まるで泡沫の夢のような


 自分には兄がいる。
 兄は強く、逞しく、そして大きい。そんな兄をイズナは大層慕っていた。


「兄さん」
「おう、イズナ」


 名を呼べば、くるりと振り返って笑う顔が好きであった。
 イズナの兄、うちはマダラとは。
 まだ大人とは言えない年齢ながらも、そこらの大人にも引けを取らないような武働を見せる、うちはの古の血を色濃く受け継いだ忍である。少年期を脱し、青年期から成人へと移り変わろうとしている兄の姿は、同性で肉親であるという贔屓目を抜きにしても、男としての色気を孕み始めていた。
 今やひとたび、戦場へ出れば鬼神と呼ばれるマダラも、しかし自身の可愛い末弟の前ではただの兄であった。
 かつては、マダラとイズナを含めて五人の兄弟であったが、戦火によってマダラとイズナの間の三人の兄弟たちは既にこの世にはない。行き場の無い弟への愛情をマダラは一心にイズナへと注ぎ、そしてイズナもまたその愛で肉体という器をいつも満たしていた。
 鬼だとうちはマダラを恐れる者は、何も他一族の者だけではない。
 未だ族長には健在である父が座しているが、その次はすでにマダラで決定されているようなものである。もうこの一族の中には、兄と対等に言葉を交わし、拳を交えて高め合うことのできる者はいないのだ。若くしてそれだけの実力を持ち、さらに成長を秘めているマダラに対し、人々は畏怖するのだ。あまりに強大すぎるその存在と、苛烈に燃え盛る兄のチャクラに。
 それをあの優しい兄はどう思っているのか。
 自身が抜きん出ていることは覆しようも無い。歩み寄ろうとしても、同じ火の一族といえども皆、あまりに大きすぎる炎を腹の底から畏れてしまう。
 その状況に、あの優しく情の深い兄はきっと傷付き、そしていつからか諦めたのだろう。同じように、もう悲しむことにも飽いただろう。落胆しても、状況は変わりはしないのだ。
 そんな兄の心の寂しさを埋めるように、イズナは兄へ愛をお返しする。じゃれて抱きつき、それに応える腕の中でぎゅうと力を込める。


「兄さん、今日は脂の乗った鮭が手に入ったんだって。夕餉は鮭の塩焼きだよ」
「そうか。皆で夕餉を共にするのも久しぶりだな」


 嬉しそうに破顔する兄につられるように、イズナもきゅっと唇の端をあげる。
 金を稼ぐためには戦をしなければならない。それがうちはの生き方であった。ここ数年のうちに戦はさらに激しさを増し、まさに血で血を洗う日々である。族長である父も、二番手である兄も、そして今やうちはの三番手と褒めそやされているイズナも、毎日戦さ場へと出ている。同じ戦さ場へ行くこともあれば、違う場所へ行くこともある。
 しかし今日は。珍しく同じ戦場へと親子は出掛け、そして戦は午過ぎに集結した。もちろん、うちはの参入した一族の勝利である。
 幸いにも大きな怪我もなく終わった戦に、親子は久々に揃って食卓を囲むこととなったのだ。


「ねえ、兄さん。夕餉までもう少し時間があるでしょ?」
「ああ、そうだが」
「ちょっとだけでいいから、久々にオレの火遁みてよ」
「戦で疲れただろう?その心掛けは良いことだが、やり過ぎは毒だぞ」
「分かってる。でも、今回はほとんど終戦間近での参戦だったでしょ。不完全燃焼で、体がうずうずするんだよね」


 それを体現するように兄に抱きついた体を兄ごと揺すれば、兄はくすくす小さく笑ってみせる。
 言葉ではイズナの申し出を諌めるような素振りを見せていたが、その声色に本心からの呆れが混じっていなかったことにイズナは気付いていた。その証拠に、諌める言葉を吐きながらも兄は優しく慈しむような手付きでイズナの丸い頭をゆるゆると撫でているのだ。
 まったく、お前にはかなわないなあ。
 ぼやくようにそうこぼしたマダラは、子犬のようにじゃれて離れない弟の体をそっと離すようにして腕を伸ばした分だけの距離を作る。そうして、まだまだ自身よりも身長の低い、自身よりも柔和な顔付きの弟を覗き込む。


