目を覚ました瞬間、唐突に怒涛のような記憶の奔流が襲いかかった。
 まるで頭が割れそうなくらいに痛んで、軋んで、飲み込んで、溢れる。
 それを自身の記録なのだと、そう自覚した瞬間に反吐が出そうになる。
 いつもいつもそうだった。生まれた時にはそうだとは自覚しないのだが、こうして唐突に何の予兆もなく記録が襲いかかってくるのだ。それを思い出すたびに、自分は何度繰り返せばいいのかと絶望したくなる。
 踏みにじられ、奪われるばかりの命だった。
 奪われまいと、いっそそれならば自分が奪ってやろうと、奪い尽くしてやろうと。世界をも手にしてやろうと。そうして己は天国へ行くのだと。
 けれど何度繰り返しても結果は同じだった。
 思い出して、行動に移して、今度こそ違えまいと進んでもどこかで歪が生じる。成功なんてしないのだ。
 帝王と呼ばれるようになったとしても、天才と呼ばれるようになっても、己は満たされることなく滅んでいく。ならば滅ばぬようにと進んでも、その歪は自分という存在を逃がしはしない。
 何度。何度、何度、何度、何度、何度。何度繰り返せば私は天国へ行くことができるのだろうか。
 今回記録を思い出した何度目かの私は、記録の中の多くの私と同じように行動しようという気にはとてもではないがなれなかった。今の私は記録の中でも数少ない方の私だと言える。
 今の私は奴を友だと思っている。母親は記憶の中のように美しく愚かなくらいに善に満ちていたが死んでなどいないし、父親は少なくともクズではない。平均的な、一般的な父親だった。それに時代も馬車が走るあの時代ではなく、文明が進んだ科学の時代だ。
 今の私には奪われる恐怖も、世界への憎しみもありはしない。だが、ただ、もういい加減、楽にしてほしいとは思った。
 記録の中で、数は少ないが何度かの私は今回の私と同じように破滅を進むことはなかった。最初にその道を選択した時の私は、確か今までとは違った結末を迎えることができたならば、きっと天国に行けるだろうと、そう信じて夜を生きることを選択しなかった。
 だが、結果は同じだ。
 奴を、ジョジョを憎まず、ジョジョの家を乗っ取ろうとすることもなく、彼の父親を毒殺しようともせず、ただひたすら友人として家族として一生を過ごしたけれど、それでも私は報われることはなかった。その結果に絶望して記録に目覚めた何度か目の私は、再び夜を愛でる帝王へと化すのだ。
 光に生きても、夜に生きても、私を待つのは繰り返しの絶望だ。
 もう、私は疲れていた。記録を繰り返すことにも、絶望を繰り返すことにも。


「ねえ、ディオ。今日は君に紹介したい子がいるんだ」
「この子は僕の幼なじみで、名前っていうんだ」


 この流れも、何度目だろうか。
 笑うジョジョと、その隣りに立つ少女を無感動に眺める。
 この少女はジョジョの幼なじみの少女で、こうして光を私が選択した時のみ現れる。少女はふわりと揺れる赤茶けた髪とアンバーの目を持っていて、花が咲くように笑うのが特徴だった。少女は大人になっても少女の頃と同じように微笑み、やがてある男と恋に落ちるのだ。その相手を私はいつも見たことはないが、ジョジョからは幸せそうだと何度も聞いていた。だが、そんな少女が迎える最期はいつも同じだ。花が枯れて朽ちるように、少女はやがて病に伏して、息をするのを止めるのだ。
 それが、繰り返しを生きる私が知る少女の全てだった。


