月の囀りが聴こえませんか
集落を一望できるその崖には、まず千手一族が到着していた。時間まではまだ幾許かの時間があり、扉間によってその場へと千手が早めに到着するように調整されていたのであろう。
そうしているうちに、この調印式を一目見ようと周辺各一族の族長と、その側近数名と護衛団が到着し始めた。猿飛一族、志村一族、日向一族、奈良一族、山中一族、秋道一族など。うちはとも千手とも手を取ったり戦いあったりしたことのある一族の面々が、この調印式に参列していた。
ぞくぞくと集まり、そして刻限の近付いていく中、未だ姿を見せないうちは一族に扉間はその表情をどんどん険しくしていく。
「うちははまだか」
「まあまあ。これまで血と一族を重んじてきたうちは故の仕度というものもあるのだろう。まだ、時間もある」
「大事な式だというのに、そう時間にだらしなくされては他に示しがつかんだろう」
その不満を隠そうともしない扉間へ、おおらかな柱間は宥めるように優しい声で諭す。も、それも大した効力はなかった様子で、相変わらず扉間は険しい表情を浮かべ続けていた。
そうしているうちに、崖の麓にて待機させていた扉間の部下が瞬身によって現れる。その者は扉間の背後より近付き、その耳元に小さく何事かを知らせているように見える。それに小さく扉間が頷いて返事をしやったのを確認してから、忍は再び瞬く間に姿を消した。
「なんぞ、扉間」
「ようやくうちはが到着したそうだ」
「おお!そうか!」
その到着の知らせを受けた途端に破顔した兄の姿に、扉間は小さく息を吐き出す。この兄は、ことうちはの事になると途端に甘くなる。これからは他一族も増えるはずであるのだから、こうも明からさまにうちはに甘いのはいかがなものか。
それに。兄はうちはを、特にうちはマダラを心の底より信頼して友とまで呼んでいる。地獄の業火とまで言われ恐れられていたあの一族の獰猛さと危険さを、扉間は今も危険視し続けていた。共に集落を作る相手としては受け入れてはいるが、まだ懐を開ききることはできない。これは扉間自身の性格のため、柱間もそんな弟の心情を理解した上で非難することもないのだ。
と。徐々に人々の恐れの混じった騒めきが近付いてくるのと同時に、こちらへやって来る大きな火のチャクラの集まりに扉間はそちらへと目を向けた。
先頭をうちはの若い忍が二人・・・あれはマダラの直属部隊の男だろう、が歩き、その後ろを一族の長であるうちはマダラが歩いている。その後ろに控えているのは、女の身ながら族長の側近となったうちはアヤメだ。続いてマダラ隊の者、アヤメ隊の者と、かつて千手が戦ってきたそれぞれの小隊が、それらの隊長を先頭として隊を組んで歩いてくる。
うちはは千手とは違って正装こそが戦装束であるようで、戦いの中でよく見た鎧の下に着ていた襟首の長いゆったりとした線の黒い服を全員が身に纏っている。
隊を成してこちらへと歩いてくるうちはが通る道を、まるで海が割れるように人々が道を作る。この日参列している他一族の者たちも、決して弱小の一族というわけではない。それぞれがそれなりに名を馳せた勇猛な一族である。今日参列している一族の殆どがうちはとは敵対していたということもあるのだろうが、そんな歴戦の彼らですらうちはを恐れている。特に、うちはを象徴し、彼が通った後には生き物すら残らず、ただ地獄の業火に舐められた大地だけを残すといううちはマダラを、憎み恐れているのだ。
そんな感情の揺れを敏感にも感知してしまう扉間はその眉間に皺を刻む。この感情を払拭せねば、この集落に他の一族が移住してくるのも難しいのではないか。しかしいくら扉間といえども、うちはに対する負の感情など、どう払拭すれば良いのか皆目見当もつかない。うちはの恐怖というのは、それこそうちはがこれまでやってきた所業ゆえのものであるし、それを恐怖し憎むのも当然の感情であるのだから。
ああ、これは頭が痛いと手を額に持ってくる扉間の様子には気付かない柱間は、うちはの家紋の垂れ幕の下がった場所までやって来た古き友を朗らかに迎えた。
「マダラ!待っておったぞ」
「悪い。少々手間取ってな」
「なんの!うちはは色々と一族の伝統を重んじるのだろう?構わん!」
