空が哭く
その日は、土砂降りの雨だった。
どうにか持ち帰ることができたそれらを抱えて戻る道中、これを見たあいつが一体どういう顔をするだろうかと。そればかりが頭の中をぐるぐると回っていた。
肩に抱えているその体から、命の証であった血潮が次々とこぼれ落ちていく。もう、命は尽きたというのに。その体にはまだ残滓が残っていたのか。それともその命の脈拍の名残とでもいうのだろうか。
いくつかの包みの中で、目につく小さなその包み。
それからこぼれ落ちていく温度のない赤に、それを分けた唯一の女を遠く想った。
***
その報せはすぐに集落を一周した。
今回の仕事では当初、相手には猿飛一族が雇われており、対する味方一族は今にも滅びそうな弱小一族のみ。そんな一族が最後の頼みの綱として全財産をはたいてうちはに依頼を持ちかけていた。相手が猿飛一族のみであれば、うちはが出張ればその戦を勝利することは可能だった。現にうちはが参加してからは、こちら側に大いに追い風が吹いていたのだ。しかし、相手方が終盤になって急遽千手一族を雇い入れた。局面を挽回し、勝つというのが千手が与えられた任であったのだろう。千手の勢いは勝ち戦だとにわかに油断していたうちはの足下を掬った。そして、その慢心がうちはの族長の長子に凶刃を届かせようとした。
だが、それは届かずに盾となったうちはの忍の命を屠るに終わった。
今回の戦争は惨敗だった。
殉死した者も多く出た。
家に戻り、戦で染み付いた死臭を風呂に入って流したマダラは、陰鬱な空を見上げた。
ああ。未だ、空に太陽は戻らない。
***
その日も雨であった。
うちはの墓地の敷地の中に、その背中はあった。
「アヤメ・・・」
真っ黒な傘をさして、雨に濡れる真新しい墓石を前に佇む女へと、マダラは控えめに声をかけた。
これまでであれば、ふわりとゆるく笑ってこちらへと向きながらその声に自身の名を乗せてくれるというのに。今のアヤメは何の反応もせずに、ただ立ち尽くしているばかりであった。
そんな反応にマダラは特に何かを思うわけでもなく、ただ黙ってその隣へと並んだ。
「・・・オレが、未熟だった」
ぽつりとこぼれたのは、懺悔の言葉だった。
俯いているせいで、その横顔に豊かな黒髪がかかっているせいで、彼女の表情も顔色もマダラが推し量ることはできない。
だが、それでも動く口を止めることはできなかった。
「オレが未熟なあまり、お前の・・・。ナツメは、オレの、盾になって死んだ」
「、」
ひくりと、息を呑むような音が聞こえた。
彼女はこんな言葉を望んでやいないだろう。そんなことはマダラが最も良く分かっている。だが、伝えずにはいられなかった。
彼女の、アヤメの弟が、ナツメが、なぜ死ななければならなかったのか。どうやって死んでいったのかを。
「ナツメは、己を刺した千手の男に幻術をかけて果てた。その男も、ナツメの幻術によって精神を壊し、そのまま自害した。ナツメは、忍として死んだんだ」
その最後は立派な忍のものであったと、そう伝えなければ。
ただただ、それだけを胸にマダラはこの場所にまでやってきたのだ。
ギリリ、と。噛みしめるような音がマダラの耳に届いたと思った瞬間、胸にぶつかった衝撃と同時に手に持っていた傘が弾き飛ばされた。
バラバラと、大粒の雨が降りかかってくる。
「分かってる!ナツメは立派だった!立派に生きて、立派に死んだわ!分かってる、そんなことはわたしが一番分かってる!」
マダラの襟元を掴んで、アヤメは絶叫した。
族長の片腕として働く父を持つ以上、彼女も幼少の頃より忍の生き方を教え込まれていた。その生き方に意義を唱えるつもりはアヤメにだってないことぐらいマダラにも分かっていた。だが、彼女には姉としての感情をぶつける先が無かった。
父は忍として、その悲しみを糧に立ち上がろうとしている。そんな父へと、アヤメはただの姉としての心情を吐き出すことなんてできるはずも無かった。むしろ父と共に、死んだ弟を誇りに思うような娘でなくてはならなかったのだ。
「それでもわたしはっ、あの子に生きていてほしかった!死ぬことでその生き様を示してなんてほしくなかった!」
マダラの胸元に額を押し当てて叫んでいたアヤメは、荒い呼吸をこぼしながら、のろのろとそのかんばせをあげた。
と、入り込んできた鮮烈な赤に、マダラは目を見開いた。
「アヤメ、お前・・・それは、」
「ただ、あの子に生きていてほしかった・・・」
美しかったかんばせを、憐れにも涙でぐちゃぐちゃにしてアヤメは雨に打たれていた。しかも、美しかった黒曜石のようだった目に、うちはの象徴たる濃い赤色の灯火をその目に浮かべて。
うちはの写輪眼の開眼の条件は、大きな喪失感や失意、絶望を体感することである。
可哀想にもアヤメは、弟の死によってその目を開眼させてしまったのだ。
マダラは悲しみにくれるアヤメの両目を真っ直ぐに見つめ、そうしてからアヤメの細い背中へと両腕を回した。
「ああ、泣けばいい。ここには、オレ以外に誰もいない」
「、ぅ・・・っ」
いつの間にかマダラの襟首を掴みあげていたアヤメの手はぶらりと落とされていて。肩を揺らして小さく嗚咽をこぼすアヤメを、マダラはただただ黙って抱きしめていることしかできなかった。
しばらくして、アヤメが小さな力で身じろぎをしたのに気付いて、マダラはきつく抱きしめていたその腕を解いた。マダラの胸板に手を着くようにして距離を置いたアヤメはゆるゆると雨と涙に濡れたかんばせをあけだ。
先程のよりも弱まった雨の中、アヤメは美しく輝く写輪眼でマダラを見つめる。
「ごめんね、マダラ」
「いや、謝るな」
謝るアヤメの頬を、マダラは同じぐらいにびしょ濡れになって体温を失ってしまっている指先で撫でる。
ゆるりと頬を撫で、その指で彼女の特徴的な二つ並びの泣きぼくろをやわやわとなぞった。
涙に腫れているその目尻を、マダラは極めて優しく撫でて、そのままアヤメの髪の中に手を入れて再び彼女をかき抱く。
「びしょ濡れね・・・」
「お前も、オレも変わらんさ」
「ふふ。父上に、叱られてしまうわ」
「オレも共に叱られてやる」
「・・・うん」
先程までの悲しみの色を潜めた声色で微笑むアヤメの冷たい体温を、ただただマダラは抱きしめることしかできなかった。
***
「マダラ様、ご決断を!」
選択を迫るのは、うちはの大人たちだ。鬼気迫るその声は、選択を委ねているようでその実そうではない。
もはや、選択肢などその一つしか用意されていない。
「よもやこれまで・・・。父と弟の無念、このわたしが晴らさずにいられるか」
「ならぬ!女が戦場になど!」
「わたし以上に術を操れるうちはがどこにいる!こうなれば、わたしが鬼となる!」
また、彼女の選択は彼女のものでしかなかったのだ。
その強固な意思を誰もが良しとはしなかったが、唯一ある男のみがそれを許した。
「構わん。・・・アヤメ、イズナ、お前たちはオレの側にいろ」
その戦を境に、うちはは三つの万華鏡を手に入れた。その戦では、うちはタジマとうちはシブキが死んだ。
2017/12/12
(2018/02/02)