きっと疲れてるんだよだからおやすみ


「イズナ!」


 呼びかける二つの声に、どうしようもない焦燥と絶望が込められているのをイズナは聞いた。
 千手との戦いにて、イズナは一瞬の驕りによって千手扉間にその腹を斬り裂かれた。それに気付いた兄と義姉が慌てて駆け寄り、崩れ落ちようとしていたその身を支える。だらだらと流れ続ける腹の血と口からも零れる血に、兄も義姉もその整ったかんばせに焦りを浮かびあげているのがイズナのぼやける視界に映った。
 族長同士では決着のつかないこの戦いにおいて、その勝敗を決めるのは二番手と側近同士の戦いである。しかしその戦いも、イズナが斬られたことによって勝敗は着いたも同然だ。


「忍最強のうちはと千手が組めば、国も我々と見合う他の忍一族を見つけられなくなる。いずれ争いも沈静化していく」


 さあ、もう戦いを終えよう。と、こちらに手を伸ばす千手柱間の姿を、イズナを支えているマダラはどこか縋るような目でじっと見やる。同じようにアヤメもまた、黙ったままマダラの動向を見つめていた。
 ああ。とイズナは小さく息を吐く。
 自身を愛し慈しんでいる兄は、このままではきっと自分を救うために千手の手を取ることも厭わないだろう。兄の選択を何があっても否定せず、そして過去に喪われた己の弟へ向けていた愛を注いでくれるアヤメもまた、イズナが助かるのであればとマダラの選択を支持するだろう。
 しかし、それではならぬのである。
 うちはマダラは、このうちは一族の族長であらねばならない。
 グッと唇を噛み締め、力が入ったことにより一層噴き出した腹の血に構いもせずに、イズナは萎えた足に力を込めてどうにか大地を踏み締める。千手柱間の手へと踏み出そうとしていた兄の動きを、そうすることによってイズナが封じたのだ。力なく垂れていた首を上げて、イズナはうちは族長の弟としての顔で、目の前にある千手の族長を睨みつけた。


「・・・ダメだ、兄さん。奴らに、騙されるな・・・」


 千手柱間という人間が、どのような男なのかをイズナは深くは知らない。
 兄が友と呼ぶ唯一の男。兄と渡り合える唯一の忍。そしてかつての兄との夢を、今も追いかける夢追い人。その男を兄は今も心の奥底では信頼しているのを、イズナは誰よりも知っている。
 しかし、それはならぬのである。マダラがうちはの族長で、柱間が千手の族長である限り。その夢を叶えることも、その男を信頼して手を取ることも許されないのだ。優先すべきは個人ではなく、一族であるのだから。
 そんなイズナの心を汲み取ったのか、マダラは小さくイズナの名を呼ぶと、先程まで柱間を見ていた目から甘さという感情を捨て去った。イズナを支える手に力を込めたマダラは、鋭い声色で自身と同じようにイズナを支えているアヤメの名を呼んだ。


「火遁・灰塵隠れの術!」


 その呼びかけの意図を正しく汲み取ったアヤメは、胸に溜め込んだチャクラを高熱の灰として一気に噴き出した。
 それに隠れてマダラはイズナを抱えたまま戦場を離脱し、そんなマダラに続くようにアヤメもまた、伝令に撤退を伝えた後に戦場を離脱した。
 この戦において、敗者となったのはうちはの方であった。

***

 イズナは先の戦で負った傷が原因で床に臥せっていた。
 ただの傷ではなく、千手特有の毒でも塗られていたらしいその傷口は、うちはの医師たちがどんな解毒薬や軟膏を塗ったとしても無意味であった。傷口は癒えることなくどんどんと膿み、腐っていく。そんな傷を負ったイズナが、戦場に立つことなど出来ようもない。
 しかしその間にも戦はあり続ける。
 欠けたイズナの穴を埋めようと、アヤメは再び前線へと出るようになった。そんなアヤメを案じながら、マダラもまた戦場を駆けた。
 しかしそんなマダラやアヤメの尽力も虚しく、誰も口には出さなかったが、うちはの劣勢は疑うまでもなかった。イズナが千手扉間に敗北してから、一族の中にはより厭戦が広まっていき、挙げ句の果てには千手へと下る者たちまで出てきたのだ。


