夢の続きの平和のその先


「浄土でも、オレを待っていてくれるか。アヤメ」
「ふふ、そうね・・・。きっとわたしもあなたも、浄土に行くことはできないでしょうね」
「・・・ああ、それもそうだな。オレたちは地獄を生きてきた。行き着く先もまた、地獄だろうなぁ」
「ええ、きっと・・・」

「・・・ねえ、マダラ」
「なんだ?」
「あなたは、まだしばらくはこっちへ来ないでちょうだいね」
「・・・どう、だろうなぁ。この世には、もうお前はいなくなるだろう?」
「ふふ、あなたは寂しがりだから・・・。でも、ダメよ。あなたはしっかり、あなたの役目を果たしてから、こちらへ来てね」
「アヤメ・・・」
「それまでずっと、わたしはマダラを待っているわ。あなたの側で、あなたを待っている」


 うちはアヤメが病死したとの報せは、その日のうちに里全体に伝えられた。
 生前の彼女の人柄もあったのか、あのうちはマダラの細君であったことを慮っても、数多くの人々が彼女の死を悼んだ。その多くの人々が彼女を送り出すべく葬儀はいつであるかとマダラに口々に問うた。その中にはマダラの気の許した友である柱間もおり、アヤメの葬儀はいつかと問う柱間を、マダラは茫洋とした深淵の目でじっと見た。


「マダラ?」
「・・・アヤメの葬儀はしねえ」
「なっ、皆、アヤメを送りたいと言っておるんぞ?それを知らぬわけもないだろう」
「ああ、知っている。知っているが、・・・アヤメは、もう誰の目にも晒さん」
「ど、どういう事ぞ、マダラ」
「・・・さあなァ」


 見たこともないような友の深淵に、柱間はその不気味さにただただ息を飲む事しか出来なかった。
 結局、マダラからはアヤメの葬儀はしないとの解答だけを受けて戻ってきた兄より、生前は何かとアヤメと関わることも多く、自身が珍しく心を砕いていたアヤメの別れすら碌にさせぬという男に扉間はその顔を盛大に歪めてみせた。
 だがそれよりも引っかかるのがマダラが柱間に言った、もう誰の目にも晒さないという言葉。


「どういうつもりなんだ、あの男は」
「分からぬ・・・。ここまでマダラの心の内が分からぬのは、初めての事ぞ」


 いくら大人になって隠し事の上手い男になったとはいえ、心を許した友である柱間には子供の頃のように隠し事もせずにその腑を見せる誠実な男だった。そんな友のことが、柱間は初めて分からなくなってしまった。
 この世の広くを見ていたあの黒い目が、今はどこか違う世界を見ているようで、しかし何も見ていないようであった。そんな友の目を柱間は初めて見た。そしてその身を包み込むような深い悲しみと絶望を、柱間は初めて見たのだ。
 それから数日が経ってから、マダラはアヤメが病に臥して以来久しく人前にしっかりとその姿を現した。いつも通りにうちはの装束に身を包み、ハネの強い長い髪を背に流してマダラは木の葉の往来を歩いていた。それに気付いた柱間は久しく見た友の姿に、できるだけ平静を装ってその名を呼んだ。最愛の妻を亡くしたばかりの友を、変に気疲れさせぬようにとの柱間の気遣いだった。


「ああ、柱間か」


 抑揚も少なく平坦にこちらを呼んだマダラは、確かに柱間の知っている友の姿で。どうにか立ち直りつつあるのかと、柱間はこれまでと同じようにマダラへと接した。

 それからまたしばらくが過ぎてから。
 執務室にて柱間と共に仕事をこなしているマダラの元に珍しく扉間が訪ねてきた。


「マダラ」
「・・・なんだ、扉間」


 いつもの抑揚のない声で名を呼んだ扉間を一瞥するのみで、再び手元の書類へと目を向けなおしたマダラは常よりも一つ低い声色でその呼びかけに返答した。そんなマダラの様子に気分を害した様子もなく、扉間は赤い目でうちはの男を見やる。


「アヤメの墓はどこだ」
「・・・なに?」
「、」


 扉間の言葉に、マダラが顔を上げた。その言葉を聞いた柱間もまた、思わず息を詰めて二人へと目を向けた。
 それは、今日まで柱間も聞きたくとも聞けなかった事柄である。アヤメの葬儀をしなかったために、マダラ以外の誰もがアヤメときちんと別れることができずにいる。時は短くとも、柱間はアヤメのことを友の妻というだけではなく、友人の一人だと思っていた。だからこそアヤメとの別れをしっかりとしたかったのだが、未だそれを聞くべきでは無いのだろうかと、最愛を亡くして落ち込んでいるであろう友の心を思えば言葉にすることも出来なかったのだ。しかし、扉間はそういう繊細な人の機敏など承知した上で、それを聞き出す豪胆さのある男だった。
 じっと黒い目を向けてくるマダラに、業を煮やしたかのように扉間は珍しく顔を歪めて赤い目を眇める。


