ぼくは世界よりもきみがほしい


 弟は一族を頼むと言って託して逝った。父は立派なうちはの忍となれと望んで逝った。ならば、今を共に生きる彼女は己に何を望むのだろうかと。
 そんなことをふと考えることがあった。


「まだ、もっとチャクラを練って、」
「はい、アヤメ姉様」


 演習場にて。アヤメの年の離れた従弟であるカガミの火遁を、今まさに彼女は見てやっているところである。
 十を越えた年頃になってきたカガミは、アヤメの親族という事もあってどことなく彼女とも似た顔付きをしている。しかしカガミはアヤメよりももっと垂れた目をしているし、短い黒髪はうちはには珍しくくるくると癖付いている。常は涼しい顔付きをしているという部分が、最も彼女と似通っている部分だろうかと。アヤメの言葉に従ってチャクラを胸に練り上げているカガミを見てそう思った。
 カガミの父はアヤメの父であるシブキの弟で、前族長でありマダラの父のタジマと共に殉死した兄とは違って、未だに忍としても健在な男である。カガミの父も死んだ兄と同じくかつてはタジマの部隊に所属する優秀な男であり、タジマの死後の編成でイズナ部隊に配属され、そうして今はマダラに従う忠実な部下の一人となった。
 彼は父親としても優秀で、忍としても優秀な男であった。今まさにうちはが直面している問題についても他の者とは違ってマダラの言にも耳を傾ける柔軟性を残している男の一人でもあるのだ。
 うちはの問題とは。
 今や実しやかに囁かれているうちはの噂。うちはの闇を投影したかのような噂である。
 曰く。うちは一族の力の根源は憎しみであり、その憎しみが強ければ強いほどにうちはの者は力を手に入れることができる。しかしその憎しみは留まることを知らずに膨れ上がり続け、やがてその力にうちはは溺れ暴走する。うちはマダラのように。
 曰く。うちはマダラは自身の力の為に、手傷を負った実の弟から写輪眼を宿した両の目を奪い抉り出し、己の目を永遠の万華鏡にまで昇華させた。負っていた手傷に加えて、実の兄の無情な行いによって、うちはイズナはその命を果無くさせたのだと。
 この噂の出所がどこかなど、そんなこと最早どうだっていいことであった。問題はこの論を多くの者が知り、そして信じていることにある。そしてこれに似たことをあの千手扉間が語っていたことだ。
 先の噂話は信憑性のないものであるが、扉間が吐く言葉はそうではない。あの研究者じみた気質の男は、自身の論ずる言葉はしっかりと証拠を抑えてから口にする。

『里をつくった立役者は兄者の方だと。それはうちはの者たちまで言ってることだ』
『奴らの瞳力が憎しみが強い者ほど強く顕れる。写輪眼がそうだ。何をしでかすか分からぬ連中だ。・・・これからの里にとって・・・』

 それを耳にしたのは少し前のことであったが、あの男のその言葉が耳を離れない。
 この里にとって、この言葉の先に続いたであろう言葉は何だっただろうか。うちはは危険分子にしかならぬとでも言うつもりだったのだろうか。あの時は柱間が扉間のそれ以上を遮った為に聞くことは叶わなかったが、まあ予想するにそう間違った内容でも無いだろう。
 ついに影となることは出来なかった。初代はあの柱間に。そして次代の影は、あの扉間がなることだろう。その時にあの男はこうまで警戒するうちはをどう処遇するだろうか。まさか柱間のようには甘いわけもあるまい。うちはのうちはたるべき炎の矜持を奪い、自由を奪い、牙を封じ、そしてうちはは千手の犬として頭を垂れなければならなくなるのは明白だ。
 そうなる前にと。そう先のうちはの議会で長老共に論じたが、マダラの言葉に耳を傾ける者は誰一人としていなかった。

