屋敷の主人のために朝食を作るのは、今日はアンナの番だった。この屋敷には主であるリサリサに雇われている住み込みのメイドはアンナを含んで2人いる。本日もう1人のメイドは洗濯が朝一番の仕事になっているのだ。
 イタリアは朝食はとても簡素である。チーズや蜂蜜などが入ったクロワッサンと何も入っていないプレーンなクロワッサンがそれぞれ入ったプレートをテーブルに置き、それぞれの席から手が届く位置にプレーンなクロワッサンに塗ることのできるようにチョコソースや色々なジャムの入った小瓶をセットする。
 そうして次に食器をセットしたいのだが。
 ここで小さな問題が1つ浮上する。
 いつもであればこの島と屋敷の主であるリサリサと、この島に滞在している彼女の弟子らの用意をしておけばいいだけの話なのだが、今はリサリサのいう波紋というものの修行が行われているのだ。その修行のために新たにジョセフ・ジョースターという男が新たにこの島へとやって来たのだが、修行が始まってからここ2日、修行を言い渡されたシーザーとジョセフは朝食はおろか食事を摂りに姿を見せたことはないのだ。
 シーザーと共にこの島へとやって来たがアンナには波紋の才能がなかったらしく、その修行を受けるのではなくメイドとしてこの島での滞在が許されたのだ。だがアンナはシーザーと一緒にいた時間が長いので波紋とはなんなのか、なぜそれを会得しようとしているのかを知ってはいた。
 一応リサリサ、シーザー、ジョセフの分の食器とシルバーとナフキンを用意して、そうしてからアンナは小さく息を吐く。そうしてそろりと向けた窓の向こうには清々しいくらいの晴天が広がっていて。もうすぐしなくても朝食の時間になるが、今日もリサリサひとりだろうかと、今日は洗濯物がよく乾きそうだなんて考える頭の隅でぼうっと考えていたときだった。
 がちゃり、と食堂の扉が開かれる音が背後から聞こえたのだ。
 リサリサが来たのかと扉の方へと振り返ると、そこに立っていたのは朝の柔らかい日差しをきらきらと反射させるブロンドの髪を持った人で。リサリサではなかったことと、ここへ来ることをあまり期待していなかった人物が立っていることにアンナはアンバーの目をきょとんと瞬きした。


「あれ、シーザー?」
「なんだ、その反応」


 クロエの様子にくつりと苦笑を浮かべてこちらへとやってくるシーザーに、アンナはびっくりしたのと笑った。
 まだ人数は揃っていないが先にシーザーにクロエが作ったフルーツジュースを出した。


「ここに来たってことは、修行がひと段落ついたの?」
「ああ、とりあえずはな。けどこれから次の修行が始まるんだ」
「そうなの」
「けれど、今回みたいに食事を摂るものできないってことはないと思う」


 そう、よかった。
 そう言って緩く笑みを唇に乗せたアンナの様子を横目に見つつ、シーザーはフルーツジュースが入ったグラスに唇をつけた。
 ふいに。先日、このエア・サプレーナへやって来てすぐくらいの時にジョセフに言われたことが頭を過ぎった。
 恋人じゃねーの?と。隠しきれない好奇心を剥き出しにして聞いてくる彼に、シーザーは揺らぐことなく否定の言葉をぶつけた。しかしあれ以来、修行の間もふとした時にアンナのことを思い出してしまうようになった。アンナとは貧民街時代に彼女をシーザーが助けてからずっと一緒に居たし、リサリサに会いにこの島へと訪れた時だって彼女を連れて来たこともシーザーの中では当然の事だと認識していたし、彼女もそれに対してなにか言うわけもなく付いて来てくれたのだし。
 シーザーとアンナらの当人がそんな風であったものだから、リサリサも何も言うことなく2人の滞在を許可してくれたのだ。リサリサもシーザーとアンナがそういう関係なのだろうと誤解しているとは、シーザーもアンナも知らないことだ。
 ふう、とシーザーは思考の海から意識を浮上させてアンナを見る。
 彼女は食後用のコーヒーを淹れるための豆の量を確認しているらしい。それが終わったら次は、そして次は、と動き回るアンナの背中をぼうっと見つめていた。
 そうして改めて気づくのだ。
 ああ、アンナはこんなにも小さな女性だったのだと。
 そんなことを考えながらアンナを見ていると、背後の扉が開く音が聞こえた。リサリサとジョセフが食堂へ来たのだろう。リサリサは私用で、ジョセフも自室へ一度戻ると言って修行がひと段落ついたと同時に解散し、この食堂でまた落ち合う予定だったのだ。