そういううちはの風習も尊重するぞと、おおらかに笑い飛ばしてみせる友の姿に、マダラは薄く笑みをうかべる。
これまでに幾度と無く繰り返されて来たうちはと千手の族長同士の熾烈な死闘を知る他の一族の者たちは、見たこともないような穏やかな雰囲気を纏うマダラと柱間の姿にただただ驚愕を示していた。そこには最早、うちはに対する負の感情など忘れ去られていた。そんな彼らの驚愕をさらに深めるのが、族長の他にも参列しているうちはと千手の忍たちもまた友に会ったかのように普通に会話を交わしている光景だ。両族長とまではいかないが、それなりに普通の雰囲気で忍たちはお互いを見ている。戦場では、姿を見かけただけで必ずその命を奪わんとしていた者たちがである。
そんな他一族の驚愕など気にも止めない様子で、うちはも揃ったのだからと調印式が始まった。
千手柱間がまずは挨拶をし、うちはとの和合とこれからについてを語る。続いてうちはマダラが挨拶をし、千手との和合とこれからどうしていくのかという話を語る。二人とも、誰しもが同じように、これまでのことを無かったことにも忘れることもできないだろうが、しかしこれからまた新たに始めていくことができると。そのためにもまずは目先の憎しみ囚われるのでは無く、己らの子の代、孫の代、そしてその先の代へ繋がる未来を紡ごうと。言葉は違えどそういったことを語った。
和合を示す証たる書状にそれぞれが調印し、そして最後に柱間とマダラは固く手を握り合った。
***
調印式の後には宴が準備されており、この日参列した一族も同時に呼ばれる事となった。うちはと千手の者たちは族長に近しい者たちのみが参加しているらしく、その数は式の最中とは違って随分と少ない様子であった。
給仕には千手の女だけではなく、これまで人目に晒されなかったうちはの女衆が駆り出されており、見目麗しい女達がその場を大いに彩った。しかし、料理を運び、酒を用意するのがうちはの女で、宴を楽しんでいる男たちに酒を注いで回るのは千手の女たちだ。
その役割分担を見たマダラは、自身の横の座にて酒を飲んでいる友を見た。
「うちはの女を気遣ってくれたのか」
「これを計らったのは扉間ぞ」
「・・・そうか」
この役割分担を計らったのが友ではなく、その弟であることを知らされたマダラは途端にむっつりと黙り込んでしまう。そんなマダラの様子を見て、柱間は苦い顔をして小さく笑う。
マダラは今も扉間のことをあまり好いてはいない。というより、許しきれていないという方が正しいだろうか。無理もないことではあるだろうが、しかしこれからは共にこの集落を大きくしていくことに尽力せねばなるまい。そのことが分からぬマダラでは無いと、柱間は知っている。
その証拠に、勢いよく手の中にあったお猪口の酒を呷ったマダラは、己らの座している上座の一段下の柱間側に座している扉間を呼んだ。人々の声で騒めく広間の中でも、マダラの低く掠れたようにも聞こえる声は埋まることなく、真っ直ぐに扉間へと届いた。その声に顔をマダラへと向け、うちはとは違った生来の赤い目にマダラを写した。
「なんだ」
「・・・うちはの女衆の計らいについて、礼を言う」
マダラのその言葉があまりに意外であったのか、僅かに目を見開いてみせた扉間は一拍の沈黙の後、平静と同じ顔に戻って小さく構わんと返した。
そんな友と弟のやりとりに笑みを浮かべた柱間であったが、改めてその目にうちはの女を写した。
マダラはあの苦手な扉間にまで礼を言うほど、うちはの女のことを気にしている。それも無理のない話であっただろう。
うちは一族の特徴の一つにその容姿の端正さも挙げられる。うちははこれまで戦場には女を決して出すことはなく、男のみで戦っていた。そこに唯一、うちはアヤメが女ながらに戦場に立った時に走ったどよめきを柱間は今でも覚えている。
うちはマダラの後ろに、その弟であるうちはイズナと共に並んで控えている女。その女のかんばせはこれまでに見てきたどの女よりも美しかった。どこか病的にも魔性にも感じるその美しさには、柱間や扉間も含めて全員が惑ったことだろう。
それが、うちはの女であった。
この宴に際して、これも和合の証だとマダラがうちはからも女を出すと声を掛けてくれた時に、役割分担をさせようと言ったのは扉間であった。千手からも華やかな女たちを出し、その女たちに酌などの相手をさえ、うちはの女には給仕にのみ徹底してもらおうと。その扉間の提案は正解だったと言えるだろう。
