いつか、永遠が終わる前に


 白い柔肌に走る、まるで浮かび上がるような赤い傷跡をそっとなぞる。


「ん、・・・マダラ?」


 うちはの他の女たちには無いであろう、いく筋にも残るそれら。赤い傷跡はいっそ艶かしいまでに白に映えている。腕や肩、太腿や脹脛。脇腹なんて際どい部分にもその赤い傷跡は残っているそれらに目を向け、そうしてからこちらを見上げる彼女のかんばせを見た。
 平素であれば穏やかに、そして限りない慈しみをその宵色の目に宿して微笑んでいるアヤメは美しく、それでいて理性的な女である。しかしそんな彼女も、こうして夜を纏えばたちまちにその深さに溺れ沈む。そうなった彼女の目に映るのは、まるで吸い込まれそうなほどの情欲に煌めく宵闇色と、それを食らい尽くさんとする己の闇色である。
 どこか惚けたような様子でぼうとこちらを見るばかりの愛しい女にマダラは小さく笑って、柔らかな彼女の頬をそっと撫でた。


「アヤメ」
「なあに?」
「お前、少し痩せたか?」
「ええ?そんなことないと思うのだけれど」


 むしろ、事務仕事ばかりで体が鈍ってばかりよ。と、ゆるく微笑むアヤメにマダラはそっと目を細めた。
 もともと女という性差もあって、アヤメはうちはの忍衆の中で最も体格は華奢であった。戦場に立つということもあって細く引き締まった体型をしているものだから、うちはのゆったりとした装束を身に纏うと、装束から出た首筋や手足首の細さが一層強調される体つきだった。しかし、もちろんのことではあるが男と比べれば断然にまろみを帯びており、肌や皮膚の下にある肉は柔らかく、そしてくびれている。
 マダラもまだ族長の息子という立場であった頃には、父により男としての嗜みだと夜枷をそういう女から教わったことがある。
 うちはは一夫一妻制で、夫婦となった男女はお互いを生涯愛し抜く一族である。夫婦となる相手も自身らが納得する相手でなくば断ることもできるし、強制される婚姻には命を絶つ者も少なくはない。それくらいにうちはの愛は重いものなのだ。
 そのため、特に女たちは自身の唯一の男が最初で最後の男となる。しかしうちはの男たちはそうもいかない。初めての女を相手にまごつくのは男としての矜持が許さないし、愛した女には悦くなって欲しいのが男というものである。そのため、特に集落の中でも立場のある男たちは親よりそういう商売をしている女を用意してもらって、夜枷を学ぶのだ。
 マダラもアヤメを娶るまでに何人かの商売女を抱いた経験がある。
 しかしそれは知識のためや、どうしようもない性欲を放つ時のみで、それ以上の感情を商売女たちに抱いたことはない。もはや事務的なものであったその行為に当時はなんら感慨も無かったのだが、アヤメに対してはそうではない。
 彼女が辛くはないか、苦しくはないか、悦く感じているか、どこが弱いのかなど。擦り切れそうな頭の中をアヤメのことばかりが支配する。とどのつまり、マダラはそれほどまでにアヤメのことを愛しているというのだ。
 記憶の彼女よりも痩せたように感じたが、しかしアヤメがそうではないと言うのならばそうであろうのだろうと。マダラは意識を再びその白い艶やかな柔肌へと向けた。
 小さく音を立てながら、目の前に広がるアヤメの背や腕、肩に残る傷跡一つ一つに丁寧に唇を合わせながら、そうして最後に彼女の細いうなじへと甘く噛み付く。


「んん、ふ、」
「アヤメ、愛している」


 アヤメの背からのしかかるように肌を合わせ、彼女の背に舌を這わせながら左手で彼女の腰を持ち上げ、その間から右手を伸ばして彼女の一番柔らかな部分へと指を這わす。
 甘く喘ぐアヤメの嬌声と柔肌に、マダラは再び深く深く溺れた。

***

「貴様、少し痩せたか」
「え?」


 書類に向けていた目を、アヤメは突然声をかけてきた扉間の方へと向けた。すると扉間は珍しく自身の仕事である書類を片手に持ちながらも、鋭い赤い目をアヤメの方へと向けていた。
 いつもならば事務的な会話以外は黙々と仕事をこなしている男だというのに、珍しいこともあるとアヤメは僅かに首を傾げながら先程の扉間の問いに答えようと口を開いた。


「突然、なに?」
「いや、何だというわけではないが。・・・以前よりも細くなっているし、顔色もあまり良くないだろう。化粧で誤魔化しているつもりだろうが、オレの目は騙せんぞ」


 研究者気質ゆえの観察眼というものだろうか。
 ズバズバと言ってくる扉間の言葉に、あわよくば上手く、と思っていたアヤメもついつい閉口した。そんなアヤメの様子を見て、扉間が鋭い目をますます細めるものだから、アヤメは慌てて誤魔化すように平素を意識して笑みを浮かべた。


