1939年2月25日。
 その日、エア・サプレーナ島で修行を行っていたシーザーとジョセフの最終試練が行われようとしていた。最終試練の内容は、それぞれの師範代と真剣に戦うこと。今まで身につけた波紋を用いて師範代と戦い、そしてその力を認めてもらうことこそが合格の条件であった。
 その日の深夜。
 アンナはリサリサに呼ばれて、試練後の疲れているであろう2人のために夜食を準備していた手を止めてリサリサの私室へと向かった。そこで目にしたものに、アンナは言葉を失った。


「スージーQ!どうして、ひどい…」
「アンナ、スージーQの手当てをお願いします」
「はい…」


 そこにいたのはリサリサと試練を終えたらしいジョセフとシーザーとスージーQの4人で。しかしスージーQは体中至る所に裂傷を作り、血に濡れて倒れ込んでいたのだ。友人の痛ましい姿に顔を歪めるアンナを慰めるように、シーザーは彼女の側に寄り添った。


「俺が運ぼう」
「ええ…、ありがとう、シーザー」


 軽々とスージーQを抱え上げたシーザーに頼み、スージーQの部屋まで運んでもらうことにした。
 部屋へ行くまでの最中、シーザーもアンナも言葉は無かった。それはスージーQの部屋へ到着して、気を失っている彼女の治療を開始しても変わらなかった。
 裂傷を作った体を清め、消毒し、ガーゼや包帯で傷を保護して、その作業が終わった後にアンナとシーザーはスージーQの部屋から辞することにした。眠っているのを邪魔するわけにはいかないと思ったからだろう。
 俯き、言葉を発さないアンナを案じたシーザーは彼女を自室へと促した。そして、いつかのようにベッドへ腰を下ろした。


「アンナ、大丈夫か?」
「…シーザー」


 アンナは血がダメだというわけではない。凄惨な現場に恐怖したわけでもない。ただ、大切な友人があんな風に傷付けられたことにショックと恐怖を覚えたのだ。
 シーザーとジョセフがこの島で修行する理由をアンナは知っている。シーザーの父のことも知っている。だからこそ彼らが戦う相手が人間でないことも。人間と戦う以上に危険であることにも、想像はつくのだ。
 膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめたアンナはようやく顔を上げた。不安に彩られたアンバーが、シーザーを射抜く。


「こんな、こんなひどいことをどうして…っ」
「アンナ…」
「あなたがそういう存在と戦うために、今日まで修行をしてきていたことはわかってる。でも、でも!私はシーザーにもジョセフにも傷付いて欲しくないの!」


 涙を浮かべながら訴えるアンナに、シーザーは堪らずアンナを抱きしめた。彼女を落ち着かせるように強く強く抱きしめ、背中を撫でる。
 アンナも貧民街で育ったのだから血生臭いことには慣れてはいる。だが、それが自分の周りの人間に関わることを極端に嫌うのだ。彼女は自分の両親に捨てられて貧民街にやって来た。その時の孤独感と絶望は彼女の心に深く突き刺さっており、ゆえに人並み以上に自分の周りの人間の喪失を恐れているのだ。
 それを知っているからこそ、シーザーはアンナを安心させようとしているのだ。


「アンナの言いたいことは分かる。だが俺は柱の男たちに父を殺され、そして今夜はロギンズ師範代を殺され、スージーQが傷つけられたんだ。だからこそ俺は、俺たちは奴らを倒さなくちゃあならない。殺された父とロギンズ師範代の無念を晴らすため、スージーQの味わった痛みを返すために、俺たちは行かなくちゃあならないんだ」
「けれど、シーザーっ」
「大丈夫だ、アンナ。俺は必ず君のもとへ戻ってくる。どんなにみっともない姿になっても、絶対にアンナのもとに生きて帰ってくると誓うぜ。だからどうか、俺を信じてほしい」


