息をするだけで精一杯なの


 雨が降っていた。
 季節は夏へと変わりゆく時期を迎え、その途中に挟まる梅雨へと突入している。
 そんな雨の日に、マダラはアヤメの家へとやって来ていた。
 こんなに雨が降っていては、戦もままならない。それでも戦を行う一族や国もしているが、今回は幸いにもうちはには出陣の依頼も要請も来ていなかった。
 ここ最近のマダラは、戦のある日は出陣し、無い日には鍛錬をしてから柱間少年と遊ぶか、それともアヤメと過ごすかであった。こんな雨が降ってしまうと、うちはお得意の火遁の練習もできなければ、柱間と会って交友を深めることもできない。だからというわけではないが、アヤメに会いに行こうと思い至って、こんな雨の中アヤメの家を訪ねたのだ。
 そんな、こんな雨の日に、と言われても仕方がないところであったのだが、アヤメの父であるシブキは穏やかにマダラを招き入れてくれた。
 そして今、マダラとアヤメは二人並んで縁側に座っていた。
 この日の雨は、さらさらと細い糸のような弱い雨であって、縁側に座っていた二人に雨が降りかかることはなかった。


「お前の家は、いつも色とりどりだな」
「え?」
「庭だよ。お母上が手入れしてんのか?」


 突然振られたマダラの言葉に、驚いたように首を傾げたアヤメであったが、マダラが言わんとしていることが分かるとすぐにその顔に緩く笑みを浮かべた。
 そうして、その目をアヤメは自身の家の庭へと向けた。


「うん。母上が花が好きなの。だから、季節とりどりの花が庭には植えられているのよ」
「へえ。今咲いてる、あの紫の花は?」
「あれは花菖蒲っていうの」
「菖蒲?あの、何れ菖蒲か杜若ってやつの?」
「そうそう、その菖蒲よ。でも、あれは正しくは花菖蒲よ」


 花にはとんと疎いマダラが問えば、母から知識を与えられているらしいアヤメはそれを教えてくれる。つらつらとその花を指差したり手振りを交えながら話すアヤメを、マダラはひどく穏やかな様子で見つめていた。
 白い小さな花をつけているのは梔子で、八枚の紫の花弁の花は風車、青と桃色の小振りの花が集まっているのは紫陽花、芯に近いにつれて色を濃くしている花は槿、といったような様子で、アヤメは庭に咲いている花々を一つずつ指差してマダラへと教える。
 しかしそんなマダラが、どこか気もそぞろな様子で自身を見ていることに気付いたアヤメは、訝しげな顔をしてマダラを見上げた。


「マダラ?聞いてるの?」
「、あ、ああ。聞いてるさ」
「本当?じゃあ、あの花の名前は?」
「え?えー、っと」


 少し意地悪な表情を浮かべて、白い小さな花を指差したアヤメに、マダラはしどろもどろに言葉を濁す。困惑した表情を浮かべて、どうにか正解しようと頭を悩ませているマダラを少し見つめてからアヤメはもう、と小さく息を吐き出した。
 そうして、再びその指で花を示す。


「あれは、梔子の花。沈丁花や金木犀と並ぶ、香木の花よ」
「・・・悪ィ」
「んーん。いいよ」


 すまなさそうに顔を伏せるマダラに対して、アヤメはツンとした顔でそれを許した。が、尚も申し訳なさげな様子で項垂れるマダラに、アヤメは再び息を吐いて、その細い両の手を伸ばす。
 グイ、


「今はわたしと一緒にいるんだから、ちゃんとわたしを見てよ、マダラ」
「、」


 マダラの両頬を包み込んだ温かな手は、優しい力でその顔をこちらへと向けさせる。と、思いの外、近い距離でこちらを覗き込んでいるアヤメのかんばせに、マダラの顔は一気に熱を持つ。
 そんなマダラの様子にアヤメは驚いたように僅かに目を見張り、より一層その距離を詰める。


「マダラ?どうしたの、具合悪いの?」


 こつん、とぶつかった額と額。
 鼻がくっつきそうな程に距離を詰め、その距離でアヤメが真っ直ぐにこちらを向いている。柔らかい睫毛が影を作るのも、マダラの身を案じて軽く噛んでいる唇も、近すぎてぼやける輪郭も。そんな距離から見ても、マダラの目にはアヤメは美しく映った。
 アヤメの身を案じる問いにも答える余裕もなく、マダラはただ全身の熱という熱が自身の顔へ集まっていくような感覚にとらわれていた。


