この胸の高鳴りはそのままに


 うちは族長であるうちはマダラと、うちはアヤメの婚儀は粛々と執り行われた。
 うちはには同盟を結んでいる相手もいなければ、傘下の一族もいない。そのため、その婚儀は一族を挙げたものにはなったが、それでもこじんまりとした質素なものであった。そこには婚姻した二人の性格もあったのかもしれない。


「ちょっと!族長の婚姻なんだよ?もっと派手にしたっていいじゃないか」
「いいんだ。アヤメもオレも派手なのは好きではない」


 それぞれ肉親の少ない両名の代わりに、一番この婚姻に気合を入れていたのはマダラの弟のイズナである。イズナは婚姻の儀を数日後に控えた兄たちへと険しい顔で詰め寄っていた。イズナはマダラに対して、族長らしくしなければならないと論ずる。その言葉には、一族の翁たちも同意していた。
 今この過酷な戦国時代において、うちは一族の立場というのは孤高なものである。この時代を生き抜く為にも多くの一族は同盟を組み合ったり、政略結婚によって縁を築いて烏合し始めている。うちはの天敵である千手もそうだ。
 しかしそんな中でもうちはだけは未だ孤高であり、唯一であり続けている。それがうちはがうちはたる気概であり、誇りでもあるのだが、それ故にうちは一族は他の一族と比べるとかなり小規模な一族となってしまっていた。かつては栄華を極めた時代もあっただろうが、その頃と比べると人数は格段に少なくなっている。
 そんな状況でも、うちはをもっとも象徴するのがうちはマダラだ。古の血脈をうちはの歴史の中でも最も色濃く受け継ぎ、同じく古の血脈に目覚めた千手の現当主の柱間と唯一並び立てる男である。
 本来であれば族長の婚姻の絢爛さというのは、その族長の威厳を周囲に見せつけるものでもあるのだ。マダラの父であるタジマとその妻の婚姻の儀も、それなりに豪華なものであったという。それなのにマダラはそんなことは御構い無しという様子で、実に質素な儀式としたのだ。
 言っても分かってくれない兄への説得を諦めたイズナが、次に目を向けたのはマダラの妻となるアヤメであった。


「アヤメ義姉さんも何とか言って!これはただの婚姻じゃないんだって」
「うーん。イズナの言いたいことも分かるんだけれど」


 珍しく兄に対して目を吊り上げているイズナの様子を見たアヤメは、困ったように苦笑を浮かべながら首を傾げる。すっと細められた目は、イズナの古い記憶の中のアヤメの姿と同じ優しさを浮かべていた。


「今はこんな情勢でしょう?うちはも決して裕福ではないわ。私たちの婚姻にお金を向けるくらいなら、一族のためにそれを使って欲しいって思っているのよ。私も、マダラもね」


 アヤメの言う通り、こんなご時世である。いくら多くの戦争に呼ばれ、その報酬を得られるうちはとはいえども、決して裕福に贅沢ができるというわけではないのだ。


「そ、それは・・・うん、」


 一族のことを出されてしまえば、イズナもそれ以上を言うことはできなくなってしまった。言葉を噤んだイズナに対して、その心が嬉しかったとアヤメは微笑んだ。その横で、当のマダラは何も言わずに座るままであったが。
 そうして、イズナや言葉にせずとも思っていた翁たちの心情はよそに、マダラとアヤメは歴代の儀式に比べると質素と言われるであろう婚姻の儀を執り行ったのである。

***

 式の最中。粛々と誓詞をあげるアヤメは、実に美しい女であった。
 派手は好まないが、しかし一応形だけは準えと強固に言い張ったイズナに折れるかたちで、マダラもアヤメも袴と白無垢だけは身に纏っていた。マダラの黒い袴はまだしも、アヤメも普段はうちはの黒い装束を着ているため、こんなにも目が眩しくなるくらいに真っ白な姿を、マダラも初めて見た。
 このアヤメもまた、美しい女であった。
 そんな婚儀はもう昼に終わり、祝宴も終えたマダラとアヤメは屋敷へと戻っていた。夫婦となった二人はこれからは、かつてはマダラが家族と共に生活していた屋敷にアヤメが越してきて共に棲まうようになる。もちろん、その中にはマダラの弟であるイズナも共にではあるが。
 だがこの初夜にもなるこの夜は、気を利かせたのかイズナは屋敷に帰宅せずに、これまでアヤメが暮らしていた家に行っている。
 つまり、今晩一晩はこの広い屋敷にはマダラとアヤメのふたりきりなのだ。そんな屋敷の、自身の自室である部屋にて、マダラは一方だけ戸口を開けて部屋から続く縁側に出て夜空に浮かぶ月を見ていた。
 堅苦しかった袴はとうに脱いでおり、湯も浴びたマダラは今やすっかり気を抜いた寝間着姿なのである。
 マダラは日の光よりも月の光を好む男であった。か細く儚い輝きであるが、その光が漆黒の闇夜を柔らかく照らし出す。
 夜といわれて、ふと思い浮かぶのは伴侶となったアヤメであった。黒髪黒目を持つうちは一族の中でも、彼女が身に持つその黒は、ただ墨を落としたような色ではない。彼女の黒は、まるで月光の浮かび上がる夜空のような濃厚な宵闇色をしているのだ。その色はもちろんマダラとも違っている。そんな彼女の纏う夜色が、マダラは好きであった。
 夜空をぼんやりと見上げながら、そんなことを思っていたマダラの側に見知った気配が近寄るのを感じた。今夜この屋敷にいるのは自身を除けばあとひとりである。その相手に警戒する必要などあるはずもないと、マダラは自身の隣に座する人物へと、ゆったりと顔を向けた。そんなマダラに気付いたアヤメはにこりと笑い、手に持っていたらしい杯をマダラへと渡す。