「イズナ、調子はどう?」


 そんな中でも、アヤメはイズナを慈しみ続ける。
 床に臥せり続けているイズナへと、今日も食事を持ってきたアヤメは緩く微笑みながら側へと腰を下ろした。この前までは、アヤメとイズナの立場は逆であったのになあ、と。イズナはぼんやりと思いながらアヤメを見ていた。


「卵粥を作ってきたから、少しでも食べて」


 額にかかっていた髪を優しい指先で払うアヤメの姿に、イズナは気持ち良さげにそうっとその両目を細める。
 今日もアヤメからは薬草の匂いばかりがする。常であれば、彼女の好む梔子の香りを纏っているというのに。イズナが戦線から欠けてから、アヤメからその香りを感じることはなくなってしまった。きっと、イズナには見えない衣服の下にはたくさんの薬草が塗られ、それを布で当てているのであろう。
 女の身だというのに、アヤメの体にはらしからぬ傷ばかりなのだ。
 それを思い至ったイズナは、その事実の示す切なさに歪んでいく顔を隠すことなんて出来なかった。それを見たアヤメがまた穏やかに笑って見せるのが、イズナは切なくて仕方がない。


「アヤメ義姉さん」
「なあに、イズナ」


 頭を撫でてくれる指先の温かさは、イズナが彼女を義姉と呼べなかった頃と何ら変わりは無い。
 実の姉を自慢していたナツメと同じく、今やイズナの自慢で大切な義姉となったその人へと、イズナは精一杯穏やかな笑みを浮かべる。


「ねえ、オレさ・・・義姉さんが隠してること知ってるよ。義姉さんを診ている翁から聞いた」
「、・・・マダラには、」
「兄さんには言ってない。兄さんもさ、隠してることあるよね」
「マダラが?・・・もしかして、目のこと?」
「うん。兄さん、瞳力の使いすぎで目が見えにくくなってきてる。だから、兄さんはアヤメ義姉さんのことにも気が付いていないんだよ」


 常の兄であれば、幼い頃より見てきたアヤメの変化を見落とすはずも無かっただろう。
 しかし、戦によって酷使し続けている兄の目は、その視力をどんどんと低下させていっている。あの化け物のような千手柱間と渡り合うためにも、マダラは苛烈にその目を使い続けてきたのだ。仕方も無いことだろう。
 しかしイズナは違う。マダラのように瞳力を使った術を使用し続けたわけではない。自身の肉体と技術と、そして純粋なうちはとしての力をより多く使用してきたのだ。だから同じ万華鏡の境地に至っていたとしても、イズナの目は未だ健在なのである。
 しかし、マダラの目の件はアヤメにも言えることだろう。兄ほどの力を使ってはいないが、しかし幻術を用いるためにアヤメもまた万華鏡を使用してきたのだから。
 頭を撫で続けるアヤメの手付きに、気持ち良さに思わず細めてしまった目でイズナはアヤメを見つめる。


「アヤメ義姉さん。オレ、兄さんに目を託そうと思う」
「っ、イズナ、それは・・・」
「もちろん、兄さんは大反対するだろうなあ。・・・でも、兄さんはうちはマダラだ。どんな状況であっても、それは揺るぎないものでなければならない。こんな、ただ死を待つ身よりも、兄さんはその目でこれからの未来を見続けないといけないんだよ」
「イズナ、そんなこと言わないで!あなたはきっと良くなる、必ず治す術を見つけ出してみせるから」
「ごめんね、義姉さん。自分の体のことだからさ、オレ自身が良く分かってるつもりだよ」


 死という言葉に、一気に顔色を悪くして小さく叫んだアヤメにイズナは詫びた。と同時にその覚悟を述べる。
 真っ青な顔をしているアヤメからすれば、イズナの死は自身の最愛の弟を喪った過去の再来なのだろう。彼女にとってのトラウマにも等しいその過去を思い返させて申し訳なくも思うが、事実は事実なのだ。
 彼女の言葉もまた真実なのであろうが、森に生きる千手一族の秘伝でろうこの毒を、火と風に生きてきたうちは一族がどうこうできるはずもないだろうと。イズナはそうやって緩く笑う。