『やっと戦ばかりの日々が終わり、族長自身が望んだ里が出来たというのに、何を愚かなことを・・・』
『周辺各国もまた木の葉を倣って里を作り始めているというのに、今更うちはのみが独立して生きながらえることができるとは到底思えん』
『そもそも、千手と手を組むと言い始めたのは族長であろう。それをまた族長の妄言一つで覆すなど、付き合わされる我々の苦労を知られよ』

 そういうようなことを口々に言い、皆がマダラの杞憂を一蹴したのだ。
 そんな彼らを前に、マダラは思ったのだ。
 これが己の望んだ平和だったのか。こんな目先のぬるま湯に浸ることばかりを考えて、未来を読めぬ腑抜けた一族のためにイズナはこの両の目を兄に託してくれたのか。父はこんな腑抜けこそがうちはであると言ってくれるだろうかと。
 そうしていつも思い至るのだ。
 こんな一族を守る必要がどこにあるのかと。平和を望みながらも、戦乱の時代を懐かしみ渇望する自身の内面にはとうの昔から気付いていた。
 いや、正しくはそうではない。マダラが望んだ平和とはただ一つ。己の名を呼び、花のように笑みを綻ばせるアヤメが側におり、そして兄を呼ばうイズナがいる平穏だ。マダラが心の底より望んだ平穏の世界は、マダラがいて、アヤメがいて、イズナがいればそれで良い世界なのだ。一族の皆などはただの後付けにしか過ぎない。そして柱間はいつまでも命をかけ合う存在同士で良かったのだ。
 ああ。いつも行き着く先の答えはこればかりである。族長としてならぬ考えであるが、これをアヤメが知ったとなると何と言うだろうか。ならぬと己を叱るだろうか。それともそれがマダラの望みならばと許してくれるだろうか。きっと、アヤメの気質であれば後者を選ぶだろう。彼女はそういう女であるのだ。


「マダラ?」
「族長様?」


 ふと、思考の海に投じていたマダラの意識を掬い上げる声が二つかかった。それぞれ違った声色であるが、どちらともに耳障りの悪くない音である。
 意識を戻したマダラはその声に呼ばれるままに顔をそちらへと向けた。するとそこには窺うような顔色でこちらを見やるアヤメとカガミの姿があって。ああ、と返事をして見せればどこかほっとしたような様子で二人は息を吐き出した。


「随分、難しい顔をして考え込んでいたけれど・・・平気?」
「ああ、悪い。何でもない」


 それなら良いけれどとゆるく笑みを見せるアヤメにつられるように、カガミもまたその目を更に垂らして見せるのだ。
 そんな彼らの様子に目を細めたマダラは、先程までの己の不穏な考えを無くすように小さく頭を振ってから、すいとカガミを見やった。


「カガミ」
「は、はい!」


 歴代最強と呼ばれる族長のマダラに真っ直ぐに見つめられ、そして名を呼ばれたカガミは途端に緊張した様子で肩を竦めながら返事をする。カガミのそんな反応に彼には聞こえない程度の小ささで笑ったマダラは、今までアヤメが教えている姿を見るべく修行している二人から距離を取った場所に立っていたのだが、それまでと打って変わってカガミへと近づいて行く。
 そうしてカガミの前までやって来たマダラは、いつの間に手にしていたのか、アヤメが用意していたはずの刃を潰した練習用の二振りの刀を手にしていた。その内の一振をカガミへと渡したマダラは、己の手の中にあるそれを慣らすようにくるりと回す。


「剣術はこのオレが見てやろう」
「! あ、ありがとうございます!」


 いつも須佐能乎や火遁の派手な技で忘れられがちであるが、マダラの剣術は中々のものである。歴代最強の名に相応しく、今のうちはには剣術でもマダラに勝てる者は誰一人としていない。
 まさに、マダラは天賦の才を持つ男である。
 そんな男に直々に手習いをしてもらったのは、かつてその弟のみだった。その弟もまたうちはの強さの象徴たる忍であった男だった。その男を、イズナをカガミは尊敬するうちはの忍として名を挙げており、そして族長であるマダラもまたカガミの尊敬するうちはの忍の一人であったのだ。
 そんなマダラより直々に習うことのできる機会を得たカガミは、マダラより先ほど手渡された練習用の刀を胸に抱きしめて大きな声で礼を言いながら、尊敬する族長へと頭を下げた。