 シーザーは抱きしめていた体を離し、アンナの顔を覗き込むようにして伝える。アンナは涙に揺れるアンバーを真っ直ぐにシーザーへと向けていた。しかしその目や表情を染め上げる不安の色は消え去ることなく存在していて。その不安を拭い去ってやりたいが、きっとシーザーがどんな言葉を並べ伝えたところでアンナの不安の全てを消し去ってやることはできないだろう。
 それでも、それでもせめて少しだけでも愛する女性の不安や涙を拭ってやりたい一心で、シーザーは微笑む。


「アンナ、俺の愛しい人。どうかもう泣かないでくれ。アンナの笑顔が俺の力になるんだ」
「シーザー…」
「俺たちはスージーQが目覚めて話が聞け次第、柱の男たちを目指して出発する。それまでの時間を一緒にいよう。そして、出発の時にはどうか笑顔で見送ってくれないか?」
「…そう、そうね。約束するわ、シーザー。だからあなたも約束よ。絶対に、帰ってきてね」
「ああ。アンナ、君に誓うよ。あと、俺が帰ってきたときにはアンナに話したいことがあるんだ」
「ええ、あなたが帰ってくるのを待ってるわ」


 涙を滲ませながら懸命に微笑むアンナに、シーザーの胸はきゅうっと軋むように甘く痛んだ。健気でひたむきな恋人の姿に心が揺れ動かない男はいないだろう。
 シーザーはそっとアンナの頬に手を添えて唇を重ねた。甘く、優しく重ね、食み、角度を変えて口付けて、アンナの腕が自身の首に回されたことを感じながら、シーザーはそっとアンナをベッドに押し倒した。

***

 目覚めたスージーQから彼女が操られていた間に、リサリサが守っており、柱の男たちが求めているというエイジャの赤石が送られた先がスイスのサンモリッツであることを聞き出したリサリサは、シーザーとジョセフとメッシーナを連れてサンモリッツへ向かう貨物列車を追うと言った。エイジャの赤石が柱の男たちの手に落ちてしまう前に、それが運ばれているうちに奪還しようというのだ。
 車で荷物を追う彼らをヴェネチア本島までスージーQとアンナは見送りにやって来ていた。


「また戻ってくるからよ!それまでに体の傷を治しておけよ!」
「JOJOっ」
「それじゃあ、アンナ。待っていてくれ」
「ええ。約束よ、シーザー」
「ああ、約束だ。行ってくる」


 スージーQとジョセフのやり取りの横で、アンナとシーザーは微笑みあってしばしの別れを告げる。必死に笑みを浮かべるアンナに、穏やかに笑みを浮かべたシーザーはほんの一瞬のキスをして髪を撫でて、車を発進させた。
 遠ざかる車から、戻ってくるのはお前がよぼよぼの婆さんになってからかも知んねえけどなー!と叫んだジョセフに、スージーQは楽しそうに馬鹿野郎ー!と笑いながら叫んだ。
 すぐ隣の友人の中で育まれようとしている蕾にアンナは小さく微笑みながら、しかし抑えきれない不安を感じながら車が見えなくなるまでそこを動かなかった。
 車が完全に見えなくなってから、スージーQはアンナを見た。見たこともないような切なげで悲しげで不安に彩られたアンナの様子に、見ているスージーQの方が悲しくなりそうになりながらもスージーQは努めて明るげな笑みを浮かべた。


「ねえ、アンナ。せっかくなんだし、ちょっと買い物して帰りましょうよ。それで、みんなが帰ってきたときにはとびっきりのご馳走を用意してあげましょ?」
「ええ、そう…そうね。そうしましょう」
「ついでに服とかも買いに行かない?私がアンナの服を選んであげるから、アンナは私の服を選んでね!」


 スージーQは持ち前の明るさを発揮しながら、アンナの不安をどうにか消してあげることができるようにと、彼女の手を取ってヴェネチアの雑踏に向けて足を進めた。そんなスージーQの気遣いを感じながら、アンナは目を伏せた。これ以上周りに気を遣わせないようにしようと、そう思い改めてアンナはスージーQへと微笑みを向けた。


「ありがとう、スージーQ」
「うふふふ、どうってことないわよ」


 底抜けに明るいスージーQの笑みが、その時のアンナには眩しく感じられた。

(2015/03/14)
(2015/05/10)
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