「名前です。よろしく」


 そうして再び少女は私へと花のように微笑むのだ。


 ここからまた飽きるほど繰り返した記録が繰り返されるのだろうと思っていた。
 だが、なぜだか繰り返しの記録が小さく、しかし確かに軋むのを私は初めて聞いた。
 まず。今までの彼女はその微笑みを誰にでも向けて、同じように優しさをも誰にでも振りまいていた。だが、今回の彼女はなぜだか他人を、特に男を怖がっていた。幼なじみのジョジョを怖がらないのは理解できたが、不思議なことになぜか彼女は私だけは初対面から恐れる様子は無かった。
 それに喜んだジョジョは当然のように私と彼女が親しくなるように仕向け、奴自身は彼女を私に預けるようにしてエリナと親睦を深めていた。
 やがて少年だった私も青年となり、少女だった彼女が女性になる頃に、ジョジョとエリナは婚約を決めた。年齢にしては早すぎやしないかとも思ったが、それでもいつか遅かれ早かれ2人はそういった未来を歩むことは決定付けられていることだったので、素直に祝福した。
 そんな私の隣りで彼女もまるで自分のことのようにジョジョとエリナを祝福している姿を、私は横目に見ていた。
 そうして2人は決められたように結ばれ、2人の運命を切り裂くはずであるこの私がその道を選んではいないので、2人は仲睦まじい夫婦となって子宝にも恵まれた。
 息子が生まれたジョースター夫妻の元へと彼女と2人で祝いに行けば、相変わらず夫妻は人好きのする笑みを浮かべて私たちを迎えた。
 エリナと彼女は同性同士で話があるのか別室で赤ん坊と3人で話に花を咲かせているようで、あまった私たちは男2人で向かい合うこととなった。


「わざわざ来てくれて、ありがとう」
「いや。お前に似た赤ん坊じゃあないか」
「あはは、やっぱりそう思う?エリナにもそう言われたんだよね」
「ああ。それで、赤ん坊の名前は決めたのか?」
「うん。父さんの名前を貰ってね、ジョージっていうんだ」
「ふむ」


 赤ん坊の名前は記録と同じか。
 そんなことを頭の隅で思いながら、友であるジョジョと久々に会ったこともあってくだらない世間話が続く。夫妻の生活でこんなことがあった、仕事でこんなことがあった、休日には彼女と食事した日にはこんなことがあったと。
 くだらなくも尽きることのない話にこちらも花を咲かせていると、ふとジョジョが目を輝かせてこちらを見ているのに気が付く。なんだ、と話していた口を閉ざして見やると、ジョジョは小さく笑った。


「ふふふ、ねえ、ディオ。君、気付いてる?」
「なにをだ」
「やっぱり自覚していないのかい?君ったら、話のほとんどが名前とのことだよ」


 気付いていなかったのかい?
 柔らかく問われて、私は息を一瞬止めた。しかし、そう言われてみれば、確かに私が話す内容の殆どに彼女の存在が出てくる。私は私自身の話をしていたはずだというのに。
 驚きを表情にも出していたのだろう。そんな私を見てジョジョはふっと息を噴き出すようにして、また笑う。


「ディオって、変なところで鈍いよね」
「な。に、にぶ…」
「だって、そうだろう?何気ない、君の毎日の話をしている中で、こんなにも名前の名前が出てくるということは、それだけ君の毎日と名前の毎日が寄り添っているということだろう?いい加減、君も自覚したらどうだい?周りの女性と上辺でしか付き合ってこなかった君が、名前にだけ向ける表情があることを。名前にしか許さない君の距離があるってことに」
「、」
「いい加減自覚しないと、名前が先に逃げちゃってもいいの?」


 ジョジョの言葉に、まるで頭を鈍器で殴られたような衝撃を感じた。それと同時に自覚する、彼女、名前の存在。
 そうだ。繰り返しの記録の中で数少ない光を選んだ時のみ、現れる彼女の幸せを自身の目で確認せずにジョジョに尋ねるばかりだったのは、彼女が、名前が自分以外の男の手によって女になり、幸せになって、その微笑みを男に向けるのを見たくなかったからだ。そして光を生きた後に必ず次に夜を生きると決意するのは、そんな他の男とばかり生きる名前を見たくなかったからではないのか?
 自覚してしまえば、その事実はすんなりと私の中へとストンと落ち込んできて。つまりは自覚していなかっただけで、その感情はこの体の中で密かに育まれて、知らず知らず芽を出していたということなのだろう。
 なぜだか胸の辺りが暖かく感じられて、胸に手を当ててみれば心なしかじんわりとした温もりが伝わってくるようで。
 なるほど。確かに私はそういう意味では鈍い方に当たるようだと、ジョジョは苦笑を噛み殺す私を優しい目で見ていた。


「君ってば、いつもは僕なんかよりいくつも先のことを考えたり、色んな知識や広い視野を持っているのに、名前と君に関わることにだけは、ほんっとうに鈍いんだなあ」
「やかましいぞ、ジョジョ」