「仕方ない。少しだけだぞ」
「やったー!」


 無邪気に笑う愛弟に兄は滅法弱いことを、小狡い弟は誰よりも熟知していた。

***

 イズナには友がいる。
 少し年上の男だが、幼い頃より良く知っているその男は、イズナの心持ちを慮って対等の友として接してくれる。ナツメというその男は、族長の末息子であり、あのマダラを兄に持ち、うちは三番手となろうとしているイズナと対等であれる者がいない中でも、その態度を貫いてくれた唯一の友でもあったのだ。
 そんなナツメには、マダラと同い年になる姉がいた。
 ナツメの姉は、うちはの血脈の全てを集結したかのような美しいかんばせをした女性であった。
 髪は射干玉のように艶やかな夜色をしており、そこに浮かぶ白い肌は滑らかである。目は大きく、そこに浮かび上がる宵色もまた、他とは違うような格別な輝きを秘めている。そんな美しいかんばせの、左目の目尻には特徴的な二つ連なった泣きぼくろがある。それを大層気に入っている男を、イズナは一人知っている。が、それはここで語るべきではないだろう。
 そんな美しい女性であるナツメの姉のアヤメは、その弟ナツメや、幼い頃より世話をしてもらっていたイズナからすると、忍術の基礎の先生でもあった。
 圧倒的な武を以って敵を焦がして屠る兄は、細やかな術ではなくその通り派手な大技が得意な性分であった。逆を言えば、うちはの代名詞たる幻術などの細やかな術をあまり得意とはしていないのだ。火遁に関しても同様である。広範囲に達する大技ばかりが得意で、できないわけではないが火力の調整などは好まない兄であった。
 そんな兄から教わるのはすべて、兄の価値観に合わせた技の規模のものばかりで。兄よりも小柄で細身で、総チャクラ量も劣るイズナには、兄と同じように技を操ることはできなかった。
 そこで、そんな末息子の特性を見抜いた父タジマは、自身の片腕でもあるシブキへとイズナの面倒を見るように頼んだのだ。
 シブキはアヤメ、ナツメ姉弟の父親であり、うちはでも有数の術使いであった。特に、幻術や武器を使った戦術に関して秀でている忍であった。その男が自らの持てる全てを教え込んでいるのが、男の子供たちであるアヤメとナツメであった。
 うちはでは古くより、女が集落を守り、男が外で金を稼いでくるという風習がある。ゆえに集落を守る女も忍術を扱い、そしてそれを一族の子供たちへと伝えるのだ。
 うちはの女共は戦に出ないので、取るに足らない脆弱な女だと他一族には思われがちであるが、実のところそうでは無い。たまにそんな愚かな噂を信じて、うちはの美しい女共に手を出そうと襲ってくる輩もいるのだが、それらを見事撃退してみせるのは、何を隠そう女共なのである。そんな輩共の末路は、だいたい皆殺しにされるか、捕らえて尋問の末に殺されて、その死体のみ捨て置かれるため、これらがうちはの女たちの手柄であることは他一族には知られることはない。
 そんなうちはの女であり、優秀な父の血脈を受け継ぐアヤメもまた、とても優れた忍術使いであった。


「アヤメさん」
「あら、イズナ。どうしたの?」


 今日はナツメは戦に出ているからいないわよ?
 アヤメとナツメの家の代名詞でもある色とりどりの庭を手入れしていたらしい姿を見つけ、無礼だとは知りながらも垣根の向こう側からその名を呼びかける。するとしゃがみこんだ姿勢のままこちらへと顔を向けて応えるアヤメの姿に、イズナは良く見知った人物を重ね合わせた。
 この人もまた、マダラと同じくイズナに対して甘いのだ。
 入っても良いかと聞けば、二つ返事をしたアヤメに堂々甘えて、イズナは門まで回って敷地の中へと踏み込む。玄関先から庭まで回る通路にも、その花々は顔を綻ばせている。
 庭までやってきたイズナを見やったアヤメは、下ろしていた腰を上げてこちらへと向き直る。ゆるく傾げている首は彼女の内心をまさに表しているだろう。