***

「あいつは良い忍になるだろうな」
「え?」
「カガミのことだ」


 夜も深まり、寝酒を楽しんでいたマダラは、ふと昼間の鍛錬を思い出してぽつりと呟いた。それを隣にいたアヤメはしっかりと聞き取っており、何の事かと不思議そうな顔を向ける彼女にマダラは小さく笑みを浮かべながらその名をアヤメに伝えた。それを聞いて合点がいったように小さく頷いたアヤメもまた、マダラの言葉にそうねと肯定を示した。
 マダラだけではなく、アヤメから見てもカガミはそれだけ伸び代の期待できる子供だということなのだろう。


「あの子は幻術が特に伸び代があるようだから、本当に楽しみな子よ」
「ああ、お前と同じ系統か」
「ええ。だからきっとうちはにとって良い忍に育ってくれると期待しているわ」


 月明かりに照らされる中で、穏やかに笑みを浮かべるアヤメの横顔をマダラはぼうっと見つめた。
 アヤメと出会ってから気付けばもう十年以上の時が過ぎたというのに。彼女の美しさは何も変わらない。いつか、アヤメの父のシブキや己の父であるタジマが危惧していたように、彼女のその病的な美しさで何かが起こったという事もなく、ただただアヤメは平穏に慈しみと愛情でその身を一杯に満たしている。そして、アヤメのそれらの感情の全てはマダラただ一人にのみに向けられ、そして注がれている。
 だが、アヤメを己だけのものとして独占したいというマダラの心を病んでいるというのならば、それは否定のしようがない。できるだけアヤメを他の男の目に晒したくは無いし、叶うのならば彼女をこの両腕の中に囲ってしまいたいとさえ思っている。その思いを抱いたのがいつからであったかなど最早覚えてはいないが、しかしその思いはマダラの心の奥に今も根付き続けている。
 アヤメはマダラにとって唯一の花である。この世の何よりも美しく芳しく、そして唯一無二の存在。誰にも汚されることはない孤高の存在としてあり、それに手を伸ばすことができるのはただ一人のみでいいのだ。アヤメがいるから、マダラは未だにうちはに背を向けることなく止まることが出来ている。アヤメが里で生きているからこそ、マダラはまだこうしてここにうちはマダラとして居ることが出来るのだ。


「アヤメ」
「なあに?」


 呼べば何の疑いもなくこちらを見る宵色の目。誰もが恐れるマダラの目を疑いもせずに無垢に見つめるのは、もうアヤメと柱間しかいない。
 しかし当然だが柱間とアヤメは違う。例えアヤメは、マダラがこの目に万華鏡を映したとしても何の躊躇いも無くこちらを見つめてくれる。そうして笑ってくれるのは、もうこの世にはアヤメひとりしかいない。かつてはもう一人がいたはずたったのに。
 こちらを向いてゆるく微笑んでくれているアヤメへとひそかな寂寞を隠して手を伸ばし、その僅かな距離さえ詰めるように膝を寄せる。彼女の顔にかかっている髪を緩く撫でて耳にかけてやり、心地よさげに細めている目元を撫で、頬をそっと撫でる。