「ねえ、マダラ?」
「姉様、どうしたの?」


 と、再びアヤメがマダラの身を案じて声をかけた時であった。マダラよりもずっと幼いおのこの声が、二人の間に響いた。その呼びかけに応えるように、アヤメの顔が遠ざかっていくのをマダラは見た。
 頬を包む手はそのままに身を引いたアヤメは、声の持ち主である闖入者に顔を向けた。


「少し、マダラの具合が良くないみたい」
「え?父上呼んでこようか?」
「うーん、そうね、」
「っ、いや!大丈夫だ!」
「え、マダラ?」


 闖入者であるアヤメの弟は、姉からマダラの不調を聞いて、ここは大人の力を頼るべきかと父親を呼ぶことを提案する。そんな弟の提案に、急に口数を減らして顔を真っ赤にしているマダラを心配するアヤメも賛同しようと口を開いたところで、ようやくマダラの口が動いた。
 慌てて勢いよく姉弟のその提案を無かったものにしようと、マダラは必死に口を動かす。


「でも、マダラ顔真っ赤よ?」
「何でもねえったら、何でもねえよ!オレは元気だ!」


 姉とマダラのやりとりに、まだまだ幼さの残る純粋な弟は何を思ったのか。未だマダラの頬を包み続ける姉の手を奪うようにそれを己の小さな手に取って、そしてマダラとアヤメの狭い間にまだまだ小さなその体を押し込んできた。
 彼のそんないきなりの行動に、二人は揃って目を白黒させる。


「え、ちょっと、」
「お、おい」


 戸惑いを露わにした様子で呼びかけてくる年上二人の声なんて聞こえていないとでも言わんばかりの様子で、アヤメの弟は二人のそれぞれの手をぎゅっと握る。
 そうして、屈託のない笑顔を浮かべて二人を見上げた。


「姉様とマダラ様はとっても仲良しなんですね!まるで母上と父上のようです!」
「ちょっと、何言ってるのよ、この子ったら」
「、・・・」


 純粋な笑みを浮かべて、何の裏もなく自身の思いを言った弟に対して、アヤメはその言動を諌めようと姉らしい表情を浮かべて弟を見やる。そうして始まった姉の小言を向けられている弟、そんな姉弟の様子なんてそっちのけで、マダラはまた一気に全身の熱が顔に集中するのを自覚した。
 うちはの夫婦は、どこの夫婦も仲の睦じいものばかりだ。それは一族としての特性も大きくあるのだが、それ以上にお互いを想いあっているからこそである。
 唐突ではあるが、マダラはアヤメのことが好きである。だから、彼女の弟が自身らの両親のようにマダラとアヤメが睦じいと言われることは、これ以上もない幸福なのだ。
 続く姉の小言に嫌気がさしたのか、アヤメの弟はムッとしたような表情をして立ち上がると、自身の両手に握っていた二人のそれぞれの手を半ば強引に繋がせる。
 そうして、


「もう、姉上の頑固者!」
「な!こら、待ちなさい!」


 来た時と同じように、小さな闖入者は突然走り去ってしまう。姉が呼び止めるも、その小さな背中がもちろん立ち止まったりするわけもなく。パタパタと屋敷の奥へと走っていってしまった。
 全く、と弟に手を焼いているアヤメは、自由な方の手で自身の目元を覆って項垂れてしまった。それからややあってから、その反対の手にようやく意識が向く。
 ちらり、とアヤメの宵色の目が、マダラの手の甲を床に当てるようにして重なり合っている右手を見やってから、そろそろと伺うようにマダラへと向く。そんなアヤメの様子を目の端に捉えながらも、マダラは何も言わずに必死に平然を装うように意識する。


「・・・」


 そんな、こちらをちっとも見ようとしないマダラに対して、アヤメは何も言わずにきゅっと緩く唇を浅く噛み締めて。そろり、とその身を動かす。そうして、大して開いていなかった距離を詰めて、マダラの左腕の衣越しにもアヤメの存在を感じられるほどに身を寄せて。


「っ、アヤメ、」
「・・・ん」


 突然加わった左腕へと柔らかな重みに、弾かれたようにマダラが顔を向けると、そこには自身の肩に頭を乗せて身を寄せているアヤメのつむじが見えて。
 驚いてアヤメの名を呼ぶも、アヤメからちゃんとした返答は得られず、小さく頷くような声が聞こえるばかりであった。
 ただ、流れる髪の隙間から覗くアヤメの耳が、熟れた果実のように真っ赤になっているのにマダラは気付いて、それ以上口を閉ざした。 
 きゅっと。
 握る手に力を込めたその二人の寄り添う様を、しとしとと細い雨だけが彩っていた。

2017/12/11
(2018/01/15)
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