「どうしたの?今日はイズナも昼に帰ってきたのでしょう?」
「うん。さっきまで兄さんに火遁を見てもらってたんだけどね、」
「マダラに?」
「うん」


 マダラがイズナに対して兄らしく指導している様子を思い浮かべたのだろう、アヤメは小さく声をこぼして笑う。
 イズナとアヤメの弟であるナツメが長い付き合いであるように、マダラとアヤメもまた長い付き合いである。その中でもちろんアヤメはマダラの気性も、その苛烈とも言えるチャクラの質も良く知っていた。
 繊細な内面とは裏腹に、威厳を表すような絶対的な力を好むマダラと、大胆で小生意気な性格とは裏腹に、繊細で緻密な戦法を好むイズナとでは真逆なのである。敬愛する兄に術を見てもらいたいという弟としての気持ちはあるのだが、それでもやはり傾向が違うせいかあまり鍛錬らしい鍛錬にはならない。
 マダラは至極真面目に、弟のためを思って助言を施そうとするのだが、それはマダラの物差しからみた言葉なのである。兄に届かない弟には、それをこなすには難しいところなのだ。マダラはそれを分かってあえて言っている部分もあるので、その期待に応えたいのだが、いかんせん今のままでは未だ遠すぎる。
 そんなマダラの弟の心情をも見抜いたのか、ゆるく微笑んだままアヤメはイズナへとその目を向ける。そんな彼女の目を、イズナはしっかりと見つめる。


「オレ、早く兄さんの役に立てるようになりたいんだ。豪気な技で敵を蹴散らす兄さんの、足下に群がる雑兵をオレが全員薙ぎ払って、兄さんが真っ直ぐに駆けていけるようにしたい」
「ふふ。なら、イズナはもっともっと強くならなければいけないのね」
「うん。兄さんを追いかけるために、オレは少しだって立ち止まってられない」


 天才だと兄は評され、秀才であると弟は評されている。
 器用になんでもこなして遠く先を行ってしまう兄に追いすがるために、イズナは努力をやめてはならないのだ。
 マダラも知らないであろうイズナの決意表明に、そのかんばせに慈しみをいっぱいに浮かべたアヤメは目を細めてイズナを見つめる。
 アヤメのそんな優しさと慈しみに溢れた視線が、イズナは大好きであった。兄とはまた違った愛で、イズナのその体を包み込んでくれる温かさがある。そんなアヤメの目をいとしく想っている男がいることを、イズナはしっかと知っている。
 本人はイズナには隠しているつもりであろうが、イズナはおろかアヤメの弟のナツメにも幼い頃からとうにバレている。もどかしい男の歩の遅さに、イズナとナツメはいつもやきもきさせられているというのに、当の本人はそれすら気付いていない。イズナとナツメで色々と男のために画策していることも、当の本人は知りもしないのだ。
 相変わらず穏やかな表情を浮かべていたアヤメであったが、イズナの決意を聞いてから、庭いじりで土がついてしまわないようにとかけていた前掛けを外す。それを手の中で小さく畳みながら、それじゃあとアヤメは唇に笑みを浮かべる。


「今日は戦終わりだし、マダラとの鍛錬もした後だから、本当に少しだけ鍛錬をしましょうか」
「やった!じゃあ、幻術の鍛錬してくれる?兄さんじゃできないから」
「あら、マダラもできないわけじゃないのよ」
「知ってるけど、アヤメさんの方が長けてるでしょ、幻術は」
「うーん、どうかしらね」
「長けてるの!」


 母を幼い頃に亡くしたイズナにとって、アヤメとは。
 忍術の師の一人でもあり、友人の姉でもあり、自身の姉のようでもあり、そして、兄が恋する唯一の女性であるのだ。


「あ、ねえ、アヤメさん。今日うちにご飯食べにおいでよ。ナツメもまだ帰らないんでしょ?」
「たしか、終わるのは明日って言ってたわ」
「じゃあ、おいでよ。美味しい鮭の塩焼きなんだよ」
「それじゃあ、ご相伴にあずかりましょうか」
「やったね。きっと兄さんも喜ぶよ」


 ああ。早く、アヤメを姉と呼べるようになりたいものである。

2017/12/12
(2018/01/21)
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