「こんなにも良い夜なのだし、月見酒でもいかが?」
「ああ、いいな」


 杯を受け取り、小さく頷いてみせたマダラにアヤメは嬉しそうに微笑みを向けた。用意していたらしい徳利を手に持ったアヤメは、その口をマダラの手の中にある杯へと酒を注ぎ入れる。透明な酒に満たされた杯よりアヤメは徳利を離し、それを合図にするようにマダラは杯に口をつける。
 喉を滑っていくのはマダラ好みの辛口の酒である。
 火遁を得意とするという特徴から、うちは一族はあまり普段から酒を飲む習慣というのはない。酒如きでチャクラを乱すマダラではなかったが、しかしマダラもそんな父の慣いを真似して、あまり豪快に酒を飲むことはなかった。しかし、酒が嫌いなわけではないし、下戸でもない。嗜む程度には、マダラも酒は好きなのだ。
 久々に楽しむ好みの酒の風味に僅かに頬が緩むのを自覚しながら、マダラは隣に座っているアヤメを見る。そして、先ほど自身が傾けていた杯を彼女へと差し出した。


「返杯だ。受けろ」
「でも、わたし、あまり飲んだことなくて」
「ひと口でいい。大丈夫だ」
「・・・なら、いただきます」
「おう」


 戸惑いながらもマダラの言葉に杯を受け取ったアヤメに対して、マダラはゆるく微笑みながらその杯の中に酒を満たす。徳利の離れたそれをじっと見つめていたアヤメであったが、ややあってからどこか覚悟を決めたかのような顔をして、ゆるく噛んだその唇を杯へとつける。そうして、


「、うう」


 舐めるよう一口を飲んだらしいアヤメが、まだ酒の残った杯を手に持ったまま盛大に顔を歪ませる。眉間にきゅっと皺を寄せて目を細め、マダラからすると可愛らしく顔を顰めて見せる彼女に対し、マダラは思わず小さく噴き出した。それを恨みがましそうな目でこちらを見やる彼女がまた可愛らしく、マダラは緩む頬をとめることができない。
 とうとう唇を突き出して、いかにも不機嫌ですというような表情をアヤメがするものだから、マダラはどうにか笑みを噛みころして彼女を見つめた。


「・・・マダラ」
「ふふ。許せ、あんまりにもお前が愛らしくてな」
「もう・・・。これ、飲んで」
「ああ、もちろん、喜んで頂こう」


 笑った男が不服なのか、むすっとしたまま酒の残った杯をこちらへ渡すアヤメに、マダラは未だ小さく笑いながらそれを受け取った。そうして、杯に残っていた酒をひとくちで飲み干した。
 この日の肴は、当初アヤメが言ったように月である。しかし、それ以上に肴になりうるものが側に在るというのに、月にばかり目を向けていられない。
 マダラが杯をあけ、差し出せばすぐに何も言わずにアヤメが酒を注ぎ入れる。伏し目がちになるその目元を彼女の豊かな睫毛が縁取る。柔らかそうななだらかな頬に、小鼻のきゅっと締まった形の良い鼻。唇は化粧もしていないのに、まるで薄く紅を塗っているかのように淡くと色付いている。


「なあに?」


 こちらの視線に気付いたらしいアヤメが、身を引きながら目線をあげてこちらを見抜く。
 マダラが風呂から出たのに続いて風呂に入ったアヤメは、上がってからすぐにここへやって来た様子であった。風呂上がりであったことと、そこにさらにひとくちではあるが辛い強めの酒を飲んだからであろうか。アヤメは全体的に、ほんのりと色付いていた。長い髪も低い位置で緩く纏められており、邪魔にならないように片側に流されている。
 平静であれば色々な感情を宿しながらも、奥底にて揺るぎない静けさを保っている夜色の目も、今日は珍しく揺らいでいる。そうしてもうひとつ、マダラの鼻腔を擽る香りがあった。
 ああ、これは、と。マダラは目を細めた。
 それはあの日、マダラがアヤメをどうしようもなく欲しいと思った日にも香っていたものだ。どこかで懐かしさを思わせるようであるが、同時にアヤメの色香を引き立てるその香り。
 空になった杯に再び酒を注ごうと伸ばした彼女の手の中から、音もなく握られていた徳利を引き抜く。それと一緒に持っていた杯も横に除けて置き、マダラはアヤメの腕をそっと引き寄せた。すると何の抵抗もなくアヤメの体は自身の胸へと崩れ落ちてきた。それを受け止めながら、マダラは空いている方の手で優しくアヤメの顔をこちらへと向けさせた。


