夕陽にキラリと輝くその目を、シーザーは眺めていた。
 彼女の目は昔から美しかった。
 本来はアンバー色の、土の色に似た柔らかな彼女らしい温かさを秘めた目をしているのだが、彼女の目は光の加減で金色に輝くことがある。その加減は絶妙なものらしく、比較的西日が射す夕方あたりに見られることが多い。シーザーの知り合いにも他にアンバーの目を持った人間はいたのだが、こんなにも美しく輝く金色を持っているのはアンナだけだった。
 その美しい目ゆえにか、彼女はかつて身の危険に瀕したことがある。
 それはもう随分と昔のことではあるが、女性であるアンナの心に大きな傷を残しているのをシーザーは知っている。彼女の身に何が起こったのか、何が起ころうとしていたのか、殆どのことも知っている。なにせ彼女を救ったのはシーザーだったのだから。
 あの時にシーザーは初めて人を殺してやるという意思の元、握り締めた拳を何度も振り下ろしたのだ。
 しかし結局、それすらアンナに止められて、シーザーが自身の手で初めて人を殺めたのは柱の男たちとの初邂逅となったコロッセオの地下、瀕死の友マルクを安らかに眠らせるために手を下したその時だ。
 右手を見つめ、ぐっと握りしめる。
 柱の男たちとの期限はもう半分を過ぎた。自分とジョセフは今まで以上に厳しい修行に身を置かねばならないだろう。血反吐を吐いても、体が軋んでも、そうして最後に生きて帰ってくるために。
 それでも、とシーザーは息を吐いて目を細める。こうやって愛しい人と過ごす時間は大切にしたいのだ。
 郵便配達員へと手を振って、遠ざかる船を見送ったアンナはくるりと振り返った先にいた恋人に驚いたように目を大きく開いた。


「シーザー?どうしたの、こんなところで」
「ああ。今日は早く修行が終わってな。食事まで一緒にいようと思ったんだ」


 シーザーはアンナの隣に立つと、まるで自然にそうなったかのようにアンナの腰に手を回して一緒に歩く。もちろん、アンナの歩調や歩くペースに合わせている。寄り添って屋敷の中へと入り、アンナは手の中にある郵便物を仕分けるために宛名を確認する。ほとんどがこの島の主であるリサリサ宛のものばかりで、あとでリサリサの部屋へ持っていかなければとアンナはエプロンのポケットにそれをしまいこむ。
 そうしてから隣に立つ恋人を見上げた。


「今から洗濯物を取り込まなきゃいけないの。シーザーはどうするの?」
「言っただろう?アンナと一緒にいたいんだ。君が邪魔に思わないなら、手伝いたいのだがいいかい?」
「邪魔になんて思わないわ。でも、食事に間に合わなくなるわよ?いいの?」
「間に合わなければ2人で一緒に食事を摂ろう」
「ふふ、そうね」


 今までは目を背けていた感情を自覚してからというもの、こうした今まで通りのやりとりや時間がどうにも愛しくてたまらなく感じる。
 もっと早く。もっと早く自覚していればよかったとシーザーはアンナに気づかれないように小さく苦笑した。

***

 乾いてふわふわになった洗濯物を取り込んで綺麗に畳み終えてからは、それらをそれぞれの部屋に運べば、それで今日のアンナの仕事はひと段落着く。もしも急ぎで用事があればリサリサから直接言いつけられるようになっている。
 スージーQの部屋、リサリサの部屋、ジョセフの部屋、シーザーの部屋、そうしてから最後にアンナの部屋へ戻ればいいだろうと頭の中で段取りを立てたアンナはシーザーにも手伝ってもらいながら屋敷の中を歩いていた。
 他愛のない談笑をしつつ、スージーQとリサリサとジョセフの部屋を順番に回り、ジョセフの部屋からそう遠くないシーザーの部屋へとやってきた。


「アンナ、よかったら少し寄っていかないか?」


 どうせ食事の時間は過ぎてしまっているのだから。と続けると、悩んでいたらしいアンナはややあってから、はにかむように小さく頷いて返事をした。
 掃除をするためにアンナはそれぞれの部屋へ入ったことがあるのだが、いつ見てもシーザーの部屋は綺麗に整頓されていて埃ひとつ落ちていなさそうに綺麗なのだ。
 この館でのシーザーの部屋はワンルームで、そこにベットと勉強をするためのテーブルが置かれていて、あとのスペースは本棚が占めている。そんな部屋でくつろぐ場所といえば彼のベッドしかなくて。シーザーに促されてアンナはそこにそっと腰を下ろした。


「すまない、すこし散らかったままだ」
「ううん、そんなことないわ。いつもスージーQとシーザーの部屋は掃除のしがいがないって言ってるんだもの」
「そんなことを言っているのか?」
「ふふふ。だってジョセフと比べるとね?」
「ああ、想像はつくな」