「アヤメの墓は、どこだと聞いている。教えんか」
「・・・それは、言わん」
「なに?」
「アヤメの墓所は誰にも言わん」
「貴様・・・。アヤメの葬儀もせず、あまつさえその墓前に参ることもさせんというのか。貴様はアヤメをただ一人、暗い土の下で眠らせるつもりか」
「・・・」


 マダラの纏う雰囲気が一瞬にして変化したことに、柱間だけではなく扉間も気付いただろう。
 これまでマダラらしい色を浮かべていたマダラの黒い目が、いつぞやに見たような深淵の色を浮かべている。茫洋と揺れる目は扉間を睨むように見ているようでいて、その実どこも見てやしない。昏く揺れる深淵の色。チリチリと音を立てて黒い炎が燻るように、マダラのチャクラが低く揺らめく。
 それに息を詰まらせたのは、柱間も扉間も同じであった。そんな千手兄弟の様子など目に入らないといった様子で、しかしその深淵の目でどこかを見るマダラの視線は未だに扉間に向いたままでもある。


「アヤメは死んだ。もうこの世にはいない。お前たちは十分に生きていたアヤメを知っているだろう?これからは、アヤメのことを知るのはこのオレ一人で良い」
「貴様、一体何を言っている」
「その言葉のままだ、扉間。この世でアヤメのことを知るのは、この先オレのみで良いと言っているのだ」
「な、何を言っておるのか分からんぞ、マダラ・・・」
「ああ、柱間・・・。お前たちは知らんでも構わんことだ。ただ、アヤメはこれからもオレの唯一であり続けるだけだ」


 昏く暗く沈む友の目を、また柱間はただただ見ていることしかできなかった。
 やがてマダラはその深淵に呑まれるように、日々を茫洋として生きている様子であった。かつてのような生気も感じられず、ともすれば黄泉の鬼に呼ばれているかのように見えていたものだったが、しかしある日を境にそれが変わった。かつてまでとはいかないが、マダラは徐々に日々をしっかりと見据えて生きるようになり、深淵に濁っていた目で明日をしっかと見るようになった。
 ああ、またこれでかつてのマダラに戻るだろうと。そう柱間は胸を撫でたものであったが、その実はそうでは無かった。
 ある晩、マダラに呼び出された柱間は、うちはの神社の地下にてその石碑を目にした。うちはの写輪眼を持つ者にしか読めぬらしいそれを、万華鏡まで昇華させているマダラがまるで子供に読み聞かせるように柱間に簡潔に説明してくれた。
 うちはの未来を案じるといった様子を見せるマダラに、柱間は懸命に説得を重ねる。扉間ならば、兄であるオレに任せてほしい。火影の補佐として、柱間の兄弟として共に協力してほしい。お前なしではやれないのだと。
 けれどマダラから帰ってくるのは拒絶の言葉ばかりだ。マダラの言葉は残酷なまでに己の状況をしっかりと理解して述べられ、そしてその残酷は柱間の甘さを許さない。


「協力とは、いわば静かな争いでしかない」


 卑屈になるのはやめよう。この世は余興であるのだ。
 マダラは柱間の言葉を聞いているようで、全く聞いていない様子で言葉を重ねていく。そんなマダラの姿を柱間はこれまでに見たことがなくて、深淵の昏い目を輝かせて饒舌に語るマダラが今までになくどこか末恐ろしかった。


「本当の夢の道へ行くまでの間・・・。お前との闘争を愉しむさ」


 お前には見えないのさ。さらにこの先が、先の夢が。
 そうマダラは言って、この里を去った。
 マダラの言う夢とは何だったのか。
 柱間にとっての夢とは、幼い頃のマダラと共に語り合ったように、子供が戦場に行かなくても良い集落を作ることであった。そしてその平和な集落にて、何よりも高尚な友であるマダラと共に、肩を並べて歩みを進めることであったし、時には共に酒を酌み交わして笑い合うことであった。
 どこから違えたのか。いつから違えてしまったのか。
 きっとその最初の歪みは、うちはイズナが死んだことからだった。それをうちはアヤメが留め、その愛でアヤメがマダラをただの人に繋ぎ止め続けてきた。しかしアヤメという楔が喪われてしまった今、マダラはもはや人では無く修羅へと変わり果ててしまった。友であるはずの柱間では、マダラを留める楔になり得なかったのだ。


