その朝、身支度を整えて食堂へとやってきたシーザーは目を剥いた。
 あんぐりとみっともなく開いてしまいそうな口をどうにか閉じて、しかし体はドアを開けたその状態から一歩も動くことなく、もちろん首も目も動いてくれないので、シーザーを朝からそうやって驚かせる室内の光景から視線を外すことはできない。

「なあ、アンナ。これはどの辺に置けばいいんだー?」
「あ。それはテーブルの真ん中辺りに置いてくれる?そう、みんなが取りやすいところね」
「おお」

 くらり、と眩暈さえ覚えそうな光景にシーザーは額に手を当てた。
 いっそ叫んでしまいたい。
 ママ・ミーア!
 そんなシーザーにようやく今初めて気付いたと言わんばかりに、アンバーとエメラルドの2色の並んだ目がこちらを向いた。仲良く並んでテーブルの上に食事を用意していた手を止めた2人はシーザーへ向かってそれぞれな反応をして見せた。
 ジョセフは片手を挙げて「よっ!朝っぱらからでも色男は健在かあ」なんてニヤリと笑って軽口を叩いているし、アンナはいつものように柔らく笑みを浮かべて「おはよう、シーザー」なんて本当にいつも通りな出迎え方をしてくれる。
 あまりにも普通というか、違和感を感じさせないような2人の様子にこっちの方がおかしいのだろうかと頭が痛くなってくる。が、いいや。ここは2人の様子の方が明らかにおかしいだろうとシーザーは小さく頭を振る。不思議そうな表情で2人がシーザーを見るが、そうでもしなければ朝で動きの鈍い頭が混乱で一層動きを鈍らせそうだったのだ。
 そうしてようやく決意を決めたと言わんばかりに、この違和感の正体へと口を開こうとシーザーが唇を震わせた時だった。


「シーザー。一体なにをしているのです?早く席に着きなさい」
「はっ!?」


 ふと耳に届いた、シーザーにとって至高の女神の声に慌てて周りを見渡す。
 するとどうしたことだろう。先程までアンナと2人で食事の準備をしていたはずのジョセフは自分の席に座っており、他の椅子にはいなかったはずのリサリサと2人の師範代が既に座っていて。立っているのはシーザーだけで、いつの間にか食事の準備も終わってしまっているのだ。
 シーザーは慌てて自分の席に座る。するとそれを見ていたジョセフがマスクに隠されていない生意気な顔でぷくくと今にも噴き出してしまいそうな様子で笑っていて。その表情を見てしまったシーザーは朝からむかっ腹が立ったが、今は食事だとその怒りを抑えることにした。
 抑えた分、蓄積されていく怒りはこれからの修行で存分にジョセフへぶつけてやろうと心に決めて、シーザーはサクサクなクロワッサンを頬張った。

***

 この日の修行は波紋を扱う戦士として最も重要なもののひとつと言える肺活量の増強だった。
 そのために島の外周をぐるりと泳ぎ続けるという単調だが、距離が距離なのでひどくしんどい修行となった。僅かに与えられる休憩はあったが、それでも体力的にも精神的にも疲れるものは疲れる。ましてやジョセフに至っては呼吸法矯正マスクをしているので、疲労で少しでも呼吸が乱れてしまうと、それだけで呼吸困難にもなるのだ。そうやって沈んでいきかけた彼を、何度シーザーは助け上げたことだろう。そしてなんど叱りつけただろう。
 師範代であるロギンズとメッシーナから許しを得るまで、死の遊泳といっても過言ではないその修行は続けられ。ようやく終えた2人は陸に上がってしばらくその場に倒れて動くことはできなかった。
 はあ、はあ、と整えられない荒い呼吸が2人分、そこに響く。


「っ、なあ、JOJO、」
「ッ、、あ?なんっだよ、っ」
「お前、いつの間に、アンナと、…」


 お前、いつの間にアンナとあんなに親しくなったんだ。
 そう問おうとした声は途中でその先を紡げなくなった。なぜなら、その言葉を口にするまではジョセフへアンナの1番の友人として兄替わりとして問おうとしていたはずなのに、口から出た声色はそんな友人や兄替わりとしての感情ではない、隠しようもないひとつの感情だけが乗せられていたのにシーザー自身で気が付いたからだ。
 シーザー自身が気付いたのなら、当然声をかけていたジョセフも気付いていて。ジョセフはニヤリとした表情でシーザーを見やった。