 ジョセフの部屋を想像したのか、少しげんなりといった様子の表情を浮かべるシーザーにアンナは小さく笑った。シーザーやアンナにとって年下のジョセフは可愛くも憎たらしい弟なのだ。しかしアンナは前者が、シーザーは後者の感情が強いようではあるが。
 隣に座って、シーザーのなんでもない話に頷いて笑ってみせるアンナをシーザーは誰にも見せたことのないような優しさと慈しみを秘めた目で見つめた。
 シーザーが初めてアンナと出会ったのは貧民街でのことだ。
 どうやら少女だったアンナは食料を盗み損ねたらしく、そこの親父に取っ捕まえられそうになっていたのだ。それを少し離れたところで見ていたシーザーは、目を見開いて立ち尽くす少女の姿に小さく悪態を吐いて走り出したのだ。手頃にあった石を拾い、それを親父にぶつけて怯んだ隙に少女を救い出した。大人がどこまで追いかけてくるか分かったものではないので、隠れ家に戻るまでいくつか遠回りをしてシーザーは隠れ家へと少女を連れて帰ったのだ。
 そこでようやく、シーザーは少女を見た。
 少々日焼けをしているようだがそれでも白く見える肌に、痛んでいるようだがふわふわと波打つブロンドの髪に、アンバー色のくりっとした目を持つ少女は愛らしい容姿をしていた。
 少女の持つアンバーがまっすぐにシーザーを見抜いた時、シーザーは気づかれぬように小さく息を呑んだ。ろうそくの頼りない光源に照らされた少女のアンバーが、光の加減でか金色に輝いていたのだ。その美しさにシーザーは怯み、そして、自覚なしに恋をしたのだ。出会って間もない、少女に。
 それからというもの、ただ一度助けただけのその少女と共に生活をするようになり、いつしか彼女を守るのはこの俺だけだと思うようになった。その意志を貫くようにシーザーは彼女を守りながら2人で成長していった。だが、その意志は一度だけ砕かれたことがあった。ただ一度、たった一度だけではあったが、その出来事がアンナの心に消えようのない傷を残し、より一層シーザーが自身の感情から目を背けて彼女を守ろうと思うようになることと繋がったのだ。
 絶望に染められたアンバーから涙を零しながら小さくなって震える彼女の姿に、シーザーの理性と視界は真っ赤に染まり、ただ彼女を傷つけた原因の男を殺してしまいたいと心底殺意を抱いたのだ。
 その時をなぜ今思い出したのか。隣にいる今のアンナは楽しげに幸せそうに笑っている。その笑顔を、ずっと守りたいとたまらなく思うのだ。
 自分を見つめるシーザーの視線に気づいたのか、アンナは小さく首を傾げながらシーザーを見上げた。


「どうしたの?シーザー」
「…アンナ」
「シーザー?、!」


 見上げたシーザーはなぜだかどこか悲しげで切なげな表情を浮かべてアンナの名を呼んだ。それにどうしたのかと驚いて彼の名前をもう一度呼んだ瞬間、アンナの視界がぐらりと大きく揺れた。
 背中に触れる柔らかなものはベッドだ。額をくすぐる金色は、シーザーの髪だった。


「シ、シーザー?」
「アンナ…。すまない」
「え?」


 突然の謝罪にシーザーのペリトッドを見つめると、その目に映る複雑な感情にアンナは目を見開いた。
 そんなアンナの様子をシーザーは気が付いてはいたが、もう後に退くことはできなかった。
 固まっているアンナへとまるでキスをするかのように顔を寄せ、しかし唇を重ねるのではなくこつりとシーザーはそっと額をくっつけたのだ。


「すまない、アンナ。俺はもう二度と君を1人になんてさせないし、もう二度と君に悲しみと絶望を味あわせないと、傷つけないと君に誓う。だから、こんなにも自分勝手な俺をどうか許してほしい」
「シーザー」


 シーザーが謝っているのが何に対して最初は分からなかったが、続いた言葉にそれが何を指しているのかアンナにだって分かった。
 それは彼女自身が消してしまいたい傷を残した夜のことだ。
 その日の夕方に、彼にかつてやられたらしい男がシーザーに仕返しをしに隠れ家を嗅ぎつけてやって来たのだ。その時たまたまシーザーは不在でアンナだけがそこにいたのだ。復讐をしようとした男に囲われているらしい力のない女は、格好の人質で、これ以上にもないほどの弱点でもあった。その男は書置きを残してアンナを攫った。女を返して欲しければ、なんて言葉から始まる陳腐な書置きを。
 シーザーがやって来てくれるまで、そのほんの数時間はアンナにとっての地獄だった。愉快そうにシーザーへの復讐を口にし、シーザーにダメージを与えるのに一番効率の良さそうなアンナを利用すると言ってのけ、恨むならシーザーを恨めと言い放った男が気持ちが悪くて仕方がなかったのだ。思いついたように売る前に味を試すと言って卑下た笑みを浮かべた男に襲いかかられたのは、すぐのことだった。だがそれは未遂のうちにシーザーが助けに来てくれたので、事なきを得た。
 その時のことをシーザーは言っているのだ。もう、5年前の話を。
 アンナはその時のことでシーザーを恨みなんてしなかったし、彼のせいだとも思わなかった。アンナがシーザーを許さなかった時なんて、一度だってないのだ。
 アンナは手を伸ばして悲痛げに未だ自己を責めるような表情を浮かべるシーザーの頬にそうっと添えた。


「許すもなにも、私はシーザーのこと怒ったりしてないわ。自分勝手だとも思ったことないもの。シーザーこそ、ずっと私のことを守ってきてくれてありがとう。私だってもう大人よ。私にも少しくらいシーザーが背負っている痛みを分けて?」
「ああ、アンナ。愛している」
「私も、愛してるわ、シーザー」


 重なった2人の影は、夜の気配を含んでいた。

(2015/03/06)
(2015/04/27)
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