千手の女にももちろん見惚れているが、それ以上にうちはの女に見惚れる者の数の方が多い。そして、
「アヤメ殿、一献いかがか?」
「ええ、お受け致しましょう」
給仕に回っているうちはの女衆を止めることができぬとなれば、誰に咎められるでも無く声をかけることのできる唯一のうちはの女へと、男たちは殺到していた。みっともないと言えばみっともないその光景であるが、しかし平和になったのだとも思わせる光景でもある。
女鬼だと、うちはの鬼の一角として恐れられていたアヤメの人柄が、ああも穏やかで柔らかいものだと誰が思っただろうか。その美しさに反比例して地獄のような幻術を見せ、人の心を壊し、そしてその炎と風によって戦場を地獄へと変える女を、誰もがマダラのような残酷で鬼畜そのものの性格だと思っていた者が多かった。だが、そうではないのだと、むしろとっつき易く穏やかであると知れた途端、こうである。
男とは単純なものぞ、と柱間は笑った。
絶えず男から酌を受け、そして返すアヤメの姿に心を砕いたのだろう。柱間の隣にて酒を飲んでいたマダラがそちらを見ながら口を開いた。
「アヤメ」
「なあに?」
側近とあれば、マダラとも気安い関係なのだろう。小さく自身の名を呼んだマダラの声を聞き逃すこともなく、アヤメは気安い様子で返事をする。
こちらを向いたアヤメの顔は、常であればうちはらしい白肌であるはずが、今日は男たちからの酒を飲まされたせいか赤く染まっている。顔だけではなく、その赤みが彼女が結い上げている首筋にまで走っているのだから、それを見ていた柱間もその色気にくらりとくるものがあった。彼女の側に集まる男たちも、その色香にあてられ、あわよくばとすら思っているのだろう。
そんな彼女の周囲の男どもにも気付いたらしいマダラは、周りのうちはの女には心を砕いているというのに、唯一処遇しきれなかったうちはの女がそんな目を向けられるのが我慢ならなかったのだろうと。やはりマダラは優しき男だと柱間は一人で納得して小さく頷いている。
横で勝手に感動している友の内心など知りもしないマダラは、そのまま小さく顎を引いてアヤメに何かを言葉なく伝える。何ぞ?と柱間はマダラの様子に途端に首を傾げる。が、その合図を向けられた本人であるアヤメはすぐに何かを察したようにゆるく笑みを浮かべると、自身の周囲にいた男たちに断りを入れて座を立ち上がった。そうして衣擦れの音をたてずに、マダラの側まで寄った。
こちらを見上げるマダラの視線に目を細めたアヤメは、そのまま何も言わずに腰を屈めて姿勢を落とす。と、そんなアヤメの耳元へとマダラは口を寄せ、何事かを小さく彼女へと伝えている。
少ししてから顔を離したマダラは、そのまま体を柱間の方へと向けた。
「柱間」
「む、なんぞ?マダラ」
「悪いが、アヤメはここで辞させてもらう」
「そうか。アヤメ殿、またゆっくりと話そうぞ」
「ぜひに。それではお先にお暇させていただきます」
マダラの横に座って、柱間に小さく頭を下げてからアヤメはその場を立ち上がる。そんなアヤメの様子を横目に、マダラは素早く自身の部隊に所属しているうちはの忍を一人呼びつけた。すぐに馳せ参じたその男にアヤメを送るように命じると、男は恭しく頭を下げた後にすぐさまアヤメの後を追って男は広間を出て行く。
それを見送ったマダラは手酌で注ぎいれたお猪口の酒を再び呷る。
「悪いな、柱間。あいつは・・・、アヤメは酒が不得手なんだ」
「なんと。それは悪いことをしたな。アヤメ殿は大丈夫か?」
「全部舐める程度にしか飲んでないらしいし、あいつも付けたから早々なことはねぇだろう。無事に帰ってるさ」
「随分と、あの男を信頼しているのだな。このオレもアヤメ殿の色香にはくらりとくるものがあったのに」
「・・・あいつがアヤメに手を出すわけねーよ。あいつには嫁も子もいる」
「そういえば、うちは一族は一夫一妻制だったな。ならば安心ぞ」
それだけじゃねぇよ。
そんなマダラの小さな声は、さあ飲もうと大声で笑いながら友に絡む柱間に届くことは無かった。
2017/12/23
(2018/04/06)