「最近、少し風邪気味なだけよ」
「本当か?きちんと医師にはかかっておるのか」
「ええ。ちゃんと診てもらっているわよ」


 それは嘘ではない。
 嘘というのは少しの真実を織り交ぜて話した方が信憑性は増す。
 アヤメはそうやって、これまでマダラを誤魔化し続けている。彼以上に鋭いらしい扉間を誤魔化しきるのはかなりの骨が折れそうではあるが、しかしアヤメはそれを知られるわけにはいかないのだ。
 鋭く細めた目でこちらを見やる扉間の目には、今の返答では誤魔化しきれていない懐疑の色が浮かんでいるのが見て取れて、さてどうしようかと笑みの下でアヤメが思案した時であった。
 小さく扉を叩く音がし、扉間の目がそちらへと向いたのだ。


「・・・入れ」


 一拍置いてから扉間が入室を許可すると、どこか控えめな様子で扉が開けられる。そうしてその隙間から姿を現したのは、アヤメの見慣れた少年であった。
 うちはにしては柔らかく癖のある髪をした少年は、扉間へと礼儀正しく頭を下げた後にしっかりと目を前に向けたまま口を開いた。


「失礼致します、千手様」
「貴様はうちはの子供か」
「はい。アヤメ様に御用があり、参りました」
「ああ、構わん」


 一応、現在アヤメは扉間の部下という形となっているのだ。実質は教本作成に関しては二人は同等に仕事をこなしているが、表向きの形式としてはそういうことになっている。
 扉間の許可を得た少年は、そのまま体の向きをアヤメの方へと向けて小さな足で側へと寄ってくる。


「アヤメ姉様、お時間ですよ」
「迎えにきてくれたの?カガミは本当に良い子ね」


 アヤメに褒められたのが嬉しいのか、にこりと笑うカガミにアヤメもまた柔らかく微笑みを浮かべている二人を見ていた扉間は小さく首を傾げた。
 カガミという少年は、アヤメのことを姉様と呼んだのか。だがしかし、以前聞いた話によるとアヤメの実弟は既に亡いはずであるが。
 どういうことだと、扉間が思案していることに気付いたらしいアヤメが、はたとこちらを見てからその目をカガミへと向けた。


「この子はカガミ。わたしの年の離れた従弟なの」
「うちはカガミと申します。初めまして、千手様」
「ああ、従弟か」


 それで、姉様、か。と、カガミのアヤメに対する呼び方に納得がいったという顔をする扉間に、アヤメはゆるく目を細めた。そうして自身の机の上に置かれていた書類を手早く纏め上げると、アヤメは椅子から立ち上がって扉間の方へと体を向けた。


「扉間。悪いのだけれど、今日はもう帰らせてもらうわ」
「良いだろう」
「ありがとう。さあ、カガミ、行きましょう」
「はい。それでは、失礼します」


 礼儀正しくきちんと扉間にも一礼をしてから、カガミは先を行くアヤメの後を追うようにして、執務室から出て行った。

***

 全ての用を済まして、夕日の照らすその帰り道。カガミは少し前を歩くアヤメの背を追いながら、その細い背中をじっと見つめていた。
 カガミにとって、アヤメは本当の姉のような存在であった。優しくも強く、そして目一杯の慈しみと愛情を注いでくれる姉。それと同時に、カガミにとってアヤメは忍の師でもあった。
 そんな彼女の背を追いかけながら、ゆったりと歩くアヤメに声をかけた。


「アヤメ姉様・・・。これで、本当によろしいのでしょうか」
「カガミ。何度繰り返しても、その問いは愚問よ」


 はたと立ち止まったアヤメは、僅かに首を動かしてカガミへと振り向いた。
 その目に映った確固たる意志の強さに、カガミはそれ以上を言い募ることができなくなってしまった。萎縮したように口を閉ざしたカガミを見やってから、少しの後にアヤメはその目にいつもの穏やかさを戻してくるりと振り向いた。そうして屈み込んで、カガミと同じ目線でアヤメはゆるく微笑んだ。


「もうわたしは決めているの。ずっとずっと昔から、わたしはマダラの側にいると決めた時から、ずっと。わたしはあの人を信じているの」
「けれど、アヤメ姉様・・・。マダラ様は」
「カガミ・・・。良い子だから、わたしの唯一の願いを聞いてちょうだい」


 ゆるく頬を撫でるアヤメの手の温かさに、カガミはぐっと押し黙った。
 アヤメの言葉はずるい。唯一の、なんて言われてしまうと、カガミはそれ以上を何も言うことはできなくなってしまう。例え、この隠し事が後にアヤメの最愛の男に知られて、その時に罰せられてしまう身であったとしても。それでも、カガミはこの優しい姉の言葉を無碍にすることだけはできなかった。
 それがアヤメのずるさであり、アヤメもそれを自覚している。
 ぐっと眉間に皺を寄せて、今にも泣きそうな顔をしているカガミへとアヤメはすまなさそうにただ微笑むことしかできなくて。


「さあ、カガミ。お家へ帰ろう?」


 差し伸ばされた細く、頼りない温かな手を見て、カガミはそっとその手を重ね合わせた。
 手を引いてうちはの集落へと続く道を再び歩き出したアヤメの細い背中を見上げながら、カガミは目を細める。


「カガミは・・・アヤメ姉様に生きていてほしいんです。それはきっと、マダラ様も・・・」


 そう願うカガミがアヤメに望む唯一の願いを、アヤメは聞き届けてはくれないのだ。
 ポツリと呟かれたカガミのその言葉はアヤメに届くこともなく、夕焼け空の中に溶けて消えた。

2017/12/31
(2018/08/15)
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