「あらん、シーザーちゃんったら早いのねェ」
「どうだっていいだろう。いいから、早く座れ」
「はいはーい」


 静かに席に着いたリサリサと、対照的に閉じられる瞬間があるのだろうかと疑ってしまうほどにいつも動き続けている口で何やら含んだような言い方をするジョセフにさっさと席に着くようにシーザーは促す。
 久々に数人でテーブルを囲んでの食事風景に、アンナは小さく笑いながらリサリサの前にシーザーに出したのと同じフルーツジュースの入ったグラスを置く。そして次にジョセフの前にグラスを置かなければならないのだが。


「シーザー、」
「ん、ああ」


 困ったように眉をハの字にしたアンナは、ジョセフの分のグラスをジョセフの隣の席に着いているシーザーに渡した。受け取ったシーザー何も言わずにジョセフの前にそれを置き、続いてアンナは注いだコーンスープの器をリサリサとシーザーには自ら渡しに行き、ジョセフの分だけシーザーに渡してからシーザーがジョセフのところに置くといったことをした。
 配膳を終えたアンナは一度辞するらしく、小さく頭を下げて部屋を出て行った。といっても、またすぐに戻ってくるのだが。
 そうしてからそれぞれが朝食に手をつける。
 作りたてのホカホカと温かく、かつサクサクの美味しいクロワッサンを食べながらジョセフは口を開いた。


「なあ」
「物を食べながら口を開くんじゃあないぜ、JOJO」
「あ、わりぃ。…、あのさ、アンナなんだけどよー」


 口の中にあったものを飲み込み、改めて口を開けば今度はシーザーの指摘が飛んでくるとこはなかった。食事中の会話自体を咎めたわけではないらしい。
 ジョセフがアンナの名を口にすると、一瞬、食事をしていたシーザーの手が止まり、そのペリトッドのような目がジョセフへと向けられた。が、それは本当に一瞬のことで、すぐにアンナがどうしたとシーザーは手の中のクロワッサンにジャムを塗りながら応えた。


「あーいや、さっきのあれ。なんで俺にはアンナが出してくれなかったのかなーって」
「ああ、そのことか」


 一度言葉を切り、クロワッサンを一口齧って噛んで飲み込んでからシーザーは食事の手を止めてジョセフへと顔を向けた。その表情は無表情にも近いような真面目さを含んだものだったので、ジョセフもつられて真面目風な表情を浮かべた。
 ジョセフがシーザーへ聞いているのは先ほどの配膳の様子のことだった。
 リサリサとシーザーには彼女が直接グラスや器を手渡したり運んだりしていたのに、ジョセフにはそれがなかった。彼女とはまだきちんとしたコミュニケーションをとったことはないが、だからこそ彼女にジョセフが嫌われたりす謂われはないはずなのだ。これから一ヶ月ジョセフはこの島で生活するのだ。生活していく上で、一緒に生活するであろう住人と揉めたりするのは面倒なのだ。だからジョセフは彼女の先ほどの行動についての説明を、きっと誰よりも彼女を知っているであろうシーザーへと問いかけたのだ。
 シーザーは小さく息を吐き出してから唇を開いた。


「アンナは、なんというか、少々男性恐怖症のようなところがあってな。初対面の男にはまず近づけないんだ。だから別にお前のことだけやらなかったとか、そういうことじゃあない。数日もすれば慣れるだろうから、それまでは許してやってくれ」


 困ったような表情を浮かべながらそう言ったシーザーに、そういう理由ならばとジョセフは納得した。
 その後、皆が食事を終えるであろうというタイミングでアンナが再び部屋へと戻ってきた。食後のコーヒーを豆から淹れて、食事の配膳の時と同じようにジョセフ以外には自ら出し、ジョセフへはどこか申し訳なさげにシーザーへとカップを渡すアンナの姿をジョセフはじいっと見つめていた。