「ええー?シーザーちゃん、なんだってぇ?ちゃあんと言ってくんなきゃ、わっかんねーなぁ」
「…っ」


 こいつ!
 シーザーが問いたいことをジョセフは察している。そういうところは驚くほど鋭いので、気が付かないわけがない。だがそれを知った上で、シーザーの先程の声に込められた感情にすら気付いた上で、ジョセフは再びシーザーへと言わせようとしているのだ。悪態を吐かずにはいられなかった。
 シーザーは努めて先程のような感情ではなく、彼女の友人として兄替わりとしての感情を乗せるように意識して、ジョセフへと言いかけていた問いを再び声に出した。


「…お前、いつの間にアンナとあんなに親しくなったんだ…っ、」


 意識していたはずなのに、なぜか再びその感情ばかりが乗せられた声がシーザーの唇から溢れた。
 いつどんな時に見たって誰もが端整だと言う顔を歪めるシーザーに、ジョセフはマスクに隠されていても伝わるほどのニヤリとした表情をして、挑発するように唇を歪めた。


「あっれぇー?シーザーちゃんったら、この俺に嫉妬してるわけ?」
「、違う!俺はっ」
「違うの?じゃあ、俺がこれからアンナともっともっと仲良くなっていいんだな?」
「な、仲良くって、お前、」
「おいおい、シーザーともあろう男がまさか勘違いしちゃあいないよなあ?まさか男がオトモダチになるためだけに仲良くなろうって言ってると思ってんのか?そりゃあ、初めはそれでいいって思ってたんだけどよー。こないだアンナと一緒に買い出しに行った時に、アンナのこといいなーって思ったんだよ」
「!」


 ジョセフの口から出てきた言葉にシーザーは目を見開いた。見開かれたペリドットの目でじっとニヤリと笑うジョセフを見つめる。そんなシーザーの様子に気付きながらも、ジョセフは喋る口を止めない。


「シーザーなら知ってるだろうけど、アンナってなんか守ってやりたいって思わせるとこあるだろう?上手く言えねえんだけと、こないだの買い出しの時一緒に居てよ、あいつのこと俺が守ってやりたいなーって思っちゃったわけよ」
「っ、…」
「な?だからよー、かわいい弟弟子のために、シーザーお前ちょっとアンナと距離開けてくれよ。今みたいにお前が彼女にべったりしてたら、俺がアンナと仲良くなれないだろー?」


 ぎりりと噛み締めた歯が音を立てるのを聞いた瞬間、ぷつんとシーザーは自身の中で何かが切れるのを感じた。そしてシーザーは自分でもそんな力がどこに残っていたのかと思うくらいの俊敏さで身を起こし、仰向けになっていたジョセフの胸ぐらを掴んだのだ。ジョセフのマウントポジションを取り、力任せに掴んだ胸ぐらを持ち上げるとジョセフの上体が無理矢理に引き起こされる。そうやって無理矢理起こされたジョセフが非難を込めた目をシーザーへ向けた瞬間、目に入ったシーザーの様子にジョセフは目を見開いた。
 あのいつでも澄ました様子で、兄弟子らしくジョセフへは余裕を持った態度を取っていたシーザーが、今はいつものような余裕も感じられなければ澄ました様子もない。いつもの厳しさの中に優しさを感じさせるペリドットが、今はまるでその視線だけで人を殺してしまいそうなほど鋭い色を放ってジョセフを射抜いていた。


「それ以上勝手なことを言うんじゃあないぜ、JOJO。アンナを守るのはこの俺だ。あの頃から、今まで、そしてこれからも、アンナと共にいるのはこの俺だ」
「っ、シーザー、それはお前がどういうつもりとしての言葉だ?まさか、この後に及んで兄替わりとしてや友人としてなんか言わねえよなぁっ」
「それは、」
「兄替わりや友人としてだって言うんなら、いい加減アンナを突き放してやれ!お前じゃあない、別の男と幸せになる権利はアンナにだってあるだろうが!お前がそれを制限してんじゃねえよ!」
「貴様!アンナと俺のなにが分かる!」
「んなもん知らねえよ!けど、けどよ、お前がそのつもりでもない、ましてや感情に気付きもしないってんなら、それはアンナだけが可哀想すぎるだろう!」