「アヤメ、」
「マダラ?」


 顔を近づけて名を呼ぶと、応えるように潜めた声でこちらを呼ぶその声すら愛おしい。アヤメを愛しいと、愛おしいと恋う心ばかりが大きくなる。いつになってもその想いは変わることなく胸の中にあり続け、愛し愛しと囁き続ける。
 確かに己はアヤメに病んでいるのだろう。アヤメという女に溺れ、抜け出ることのできない奈落に落ち、それでも尚アヤメを愛しているのだから。どうすればこの心は満たされるのか。アヤメを求めてやまない心は、どうすれば少しでも満たすことができるのだろうか。
 アヤメのこめかみに唇を寄せ、目元に、頬に、そうして彼女の唇と自身のそれを合わせてその柔さを楽しむ。何度も何度も重ね合わせ、舌を忍ばせればそれに応えるようにアヤメもまたそろそろと口を開いてマダラを招いてくれる。その健気さが可愛らしくて仕方がない。やがて我慢できないというように溢れ出す、鼻から抜け落ちる甘い吐息がマダラを急き立ててくる。
 忍ばせていた舌を抜き、後を追う糸を切るように浅く口付けてからマダラはほんの少しだけ顔を離す。と、見えるのはこちらをぼんやりと見つめる甘く蕩けた宵色。常の静かな宵色も美しいが、それ以上にこうして蕩けた宵色は格別に美しく、マダラの胸中を大きく揺さぶる。
 ああ、愛しい。愛しいと体の奥底で声が囁いてしようがない。アヤメが欲しいと、未だにこの身の奥底で飢える何かが訴え続ける。彼女がどこかへ行ってしまわないようにと、彼女という花が朽ちてしまわないように縛り付けたいと、何かがそう強く訴えてくる。
 ああ、ああ。どうすればアヤメを自身の元に縛ることができる?どうしたら彼女は永遠にマダラの側で咲きほころび続けてくれるのか。


「アヤメ、」
「、うん?」


 零れ落ちた彼女の名を呼ぶ声に込められた暴力的な独占欲の全てすら、アヤメは真っ直ぐに受け止めてくれるだろうか。
 緩められたアヤメの目元に唇に寄せ、マダラは自身の脳裏に浮かんだ一つの考えにようやく思い至る。
 そうだ。手っ取り早くアヤメを自身の唯一の存在とするためには、一番確実な方法が一つあるだろう。彼女をここに縛り付け、そうして彼女を永遠にこの両腕の中で愛で続けることのできる唯一の方法。ああ、そうでなくてもいい。そんなものはただの後付けにしかすぎない。ただただ純粋に、マダラはアヤメが欲しくて飢えて仕方がなかった。
 柔くて心地の良い唇に再び軽く口付けて、マダラは両腕でアヤメの体をぎゅうと抱き込んだ。アヤメの温い体温が心地よく、そして細くて小さなその体がどうしようもなく愛おしい。


「・・・アヤメ。お前との子がほしい」
「え?」
「お前との、切れぬ繋がりが欲しいんだ」


 女々しいとは自分でも自覚していた。しかし、それでも言葉にはせずにいられなかった。
 アヤメがいるからこうしてマダラはまだ人として生きていられることができる。鬼とはならずに、人の心を持ったままいられる。イズナを喪った喪失感もアヤメがいるから耐えることができるのだ。
 アヤメの髪に手を差し込んで頭ごと抱きしめれば、マダラのらしくない言葉に少しばかり驚いた様子を見せていたアヤメであったが、ややあってからアヤメが小さく笑う気配が伝わり、そうして彼女の細い腕がそっとマダラの背中へとまわされた。


「わたしも、」


 小さな小さな声で囁かれたアヤメの声に、マダラは彼女を一層のこと両腕に閉じ込めるようにかき抱いた。布団までのたった数歩の移動すら惜しいと言わんばかりに手を這わすマダラに、アヤメはささやかな抵抗を示してみせ、愛しい女の思いを汲んだマダラは不埒な動きをしていた手を留めて、アヤメをその両腕に抱いたまま立ち上がる。驚いて小さく声をあげるアヤメの可愛らしさに笑みを零しながら、マダラは彼女の求めるがままにその体を布団の上に出来るだけ優しくそっと背を下ろしてやる。そうしてこちらを見上げる彼女の上に乗り、マダラはそこからアヤメをじっと見おろした。
 アヤメの目に滲む甘い情の色。果たして彼女の見る己の目にはどんな感情が映っているのか。
 月明かりの細く射し込む中にて、浮かび上がる宵色に吸い込まれるようにマダラはその色のみを欲して身を重ねた。

2018/01/14
(2018/10/17)
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