「本当はアヤメ義姉さんの事とかもどうにかしたいんだけど。それはオレの役目じゃないからさ」


 アヤメが抱えるものについては、イズナが出しゃばるべきことではない。義姉は隠すのが随分と上手であるが、きっと兄がその目で真っ直ぐに彼女を見れば気付くこともあるだろうと。イズナはそう思っている。
 幼い頃から自慢の兄だった。強くてかっこよくて、優しくて、それで・・・。
 そんな兄がイズナは大好きであった。そしてイズナ唯一の友が自慢だと言って、自身の兄が唯一に選んだ美しいひとが、大好きであった。


「ね、アヤメ義姉さん」


 頭を撫でる細い手へと自身の手を伸ばし、それを自身の手中に捕まえる。弱ってしまった指先で義姉の手をぎゅうと握りしめて、焼き付けるかのようにアヤメを見つめる。
 こちらを見るアヤメのかんばせは、兄がたまに惚気るようにやはりどうしようもなく美しかった。
 その優しさと慈しみを込めて微笑む彼女と、優しくて繊細で愛情深い兄が並んでいる姿を見るのが、イズナが何よりも大好きで幸福な風景だった。


「オレ、アヤメ義姉さんのことが大好きだよ」


 嬉しそうだが切なげに笑むアヤメの姿に、イズナも穏やかに微笑む。
 どうか、アヤメ義姉さんだけはあの寂しがりな兄の側に居続けて欲しい。
 イズナがアヤメに願うのは、ただただそれだけだった。

***

 それから数日後、イズナの容態は急変した。
 死を目前としたイズナの側に控えていたのは、その実の兄であるマダラと、義姉であるアヤメのただ2人のみであった。
 自身がその生涯で最も愛した二人の姿を焼き付けるようにイズナはじっと見つめ、そうしてそのまなこを閉じた。
 どこか微笑んでいるようにも見えるかんばせの、その両の目は、もう二度と開かれることは無い。

***

 次の千手との戦にも、マダラの側にはイズナの姿は無かった。
 彼の負傷からもう幾月が過ぎており、彼の容態を窺う言葉を柱間が放つと、それを受けたマダラは一度目を深く閉じた。そうしてその両のまなこを開いた時に、その目には今まで見たことの無い万華鏡が煌めいていたのに柱間は気付いた。


「この前の傷が元で弟は死んだ・・・。うちはを守るために、オレに力を残して!」


 修羅のような気迫で静かに言い放ったマダラに、柱間は苦々しげな表情を僅かに浮かべた。


「休戦協定の書状を送ったはずだ!・・・うちはを守るなら、もうこんな戦いは止めようぞ!」


 柱間の訴え通り、マダラの元には千手の族長としての柱間からの休戦の協定が何度も届けられていた。
 それをイズナの目で見やったマダラは、アヤメの目の前でそれを一息で灰へと変えてしまった。ただ黙って自身を見つめ続けるアヤメに振り返ったマダラに宿るものに、アヤメは目を細めた。
 これまでに三人の幼い弟を奪われ、そして最後に残っていた最愛の弟をもマダラは喪ってしまった。その喪失こそが、これまでに無いほどにマダラの心に暗い闇を落とし、そしてそこに鬼が巣食った。
 お前だけはオレの最期まで側にいてくれ。そう囁いた鬼に、アヤメは一つ頷いて微笑んだのだ。
 ぶわりとマダラの長い豊かな髪の毛を逆立てながら、彼自身の凶悪なチャクラが一つの形を形成していく。


「柱間ァ!いつまでガキのようなことを言っている!腑を見せ合うことなんて、できやしねーのさ!」


 彼を守るように、そして彼から奪う全てのものを薙ぎ払うかのように。マダラの須佐能乎はそこに君臨したのだ。
 イズナを欠いてからは自身が相対していた扉間と対峙するアヤメもまた、その血のような色の万華鏡で男を睨んだ。
 そうして、最後の戦いは開始された。

2017/12/19
(2018/03/17)
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