きみいがいいらない


 地に伏しているその姿。
 それを思い浮かべるだけで、全身の体温すべてが失われるような底冷えと、どうしようもない喪失感と虚無、そして絶望が去来する。
 一族の繁栄と、肉親の平穏。
 これまで自分は一族のため、誰もの為だと言って平和と平穏を願い、それを実現するためだけに多くを犠牲にしてきた。
 だが、それは真実だったのだろうか。
 ただ、ただ。彼女と、弟が共に在ればいい。心の奥底にある真なる望みは、そんなものではないのか?一族の明暗だとか、世界の平和だとか。もちろんそれも重要なものではあるが、それよりも目先にある幸福の形を守ることこそが、自分自身の本当の望みなのではないかと。
 ふと、そう思うことがあった。
 もしそうだとするのならば、争う理由がどこにある?彼女を、弟を守るために何が最善かなど、考えるまでも無く答えは出ている。
 マダラ。と、今も変わらぬ声で呼ぶ男。あれの手を取れば良い。そうすれば、少なくとも自分の守りたい愛する者たちの平穏は約束される。
 しかし。それを一族という枷が許さない。
 これまでに何人の同胞が死んでいったのか。何のために一族の者たちは命を奪われた。どうして死なねばならなかったのだ。幼き弟達と父の無念はどうなる。ナツメの無念とは。
 死者は言葉を持たない。だからこそ、生者がそれを代弁するのだ。正解なんて誰にも分からない。それでも、なぜ死なねばならなかったのかを考え、その死を無意味にしないためにも。族長であるうちはマダラは戦い続けなければならない。


「儘ならんな・・・。なあ、アヤメ」


 眠る彼女は答えない。
 マダラは族長となった時に、その覚悟を決めざるを得なかった。ただのマダラとしての私欲ではなく、一族を束ねる者として全てを等しくその背に負うことを。
 マダラの知る限り、自身の父親はその辺りをしっかりと区別することのできる男であった。父親として子供達を愛していたし、しかし一度族長としての顔を見せた時には肉親も何も関係無く物事を見ることのできる人物であった。
 しかし、父のようにするにはマダラはあまりに愛情深すぎた。だからただのマダラとして愛している者を優先して守りたがる。
 せめてもの救いは、マダラが守りたい者たちが一族全体から見ても優先する対象の上位を占めていることだ。だからこそマダラは族長の顔をしながら、自身の愛する者たちをさも当然なふりをして側に侍らせることができる。


「お前たちと一族。どちらも天秤にかけるべきものでは無いだろう?」


 一族はもちろん大切だし、その全てに愛着もある。しかし、自らの生における唯一と、この世にただ一人だけの血を分けた弟とを、天秤にかけられるはずもない。
 マダラは、そこまで器用な男にはなれなかった。


「兄さん、入るよ」
「・・・ああ」


 襖の向こうから聞こえた弟の声に、マダラはアヤメの頬を撫でていた手を引いて姿勢を正す。兄の許可を得てから襖を開いたイズナは、この部屋の主の眠る布団と、その脇に座している兄を見やった。
 中に入ったイズナは、アヤメの側に座している兄の横に音もなく腰を下ろすと、そこから眠っているアヤメの顔を覗き込んだ。


「治療した者からだと、アヤメ義姉さんはチャクラ切れを起こしてるらしい」
「最後に扉間にかけた幻術が追い打ちをかけたか」
「おそらく。傷自体は大したものじゃないらしいし、内臓とかにも損傷はないって。チャクラが回復すれば、また今までのように動けるってさ」
「そうか」


 先の戦の撤退中に昏倒して以来、今日までアヤメは眠っている。たまに目を覚ます時もあるが、体を回復することを優先するようにすぐに眠り出してしまう。
 先の戦いにて、写輪眼をいつも以上に使用したことと、それと同時に術も乱発していたためにチャクラが尽きてしまったらしい。
 うちはにはあまり医療に長けた者は少ないが、しかし全くいないというわけではない。戦にも従軍する医療忍者も数名がおり、その中の翁がアヤメを常に担当している医療忍者であった。その翁の言葉をイズナは兄に伝え、マダラもあの翁の言葉であれば信頼できるだろうと納得した。
 とにかく今はアヤメを回復に専念させようというのが、兄弟の意見であった。
 さらりと、流れるアヤメの髪を慈しみの篭った指先で撫でる兄の姿をぼんやりと見ながらイズナは目を細めた。膝の上できゅっと握り締められた拳は、力が込められすぎて白くなっている。


「兄さん」
「うん?」
「千手を滅ぼそう」
「イズナ?」


 いつになく真剣な声色でそう呟いたイズナの様子に、マダラはどうしたのかとその顔を弟へと向けた。兄の訝しげな表情を見ながらも、イズナは強固な顔色を変化させることはない。


