生きにくい世界で、あなただけのために


 その日、千手は戦に出ているがこの戦に珍しくうちはへの出陣要請の無い日であった。当主がマダラになって以来、千手が出る戦にはほぼ毎回うちはも出陣していたので、今回のようなものは珍しかった。
 そんな日にマダラは家族を亡くしても尚、一人で生家に住み続けているアヤメの家へとやって来ていた。
 戦に出ればその苛烈さに鬼神と恐れられるマダラと、凄惨な幻術を操るためにうちはの女鬼と呼ばれるようになっていたアヤメも、戦もなく穏やかさの戻った日常の中ではただの男と女であった。


「アヤメ、茶を淹れてくれ」
「ちょっと待ってて」


 不意にかけられたマダラの言葉にも、アヤメは否とは唱えずにただ少し待ってくれとだけ答えた。その返答に、彼女が何をしているのかとマダラが目で彼女の姿を探した。
 その時、マダラは彼女の家で最も見晴らしと日当たりの良い、庭を臨む縁側にて、彼女の父が残した兵法書を読んでいた。彼女の父が遺した兵法書は、マダラの父であるタジマが遺したものには無い内容のものもあったのだ。今や一族の長となったマダラにとっては、先人の教えを頭に入れることも重要な仕事なのである。
 そんなマダラからもはっきりと見えている庭には、マダラが兵法書を読んでいた間も一度たりともアヤメの姿は入り込んではいない。ならばどこにいるのかと、彼女の姿を探す。少なくとも視界に入る範囲にはいないであろうと、マダラは座ったまま半身を捻るようにして室内の方へと振り返る。
 在りし日には一家で団欒をしていたのであろう居間から続く縁側からは、開け放っていれば家の中の奥までしっかりと見える。居間から出て廊下を挟んだその先にあるのは、この家の厨である。最短の動線の確保されているその間取りの家は、まさにアヤメの父の自慢の家であっただろうことがマダラにも感じ取れた。
 庭先からの日差しの入る縁側や居間と比べると、ほんのりと暗く見えるその場所に。そこから別に繋がっている出入り口から、厨に入ってきた姿をマダラは見つけた。それをしばらく何ともなしに見ていると、やがてくるりとその背中がこちらへと振り返り、盆を手に持ってこちらへと向かってくる。
 そうしてアヤメはマダラの隣に膝をつくと、そのすぐ側に黒い丸盆を置いた。


「はい、どうぞ」
「おう」


 淹れたてなのか、湯気の立ち上るそれをマダラは見る。それから、そのままその視線を動かして隣に腰を下ろしたアヤメを見た。
 丸盆の中にはマダラの分の湯のみだけではなく、アヤメ自身の分であろう湯のみも一緒に用意されていた。案の定、自分の分だったらしいそれにアヤメは手を伸ばして口をつける。マダラの湯のみよりも立ち上っていた湯気が少なかったのにマダラは気付いており、おそらくそれはあまり熱いのが得意では無い自分自身用に淹れたのだろう。そしてそれとは別に、アヤメは熱いのが好きなマダラのために茶を淹れているのだ。
 長い付き合いであるからこそ分かるアヤメの行動と、今の状況に対してマダラは久しくきゅうと音はなく鳴るものに気付いた。
 アヤメの弟であるナツメの死を引き金に、転落するように二人は戦へとその身を投じていくこととなった為に、こうやって穏やかにアヤメのことを想うこともできない日々であったのだ。
 マダラは胡座をかく自身の膝に読みかけの兵法書を丁寧に閉じて置き、マダラもまた彼女が用意してくれた湯のみへと手を伸ばした。それに口をつければ、マダラにとって最も丁度良い温度の茶である。味や風味も、マダラが好むものである。
 ただ、それだけの事実にもマダラの体のどこかがきゅうっと疼く。
 しかしそんな様子をおくびにも出さずに、マダラはアヤメを見ていた。と、その視線に気付いたかのように、彼女がこちらへと顔を向けた。