「マダラ?」
「・・・」


 これまでに何度も自身の名を呼んでいる彼女の唇を、自身のそれでそっと塞いだ。しっとりと柔らかい彼女のそれに吸い付くように角度を変えて重ね、緩く食む。すると小さく体を揺らして、体から力を抜いてこちらにしなだれかかってくるアヤメが薄く口を開いたものだから、そこにぬるりと濡れた舌を滑り込ませる。
 ふ、と鼻から抜ける彼女の吐息は、今まで聞いたことも無いような色気を孕んでいて。それを煽るように、彼女からあの香りが一層匂いたつ。手を掴んでいた腕を彼女の背に回し、細い彼女の体をぎゅうと抱きしめる。ゆるゆると回された彼女の手は控えめに自身の衣を掴んでいた。
 そんな彼女の手に薄く目を開いたマダラは、合わせたときと同じようにそっと唇を離して、彼女の耳元へと口を寄せる。


「アヤメ、」


 その声は、みっともないまでに欲に濡れていた。

***

 初夜から何度の夜を重ねただろう。
 はっ、と息を吐き出し、じんわりとかいた汗によって張り付く長い髪を鬱陶しげにかきあげる。
 自身の体の下にあるアヤメは、女らしく華奢で、滑らかで、そして艶やかであった。白い柔肌も同じくしっとりと汗をにじませ、そして匂いたつあの香りが、初夜の頃から変わらずマダラの欲を煽る。
 ぐっと距離を詰めるように腰を押せば、あっ、と小さく喘いでアヤメは息を呑む。しかしそれは最初の頃のような痛みを耐えるようなものではない。しっかりと欲を含んだ彼女の悩ましいその吐息に、マダラは薄く笑って見せる。
 そうして身を屈めて顔を彼女の首筋へと寄せた。するとこれまでに肌を重ねてきた中で学んだアヤメが、マダラの首をその細腕に抱く。それにも笑みを浮かべながら、アヤメのその美しいかんばせを見つめる。


「アヤメ、なにか香を焚いているのか?」
「っんん、・・・え?」
「昔から、お前は良い香りがする」
「あ、・・・これ、は、っ」


 話す間も無遠慮に揺さぶれば、嬌声を交えながらも彼女は懸命に言葉を紡ごうとしている。そんな姿を見ていると、どうしようもなく彼女よりいじめたくなるのだから、そんな自分の性格にも困りものである。そう自覚してはいるが、中々どうして治すこともできないのだ。


「あ、あ、ちょっと、待って、」
「うん?」
「も、っ・・・ああっ」


 制止を求める声の聞こえない振りして動き続けていると、彼女の声に緊張が混じり出す。やがて彼女の全身が小さく震えてきゅうっと力がこもる。甘いその力加減に自身ももう耐えられずに彼女の胎内にて果てた。
 そのままに彼女の小さな体を抱きしめていれば、アヤメの乱れていた息が徐々に整ってくる。と、ゆるゆると自身の髪を撫でる彼女の手にマダラは目を細めた。一層距離を無くすように抱きしめれば、彼女のあの香りが届く。無意識にそれに鼻を鳴らしていたらしい自身に、アヤメがくすくすと笑う声が届いた。


「おい、笑うなよ」
「だって、」
「どこかで覚えがある香りなんだ。仕方ないだろう」
「ふふふ。これ、梔子の香りよ」
「梔子?・・・ああ、なるほど。それでか」


 彼女の口から明かされたその香りの名。聞けばなぜ香りをどこか懐かしく思ってしまうのかに納得がいった。
 梔子といえば、アヤメの生家にあった木の名前である。昔からよくアヤメの家には遊びに行っていた。夏の時期に匂いたつその花が咲きほころぶのを、これまでに何度も見てきたのだ。今だって、行けばあの家に梔子の木は今だって変わらずに立っている。マダラのもとに嫁いできてからも、彼女は家族の思い出の残る生家へ暇があれば足を向けて、家族全員が好きであった庭を整えているのだ。
 花から香るその匂いと、彼女が身に纏うその香りと。同じものだと彼女はいうも、マダラには違うように思えてならない。
 だって、なぜならば、


「アヤメのこの香りに、オレはいつも惑わされる」


 惑わされ、煽られ、そしてどうしようもなく彼女が欲しくなる。
 こぼれ落ちた言葉は、初夜のあの頃のようにみっともなく欲に濡れたもので。くすくすと笑うアヤメに、あの頃とは違ってかみつくように口付けながら。マダラは次はどう愛しい女を追い詰めようかと目を細める。
 夜はまだまだ明ける様子はない。

2017/12/15
(2018/02/18)
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