「おい、JOJO、どうした」
「ん?いや、べっつにー?」


 そんなジョセフの様子に気づいたシーザーが無意識にか僅かに鋭さを増した視線を寄越してくるのにニヤリと笑い、コーヒーをシーザーの手から受け取った。ニヤリと笑ったジョセフの意図をシーザーは探ろうとしたが、そういう面ではジョセフの方がシーザーよりも何枚も上手で。やがて諦めるように息を吐いて温かいコーヒーを飲んだ。


 数日後、ジョセフのニヤリとした笑みの意図はここで分かることとなる。


「おーい、アンナチャーン」
「あ、ジョセフさん」


 買い出しに出掛けようとしていたアンナへと近づくジョセフの姿があった。
 先日シーザーから男性恐怖症のようなところがあって、男性と一定の距離以上を近づくと恐怖で過呼吸になってしまうのだと聞いていたので、長身なジョセフが腕を伸ばしても届かない距離を保ってジョセフは立ち止まった。
 彼女の許容できる距離というものをジョセフは知らないので、まずはそこから少しずつ様子を見ていくつもりなのだ。
 エア・サプレーナ島の船着場に立つアンナの格好は、いつものスージーQと色違いのワンピースではなく私服のようで。その手に持つ籠を確認して、ジョセフは人好きのする笑みを浮かべた。


「アンナちゃん、これから買い出しに行くんだろ?もしアンナちゃんさえ良かったらなんだが、俺も一緒に行かせてくんねえか?荷物持ちになるしよ!」
「でも、ジョセフさんには修行があるんじゃあ…」
「だーいじょうぶ!リサリサ先生にはちゃんと話して、許可は貰ってるぜ!でも、まあ、アンナちゃんが嫌なら、無理に一緒に行くつもりはないし、なんだったらシーザーと替わるしさ」


 リサリサから許可を得たのは本当だ。
 観光都市としていくら有名であったとしても、やはりヴェネチアが100パーセント安全な街かと問われると否と答えるしかない。もちろん善良な人もいるが、そうでない人間もいるのだ。ただでさえ男性恐怖症のようなアンナをそんな多少であれ危険があるであろう場所へ1人で行かせることはリサリサも心配だったのだろう。いつもならスージーQと2人で行くところだったのだが、今回スージーQにはリサリサから別件の用事が言いつけられていたのだ。
 ダメか?と首を傾げて彼女を見ると、アンナはきょとんとジョセフを見上げていたのだが、すぐにふふふと柔らかい笑みを浮かべた。


「いいえ。一緒に来ていただけると、とても心強いです。ご一緒していただけませんか?ジョセフさん」
「もちろんだぜ!」


 微笑む彼女にその買い出しの手伝いをするために同行するというのは本心ではあるのだが、それに加えて2つほどジョセフには秘めた目的があったのだ。
 その1つはアンナにジョセフを慣れてもらうこと。
 理由が理由なので距離があるのは仕方がないことだし、そのうち彼女の方から慣れてくれるとも聞いてはいたのだが、やはり共にこの島で屋敷で生活するのだし、早く親しくなれるように行動することはいけないことではない。
 そして2つ目。こちらの方がある意味ジョセフの本命でもある目的ともいえる。
その目的とは。


「じゃあ、行こうか、アンナちゃん」
「はい」


 アンナがシーザーをどう思っているか探ること、である。
 ジョセフの読みでは、きっとシーザーは長く彼女と共に居すぎたせいか自覚ができていないだけで、きっと彼女のことを想っているのだろうと踏んでいる。なぜならあの嫌味なくらいの天然スケコマシが、アンナにだけ他の女とは違う態度を取っているのだ。それは眼中にないからこその違いではなく、彼女を大切に想うからこそのものだとジョセフは思っている。なので、対するアンナの方はどうなのかと気になったのだ。
 もしかしたらキューピッドになれるかもー!、なんて思いながら口元を緩めるジョセフと、何も知らずにいるアンナを乗せた船はヴェネチア本島へと向かって移動し始めた。

(2015/01/25)
(2015/03/15)
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