「なあに?」
「・・・いや。お前、さっきまでどこにいた?」
「部屋の掃除をしていたのよ。最近忙しいから、全然できていなくて」


 アヤメの言葉に、マダラがよくよく彼女の格好を見てみれば、確かにいつものようなうちはの装束を着ているだけではなく、動きやすいようにその袖を縛り上げている。
 なるほど、確かに彼女は家の掃除をやっていたのであろう。そしてその最中にマダラから声を掛けられたものだから、これに合わせてアヤメも休憩をしようと茶を淹れたのであろうとマダラは読んだ。事実、マダラのその読みは正解であるのだが。
 ふう、とひと息を吐いているアヤメに顔を向けたまま、マダラは再び湯のみに口をつけた。
 アヤメと最初に出会ってから、もう十年以上の時が過ぎていた。
 無邪気に何も知らない子供出会った時分から、自分も随分と大きくなったものである。背も変わらなかったものが、こんなにも大きく伸びたし、意図してそうしたわけではないが髪も随分と伸びた。自分でいうのも何であるが、顔付きも随分精悍なものになっただろうと思う。
 アヤメもまた同じように変わっていた。元々とてつもなく可憐なおなごであったが、歳月の流れと共にその美しさはぐんと増していった。子供らしくただ真ん丸だった目も、どこか彼女らしい優しさと慈しみを含んだ成熟したものになったし、結い上げている長い髪からちらりと覗く白いうなじは匂いたつような色香がある。胸はいつからか柔らかそうなまろみを帯びたものになったし、腰はなだらかにくびれるようになった。あまり見る機会のない足首もきゅっと締まっていて、脹脛にかけて細くも柔く健康的なゆるやかな曲線を描いている。普段うちはのゆったりとした装束のおかげで、それらが目につくことはあまりないのであるが。
 だが幼い頃から知っているからこそ、これらの性差と成長に目がついてしまう。惚れた女であれば尚のことである。
 ふいに、思い出すのは彼女の家族のことである。
 アヤメの家族の男たちは忍として立派な死を迎えた。
 しかしそれがアヤメの心を鬼にした。優しく、穏やかで慈しみでその身を満たしていた女が、鬼と転じたのである。
 しかし鬼となっても、マダラにとってアヤメは何よりも美しく愛しい女に違いはなかった。
 何も言わずに熱心にこちらを見やるマダラの視線に、彼女はどこか照れたように目を伏せてみせる。そして、ふと気付いたかのように二人の間にある、自身が湯のみを運ぶのに使用した丸盆を目にとめた。
 それをほんの少しじいっと見つめたアヤメは、ついとその細い指先を揃えた手で、何を思ったのか二人の間に憚る丸盆をよそへ避ける。
 もう既に二人ともの湯のみがそこに戻されていたからいいものの。急にどうしたのかとマダラがアヤメを見ると、彼女はなぜだか相変わらずどこか気恥しげに顔を伏せたままで。
 アヤメは先ほど丸盆を押しやった手をマダラとの間のちょうど真ん中に置いたかと思うと。そこにぐっと重心を掛けて腰を浮かせ、置いた腕の分マダラとの距離をつめる。それを二度ほど繰り返すと、アヤメの体はマダラにぴったりとくっつくような形になった。
 その距離になると、どこからか懐かしいような香りがアヤメの方から匂いたってくる。色っぽいような、どこか頭の奥をぼうっとさせるような、そんな香りを纏ったアヤメは、自身の心中などよそに今度はその体をそっとマダラの左腕に寄り添わせてくる。
 やんわりと伝わってくる体温はぬるく、だか香り立つようなその匂いだけは濃度を増すのだ。
 これはいかん、とマダラは内心で渋面を作るのだが、しかしどうして愛しい女が側へ寄ってくるのを拒否できようか。ならぬというマダラの理性に対して、ゆけと男の本能が叫ぶ。
 いったいアヤメは何を考えているのかと。マダラは自身の心の内を上手に隠して、いつかのように頭をこちらの左肩に預けているアヤメのつむじを見下ろした。


「、おい、アヤメ」


少々詰まってしまったのはご愛敬である。
どうにかいつも通りの声色でマダラがアヤメに呼びかけるも、彼女はうんともすんとも応えない。
 アヤメは昔からこうだった。想い募るマダラに対して、まるで確信的であるかのように無防備に近寄ってくる。しかもその距離をアヤメが許すのが、このマダラだけだというのたから、また心中たまったものではない。しかし問いかけようにもアヤメは知らんぷりして微笑むばかりで、答えをくれない。 
 マダラは意を込めて再びアヤメの名を呼ぼうとした時だった。彼女がぽつりと、呟いたのは。


「・・・マダラは、わたしをひとりにしないでね」
「、」


 庭先を見つめるアヤメの目には、どこか郷愁を思わせるような切ない色が浮かんでいた。それを聞いたマダラは、一瞬言葉を失ってしまう。
 マダラもアヤメも喪ってばかりだ。別段自分たちだけが特別だというわけではないが、それでも相手への悲しみや寂しさというのは、自分だけの特別なものである。そのアヤメの特別を、この集落の中でマダラだけが唯一共有することが許され、またマダラもアヤメだけが特別であった。 だらり、と床についていた左手を緩く握りしめ、マダラはその腕をそっと動かしてアヤメの肩を抱きしめる。そしてそのままの勢いで、アヤメを自身の懐へと招き入れた。別段抵抗も無く彼女もそれを受け入れ、大人しくマダラの胸にひたりとくっついた。


「オレは、決してお前をひとりにはしねえよ。・・・だから、アヤメもオレから離れんと誓え」
「・・・もちろんよ。あなたが許す限り、わたしはあなたの側にいるわ、マダラ」
「ああ、そうか」


 あの頃とは違って、もう何も戸惑わずにマダラは彼女の細い背中に腕を回す。力を込めすぎないように、しかし彼女との隙間をできるだけ無くせるように。マダラは強くアヤメの体を抱きしめた。


「・・・好きだ。アヤメ、オレの妻になってくれないか」


 思わず溢れ出たその想いを聞いていたのは、男の最愛のみである。そして最愛のとろけるような微笑みを見たのも、男だけであった。
 腕の中で幸せそうに微笑む美しい女に、男は擦り寄るようにそのかんばせを近づける。
 夜の気配がもうすぐそこまで来ていた。

2017/12/14
(2018/02/14)
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