 怒鳴るシーザーに負けじと怒鳴り返すジョセフの言葉に、シーザーは返す言葉に詰まる。
 確かにジョセフの言うことは正論だ。
 彼女には他の男性と幸せになるチャンスも権利もある。しかし、それをシーザーは昔も今もきっとこれからも許すことはできないだろう。その感情がなんなのかくらい、改めてシーザーには簡単に理解できた。
 独占欲だ。ただただシーザーの自分勝手からくるエゴイズムな独占欲と束縛だ。
 貧民街から出るときにアンナも共に行こうと誘ったのは、確かに彼女をそこに1人残してしまうのが不安だという気持ちもあったが、それよりもそれ以上にシーザー自身がアンナを手離すことができなかったのだ。アンナには自分がいればいいのだと、アンナを守れるのは自分だけなのだと。そう思うことで、その行動を正当化してアンナを束縛し独占しようとする自分の薄暗い感情から目を背け続けただけなのだ。
 そして、なぜそうやってアンナを独占し束縛して共に生きていきたいと思うのかという問いからもシーザーはその感情と共に目を背け続けていたのだ。それに気付くと、アンナと自分の中の何かが変わってしまうのが恐ろしくて。
 だが、アンナが自分以外の男に奪われてしまうことと比べると、未知の変化への恐怖も感情の自覚だってどうだって良いのだと、シーザーはジョセフに気付かされた。


「ああ、そうだ!俺はずっとずっと前からアンナが好きだ。だからこそ俺はアンナを手離せない!JOJO、お前じゃあない、この俺が、俺だけがアンナの側にふさわしいんだ!」
「…だってよ、アンナ」
「!?」


 シーザーに睨まれていたジョセフはふいに目を細めると、ここにはいないはずの名前を呼んだ。
 その名前に驚き、たじろいだシーザーはジョセフばかりを睨んでいた顔を上げた。するとジョセフの向こう、館へと続く通路にバスタオルを2枚持って立っているアンナの姿に気付いたのだ。アンナの姿を目にしたシーザーの胸ぐらを掴んでいた手から力が抜けて、起き上げられていたジョセフの上体が地面に落ちる。イテッ、とジョセフの声が聞こえたが、そんなものはシーザーの耳を通り抜けて消えた。
 マウントポジションをとったまま呆然としているシーザーの体を押し退け、ジョセフは立ち上がった。そうしてアンナの方へと足を進めて、彼女の腕の中に抱えられたふわふわな大きなバスタオルを1枚もらって、そのまま館へと足を向ける。
 後ろで動く気配がしないからきっとシーザーはまだ座り込んだまま呆然としていて、アンナも衝撃に耳まで真っ赤にしたまま立ち尽くしているのだろう。
 そんな兄弟子と彼の大切な女性の様子を思い浮かべてジョセフは苦笑を浮かべる。
 あーっ!俺ってばなあんて優しくて演技派なキューピッドだろうか!優しい優しい俺に感謝しろー!!と叫びながら走り出したい気持ちを押し込めて、ジョセフは早足にそこから離れた。
 そうして残された2人に落ちたのは沈黙で。その沈黙を先に破ったのはアンナの方だった。


「え、っと。リサリサ様から2人が海で修行したっていうから、風邪ひかないようにタオル持ってきたの。シーザーの分も持ってきてるから」


 アンナは、それでもなんでも無かったように装って座ったままでいるシーザーの元へと近づいてきた。肌が白いので分かりやすく耳まで真っ赤になったアンナを、まだ復活できていないシーザーは呆然と見つめるばかりで。
 はい、と差し出されたバスタオルを見て、そこから辿るように手首から腕、肩から首へ、そうしてアンナの真っ赤になった顔を見てシーザーは息を呑んだ。


「ど、どこから聞いてたんだ?」
「え?ええっと、…シーザーがジョセフの胸ぐらを掴んだあたりから、かな」


 何てことだ!
 アンナはシーザーが感情を自覚しジョセフへと怒鳴りながら吐露するまでの様子を一部始終見ていたのだ。正直頭を抱えて、この場を逃げ出したかった。
 こうして感情を自覚したのだから、シーザーはシーザーらしくムードや場所をちゃんと用意してアンナへ気持ちを伝えたかったのだ。
 本当に偶然なのか、それともジョセフの忌々しい企みのせいなのか分からないが。いやきっと後者なのだろうけれど、結果としてシーザーは今まで目を背けてきた感情と向き合うこととなったし、それがアンナに知られてしまったのだ。もはやシーザーに目を背けるという選択肢は無かった。
 さっきまでとは打って変わって顔を引き締めて、シーザーは立ち上がった。
 いつもと変わらない、きょとんとしたアンバーの目で見上げるアンナへと手を伸ばし、男のそれとは違う柔らかで滑らかな頬を撫でる。聞かれていた話の余韻か未だ頬に熱を持つアンナは困惑したように眉をハの字にしてシーザーを見上げる。そんなクロエの様子に込み上げてくる感情を、独占欲を、自分だけだという優越感を、確かな愛情を、シーザーは今更気付かない振りすることはできなかった。
 アンナの頬を撫でる手とは逆の手で彼女の腕を引き、頬に置いていた手を滑らせてクロエの腰を抱きしめた。ふわりと揺れる、シーザー自身のとはまた違った色をしたアンナの柔らかなブロンドの髪がシーザーの頬を撫でた。