「お前が言っていたのは、このことだったのか・・・アヤメ」


 兄からマダラの里抜けを聞いた扉間は、深く頭を垂れながらいつかのアヤメの言葉を思い出した。
 己の死後、マダラが孤独に苛まされないように、その記憶をアヤメ自身で彩り、そして飢えるマダラの体をアヤメの愛で一杯に満たしておきたいと。延命をするよりもそれを優先させた理由は、こうなることはアヤメには分かっていたからだろうと扉間は思った。
 ならばと。ならば尚のことアヤメが生きているべきであった。マダラはアヤメが思っている以上に深く深く、アヤメのことを愛しており、その渇きは決して満たされることはない。アヤメという唯一を喪ったマダラを人として留めておくことができる者などいやしないのだから。


「お前は生きるべきであったのだ、アヤメ。お前が居れば、あるいは・・・」


 マダラはその身を、その心を人としてあり続け、そしてこの木の葉にあり続けた未来もあったのではないかと。
 扉間はうちはを危険視しているし、その中でもマダラを最も危険視していた。しかしそれもアヤメが居れば話も変わる。アヤメがマダラに潜む鬼と深淵とを受け止め続け、飢えるマダラを無限の愛で慈しむ限り、マダラは再び脅威となることもないだろうと確信していた。扉間はマダラを正しく評価している。だからこそ、あの男がこの世界に唯一残った最愛を何もよりも慈しみ、アヤメがあるならばとその牙を納めてきたのを知っている。
 ああ、お前の願いを聞くべきでは無かったのだ。
 いずれ死にゆく美しい女の最後の願いに折れてしまった扉間もまた、あの美しい花を愛でたかったただの一人の男にしか過ぎないのだ。

***

 体温を失ったとしても、アヤメはこの世で最も美しい存在には変わりがなかった。
 艶のある長い髪も。ぬるい体温を秘めていた柔肌も。影を作る豊かな睫毛も。瞼の下に隠れた宵色の輝きも。その身に宿した血脈の証たる、一族の誰よりもまるで血のような濃い万華鏡の色も。控えめで、けれど柔らかく愛を囁き続けた唇も。
 もう二度と誰の目にもアヤメは晒させない。
 うちはの軍事記録や書物を記していた者たちには瞳力を以って全ての書物からアヤメの名を消させた。書物の中に残されていたアヤメすらも、後世の者にだってその名さえ目に触れさせはしない。
 すべて、すべて、オレのものなのだと。
 棺桶の中にて穏やかに眠り続けるアヤメの冷たい頬をひと撫でしてから、名残惜しく思う心を振り切るようにその蓋を閉める。厳重に釘を打って封をして、アヤメの眠る棺桶を簡単な土遁で掘った穴へとゆっくりと落とす。そうして再び土遁を用いて少しずつ棺桶を隠すように土をかぶせていった。
 やがて、地中深くに埋まってしまったアヤメを探すように、じっと地面を見つめてからゆるゆると顔を上げる。見上げた先にあるのは、いつかの日のような満開の桜ではなく、蕾もなっていないような寂しい枝先と空ばかりで。

 春になれば、お前を桜が覆い隠してくれる。夏には野生の花々が、秋には紅葉が、そして冬には雪がお前を楽しませてくれるだろう。
 ああ、どうか愛しい君よ。この始まりの地にて、いつまでも待っていてはくれまいか。いずれこの地獄の世を抜けて、君とまた再び相見えるその日まで。君が望んだように、オレは君を想い続けて生き続けるから。だからどうか、愛しい君よ。

『マダラ』

 再び会いしその時には、どうかその美しい花の身で、この煉獄の体を抱きとめてくれ。


「アヤメ、しばしの別れだ」


 然らばだ。
 それから、マダラはアヤメの死んだこの日から丁度ひと月後に里を去った。最愛をこの世から喪い、里を去ったマダラは最期、友である柱間の手にかかって命を落とした。
 それはその後に続くうちはマダラの夢へと続く、長い長い孤独の始まりでもあった。
 マダラは信じている。夢の果てにて、きっとそこでマダラの最愛たちは待ってくれているのだと。

『もう。仕方がないなあ、兄さんったら』

 そう言って愛弟が微笑んでいる姿を。
 そしてその隣にて、最早懐かしい梔子の香りに満たされた愛しき君があの日と同じように笑っているのだと、マダラは心より信じている。

 そしてうちはアヤメは。
 まだまだ先の世にて、そこがマダラとアヤメが初めて出会い、別れた地とも知らぬ男に墓を暴かれるまでひっそりと。
 ただそこにて愛しき夫を待ち続けている。

2018/01/16
(2018/12/24)
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