「兄さんたちも、父上も、シブキさんも、ナツメも、みんな千手に殺された。それにアヤメ義姉さんも、兄さんがあと少しでも遅れていれば千手に殺されてただろう。同じことをオレたちも千手にしてきたんだから、オレたちだけが被害者だなんて言うつもりはないよ。今や千手は自分たちを守るために躍起になってきている。オレたちも、オレたちの大切な人を守るために・・・覚悟を決めよう。もう迷いは捨ててほしい、兄さん」
「イズナ、お前・・・」
「気付いてないとでも思った?何年兄さんの弟をしてると思ってるの」


 マダラが心の内に秘めていた迷いを、イズナはとうの昔から気付いていた。その迷いを兄自身は無いものとして巧妙に振舞ってみせていたが、マダラに最も可愛がられてきたイズナが気付かないはずもなかった。
 その迷いは、おそらく最初からマダラの中に根付いていた。幼い頃から兄が思い描いていた夢。それを唯一理解して共有することのできた幼き日の友との出会い。その友との離別、友との殺し合い、そして一族を背負う立場。族長としての考えと、マダラ個人の考えとの違いと矛盾を兄は抱え続けてきたのだ。
 しかし他族の諍いを介してではなく、いよいよ直接対決が始まろうとしている今。その矛盾と迷いを抱えたままでは、うちはは必ず千手によって滅ぼされてしまう。


「兄さんは、うちはの絶対的な力の象徴でなければならない。オレも、族長の弟として死の象徴でなければならないんだよ」


 長く続く戦いの日々に、うちはの者の一部には厭戦を漂わせている者たちもいる。その気持ちもイズナは分からないでもない。
 戦になれば必ず誰かが死ぬ。父、夫、兄、弟、親戚や従兄弟。自分に近しい者、そうで無い者と関係なく死んでゆく。喪失ばかりの日々に心は草臥れ壊れていく。
 そんな日々を厭う人々の気持ちはイズナも痛いほど分かる。しかし、今更もう止まれないのが現実であった。死んでいった者たちのためにも戦い続け、そしてうちはの敵を滅ぼさなければならない。そうでもしなければ喪失の日々は終わることはな。和解をするには、それぞれに血を流しすぎたのだ。
 自身の言葉に顔を歪める兄の姿に、イズナはどこか苦々しげな笑みを浮かべた。


「兄さんとアヤメ義姉さんを守りたいから、オレは千手を殺すよ」
「・・・ああ。オレもお前と同じさ」
「うん、ありがとう、兄さん」


 切なく笑う兄の姿に、もう良いと言ってやりたくなる。
 人々と同じように、この兄も疲弊しているのだ。いや、他の人々よりも兄の心は疲弊しているだろう。兄の本来の性格は寂しがりで愛しがりやで、とても繊細で優しく情が深くて、そして何もかもを自分独りで抱え込んでしまう人なのだ。
 しかし今の兄はうちは一族を担う族長で、自身はその弟である。私情よりも優先すべきは一族なのである。そんな自分たちが折れてしまうことは決して許されないのだ。

***

 あれから、イズナの予想した通り戦いは他一族を介して行われていたものから、うちはと千手の両一族のみの戦いとなった。
 相変わらずそれぞれの族長と渡り合えるのは、それぞれの族長同士のみであって。その右腕で弟でもある千手扉間と相対するのも、うちはの二番手であり族長の弟であるうちはイズナであった。やがてアヤメも戦場に戻り、戦いの激しさは回数を重ねるごとに増してゆくばかりであった。
 その中でも、うちはマダラ、イズナ、アヤメの激しさは一際なものであった。
 これまでどこか迷いを見せるように千手柱間と対峙していたマダラであったが、アヤメを欠いた戦いからその迷いは形を潜め、今は本気で千手柱間の首を獲りにきている。イズナも同じく千手扉間に対して、これまで以上の殺気を以ってその首を掻き切りにきていた。アヤメもまた、うちはを脅かす千手の忍たちをこれまで以上の苛烈さで屠っていた。
 ますます熾烈となっていくうちはに対抗するように千手もまた熾烈なものとなっていたのだが、しかし族長たる柱間は今となってもうちはとの和合を訴えていた。
 そんな中で扉間だけは、うちはのその熾烈な戦いに警鐘を鳴らせ続けていた。うちはを獲らねば、この戦いが終わることはないのだと。現実主義で現状を誰よりも冷静に判断出来る扉間は、もはや手遅れなのだと、誰よりも理解している。


「飛雷神斬り!」


 斬り裂いたその腹。
 いつまでも攻めあぐねている兄とは違い、扉間はその刀で平和を勝ち取らんと斬り裂いた。

2017/12/19
(2018/03/15)
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