「な、えっ、し、シーザー?」


 手の行き場を失ったアンナは両手を広げた状態で、抱きしめてくる腕の中で肩口に顔を埋めているシーザーへ呼びかける。
 混乱の極みにあるアンナにはこの状況をどうすればいいのかなんて案は浮かんでこなくて。ただひたすらシーザーを待つしかなかった。
 ジョセフとシーザーの話は確かに途中から故意ではないが聞いてはいた。最初は怒鳴る2人の声に恐怖し、混乱し話の内容なんて頭に入っているようで入っていなかったのだが、しかしその話の内容の殆どが自分と関わっていることだと気付くと落ち着きを取り戻すことはできた。しかし続いて耳に飛び込んできたシーザーの言葉にアンナはせっかく落ち着いたというのに再び混乱することになった。
 アンナはシーザーのことをはっきりと好きだと断言できる。
 最初、幼い頃に救われた時に感じていたのは憧れの感情だった。だが、実はそれが初恋の感情だったのだと彼女が自覚したのは貧民街を出るときのことだった。一目惚れに等しい感情はアンナの中で少しずつ成長し、彼女自身が自覚したことによって、よりはっきりとした感情へと成長した。だからアンナはシーザーと共に縁も所縁もないヴェネチアへ行くことにも承諾したし、リサリサの元に滞在することにも同意した。
 すべては彼とどんな形でもいいから共に居たかったからだった。
 別にシーザーに自身がなんとも思われていなくても、妹のように思われていても良かったのだ。彼の中にとアンナいう存在を置いてくれているだけでアンナは満たされていたのだから。
 だからこそ、一層アンナは現状に混乱していた。
 シーザーが?好き?誰を?私を?なぜ?どうして?私を抱きしめているの?私はシーザーに抱きしめられているの?どうして?
 こういう様子であるのだ。
 そんなアンナを知らないシーザーは僅かに体を離し、アンナの顔を覗きこんで見つめた。


「アンナ、俺は君のことが好きなんだ」
「、…っ!」
「アンナがいてくれるだけでいい。俺の側にいてくれ。アンナ、大好きなんだ」


 切ない表情と声色で愛を伝えてくるシーザーに、アンナの方も切ない気持ちになってきた。それと同時にシーザーの言葉に込み上げてくる嬉しさと愛しさに胸が切なく痛んだ。
 アンナは行き場を失って広げていた両手を、シーザーの背中に回して自分からシーザーの胸に抱きついた。シーザーが息を呑んで驚いているのが、くっついている体を通してアンナにも伝わってきた。頬を逞しいシーザーの胸に擦り寄せて、シーザーの腕の中でアンナは微笑んだ。


「私も、シーザーのことが大好き。ずっとずっと、昔から大好きだったんだから」
「ああ、アンナ。好きだ、愛してる」


 花のように綻んだ微笑みを浮かべるアンナは、夢のような現実味のない現実に生きてきた中で1番の幸せを感じていた。同じように、シーザーも狂おしいまでの幸せを感じているのだとは知らずに。
 そうして2人はしばらく抱き合ったままで、しばらくしてからアンナがここへ来た意味を思い出すこととなる。


「すまない、アンナ。君まで濡れてしまった」
「ふふ、別にいいわよ。寒いでしょ、シーザー。風邪ひかないように夕食の前にシャワーを浴びてきてね。はい、バスタオル」
「ああ、ありがとう。だがアンナもシャワーを浴びた方がいいぜ。俺のせいで冷えてしまっただろう?」
「私は着替えるくらいで大丈夫よ、シーザー。あなたみたいにびしょ濡れじゃあないんだから」


 遠回りに遠回りをして、ようやく結ばれた恋人たちは、そのまま並んで館への道を並んで歩き出した。
 館に戻った2人を真っ先に出迎えるのは、ジョセフのからかいを含んだ祝福なのだと、穏やかに甘く微笑み合う2人は思いもせずに。

(20150222)
(20150327)
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