 一変してにやにやと笑うジョジョに言葉だけの怒りをぶつけると、また何が面白いのかジョジョは声をあげて笑いだして。
 そんな笑うジョジョの声が気になったのか、隣の部屋から女性2人が姿を現した。


「どうしたの、ジョナサン」
「いいや、エリナ。なんでもないよ」
「何か楽しいことでもあったの?ディオ」
「いや…」


 寄り添う夫妻と、不思議そうに私を見上げるアンバーの目。
 そうっと名前の頬に手を当ててみると、名前は肩を竦めてすくすぐったいと身を捩った。くすくすと笑いながら、それでも恐怖の対象であるはずの男から逃げない名前に、ひどく優越感を覚えた。
 それからジョースター夫人の夕食に誘われ、楽しいディナーを過ごした私たちは遅くなり過ぎない時間に夫妻の家を辞した。ここまで私の車で来ていたので、行きと同じように名前は助手席に乗り込んだ。


「楽しかった!エリナも幸せそうだったし、ジョージはとっても可愛かったわ」


 ディオもそう思うでしょう?
 問いかける声にああと頷きながら、車を進めていく。
 頭の中を巡るのは、ジョジョとのあの話だ。
笑い、微笑む隣りに座る名前をこんなにも意識したのは、初めてだ。


「なあ、名前」
「なあに?」
「私は、…」
「うん?なあに」


 突然車を止めた私を不思議そうに見つめながら、名前は微笑んだ。
 ああ。そうやって目を細める癖も、微笑む顔も、僅かに傾けられた首も、薄くも膨らんだ唇も。そしてその美しい名前が。


「名前、私はお前が好きだ。愛している」


 全てが愛おしくて仕方ない。
 名前は大きな目をさらに大きく丸くして驚いていたかと思えば、次の瞬間にはとびっきりの大輪の花が咲き誇るような笑顔を浮かべていた。しかしその目に、僅かに涙が浮かんでいるのが、夜の暗闇に見えた。


「わ、私も、ディオのこと好き。大好き。ずっとずっと好きだったわ」
「ああ、遅くなってすまない」


 とうとう溢れてしまった涙に、シートベルトを外して身を乗り出すようにして指で拭ってやれば、よけいに涙を流しだすのだから困ったものだ。だがそれが嬉しくて流している涙なのだと思うと、どうしようもなく名前が愛しくなり、シートに押しつけるようにして抱き締めて
口付けた。
 止まらなくなってしまう前に身を起こし、名前の潤んだアンバーの目を覗き込む。


「今夜は帰したくない。私の家に来てくれるか?」
「、うん。私も、帰りたくない。ディオと少しでも一緒にいたい」


 いつもなら名前を家へ送り届けて自宅へ帰るのだが、今日ばかりはそうはできそうもない。
 可愛らしいことを言う名前の額に唇を落としてから、私は再びハンドルを握った。


 繰り返しの記録に絶望し、未来に希望すら持たなかった私はこの日、繰り返しの中で初めての愛を知った。
 やがて私と名前は結婚し、4人の息子に恵まれる。それからもずっとジョースター夫妻との仲は続き、穏やかに私は名前と共に生きた。
そして。


「先にいって、待っているわ」
「ああ。お前を待たせすぎないようにする」
「ふふふ。あなたを待つのは、慣れているわ。だって、あなたを待つ時間も私には楽しいひとときなんですもの」
「名前…」


 しわくちゃになって、それでも相変わらず花のように笑う最愛のひとは、たくさんの家族に囲まれて微笑みながらこの世を去った。
 記録と同じように病に臥せってはいたが、それでも名前は幸せそうに微笑み続けていた。
 名前が先に待っていてくれるのなら、死を恐ろしく感じることはなかった。
 それから数年して。私もまた名前と同じようにたくさんの家族に囲まれながら、息を引き取った。
 全てが真っ白になる瞬間、


「ディオ」


 あの日の名前が私へと微笑んでいたのを見た。
 繰り返しの私にとって、光を選んだ時にのみ現れる名前こそ私の救いであり、その愛に満たされ、名前を愛することを知ることこそが天国への鍵だったのだと、最後の瞬間に愚かな私はようやく気付くのだ。

 この私を最期に、繰り返しの記録の私は終わりを迎えた。
 最後の私は、今までの中でこのうえなく幸せと愛に満ち満ちた私だった。
夜があって、朝がきたこと

title "as far I know"
(2015/02/06)

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -