扉間」
口の片端を上げるようにして薄く笑みを浮かべたマダラを見やり、しばらくして扉間はようようと口を開く。
貴様は知らねばならん。そして、マダラしかおらんのだ。アヤメの覚悟を溶かし、果敢なきその命をこの世に縛り付けられるのは、うちはマダラにしかできぬことであるのだ。
その役目が己では成り得ないことを、扉間は弁えている男であった。
＊＊＊
いつものように庭に下りて、咲きほころんでいる花々の様子を見る。幼い頃には上手く育ててやることが出来ずに、枯らしてしまった花もあった。しかし今やそんなことを仕出かすようなことはない。今日も今日とて花々は美しく可憐に咲いているし、柱間に手を借りて生家より分け運んだ梔子の木もしっかりと根付いている。
その様子ににこりと誰とも知れずに笑ったアヤメの耳に、突然平素ではありえない大きな音が玄関の方から聞こえてきた。
ピシャンと派手な音を立てて閉じられたのは、紛れもなくこの家の引き戸である。そして次いで聞こえる乱暴な足音も、間違いなくこの家から聞こえる。
この家に共に住まう夫は見た目や口振りとは正反対に静を好む人である。その人がこんな風に引き戸や廊下を荒々しく音を立てることがこれまでにあっただろうか。いや、無かったはずだ。ならばこれは夫ではないのかとの疑問も湧いたが、それはあまりに愚かな考えであったためにアヤメは即座にそれを脳内から打ち消した。うちはの族長夫妻の住まうこの家に、無断で入り込むような者はいもしないのだ。
ならばやはりこの音は夫が荒立てているのものなのかと、そうアヤメがぼんやりと考えている時だった。縁側からこの庭先まで続いている居間の襖が、廊下側からこれまた乱暴に開け放たれる。そうして居間へと入室して縁側まで踏み鳴らし、縁側に仁王立ちするのは紛れもなく、アヤメの夫であるうちはマダラであった。
「マダラ・・・？」
見たこともない様子でそこに立ち尽くすマダラに、アヤメは疑問を抱きながらも立ち上がって縁側の方へと足を進める。そうして、段差があるが故にいつも以上に高い所にあるマダラの顔を覗き見るようにその名を呼んだ時だった。おもむろに伸ばされたマダラの手がアヤメの腕を掴み、強引な力でその身を室内へと引き摺り込んだ。
「ちょっと、ねえ、マダラっ」
足から抜け落ちた履物が縁側から落ちる音が聞こえる。外界から隔絶するかのように縁側の引き戸を全て閉めたマダラは、それまで掴んだままだったアヤメの腕を引いて、己と向かい合うように立つ。
ぎゅうとマダラによって握り込められた手首が鈍く痛むが、その名前を何度呼んでもマダラはアヤメに応えてはくれなかった。
「アヤメ」
「、」
ようやく。静かに、低く唸るような声で名を呼ばれ、アヤメはひくりと息を呑む。こんなマダラをアヤメは見たことがない。いや、正しくは己に対してこんな風に恐ろしい様子を見せるマダラを、アヤメは一度として見たことが無かった。
マダラはいつだってアヤメに甘く、そして優しい男だった。時には意地悪で、逆に甘えてくることもあったが、しかしその多くがアヤメを甘やかしてくれる男であったというのに。なのに、今はそのマダラがまるで仇を見るような目でアヤメを睨め付けている。
握り込まれた手首が、鈍く軋む。
「アヤメ、扉間から聞いた」
扉間から聞いた。
その言葉にまさかとアヤメが目を見開くのを見て、マダラは確信を得たとばかりにその狂気を一層深くする。
「あいつの言っていたことを、まさかとは思っていたが・・・その様子だと、どうもあいつの言っていたことは正しかったようだな」
「マダラ、」
「アヤメ、昔に言ったよな。お前は、お前だけはオレの側からいなくならないでくれと。お前はそれを承諾しただろう。オレも、お前の側にいてほしいという願いに頷き、これまでそうしてきたはずだ。だというのに、お前は、このオレを残して逝くことを選ぶというのか！」
「っ」
吼えるマダラの両目が、瞬く間に赤く染まっていくのをアヤメは見た。巴の浮かび上がる写輪眼でアヤメを睨み、見据えるマダラの全身からは焦げ付くような苛烈な炎のチャクラが揺らめいている。それを見たアヤメは一度きつく目を閉じた。そして再び両目を開いたアヤメの宵色の目に写るのは、恐ろしいほどの平坦であった。
「いいえ、わたしはあなたの側を離れるつもりはないわ」
「だがお前は死を享受しているだろう！それを離別と呼ばずに何と呼ぶ！」
「例え肉体が死んだとしても、わたしはあなたの側に在り続ける。あなたの記憶と心に、わたしは生き続けるのよ」
「そんなものは詭弁だ！残して逝く者の独善だろう！」
「・・・あなたに何と言われようとも、わたしはこれを定めとして受け入れている。それを違えるつもりはないわ」
「ッ、なぜお前は分かってくれないんだ！」
立ち昇るマダラの灼熱のチャクラから身を守るように、アヤメもまた己のチャクラを身に纏う。おそらくこのチャクラの揺れは外部にも伝わっているだろう。その証拠にうちはの集落が騒めいているのをアヤメはしっかりと感じていた。
どうにかしてこの人を鎮めなければならない。けれど決して納得しないこの人をどう鎮めればいいというのか。
「これは、わたしが母から譲り受けた定めなのよ。母はその定めの通りに生きて、そして死んだ。父もこれを受け入れていたの」
「だからなんだ。オレはお前の父ではない。そしてお前もお前の母ではない。オレは決してお前の定めなどと認めてやるものか！」
「・・・あなたこそ、どうして分かってくれないの！」
アヤメの目にも写輪眼が浮かび上がり、これまで以上にアヤメのチャクラが波立つ。己の話を聞き入れようとしないマダラに対してアヤメも苛立ちを露わにしてみせる。
そして写輪眼の浮かんだ両目でマダラを睨みつけたアヤメを見て、マダラは再び口を開く。その目的は、もうアヤメを説得するためではない。
「どうしても聞き入れんというのなら、無理にでもお前のその定めとやらをオレが否定してやろう！」
「・・・できるものなら」
アヤメの定めを否定するためにならば、マダラはアヤメに対して力を行使することすら厭わないことを口にした。それを真正面から受け止め、それでも退かぬ姿勢を貫くアヤメにマダラは苛立たしげに片眉のみをひくつかせる。
ゴキンッ、と鈍い音をたてて、マダラに握り込まれていた手首の骨が折れる音をアヤメは聞いた。その音はマダラにだって聞こえていたはずであるが、己の手で妻の手首を砕いた男は顔色を変えることすらせずに、怒りと狂気にのみにその身を焦がしている。
「ここでは何かとまずいだろう。場所を変えるぞ」
「・・・ええ、構わないわ」
激情に身を任せているアヤメもまた、痛みなど感じていない様子で夫を睨み続けていた。
2018/02/16
(2019/01/30)