その一報は唐突にやって来た。
 ぼろぼろになったジョセフが保護されたとエア・サプレーナ島に連絡が来たのだ。
 慌ててスージーQと共にヴェネチア本島にある病院へと駆けつけると、そこには体中の傷を覆う包帯やガーゼが痛々しいジョセフがベッドに横たわっていた。よお!、なんて苦笑しながらこちらを見たジョセフに、感極まったらしいスージーQは彼の名前を呼びながらジョセフへと飛びついた。当然傷に障ったらしいジョセフが痛みに呻き、それに慌てるスージーQのやりとりにいつもであれば苦笑を浮かべるであろうアンナは、なんの反応もせずに2人のやりとりをまるで遠い世界のことのように見ていた。
 いつもの反応を返すほどの余裕がこの時のアンナには無かったのだ。
 この病室に入ってからずっと余裕のないアンナは、嫌な予感に荒くなる息を落ち着かせながらジョセフを見つめた。そんな様子のアンナに気づいたらしいジョセフとスージーQから先ほどまでの明るい空気がなくなり、重い空気が病室を満たした。しばらく沈黙が病室を支配したが、やがてアンナは震える唇を開いた。


「ねえ、ジョセフ。…、…シーザー、は…?」


 震える声でその名を呼べば、ジョセフの顔がぐしゃりと歪んだ。泣き出しそうな表情と後悔と罪悪感とがぐちゃぐちゃに混ぜたような表情を浮かべたジョセフは、アンナのアンバーの視線から逃げるように顔を伏せて震える吐息を一つ吐き出した。そうしてから、


「…シーザーは、っ……死んだ…!」
「そんなっ!」
「……」


 絞り出すような声で告げられた現実に、スージーQは悲鳴をあげた。しかしアンナは僅かに顔を伏せ、何も言わずに沈黙を続けた。そんなアンナの様子に気づいていないのか気づいているのか、ジョセフはバッと痛むであろう体を動かしてアンナへと頭を下げた。


「こんな言葉じゃあ足りないが、すまない、アンナ!あいつを、シーザーを連れて帰れなくて、本当にすまない!!」


 残酷な言葉の真実に、とうとう泣き出してしまったスージーQの零れる嗚咽だけが病室に響いていた。頭を下げたジョセフはアンナを思うと顔を上げることすらできなかった。
 いつも優しく微笑んでいたアンナの怒りが怖かった。責められて当然であることは理解していたが、しかし、彼女の笑みをこの自分自身が奪ってしまったのだと思うと罪悪感で彼女に合わせる顔がなかった。
 ジョセフの向こうでふっと震える吐息が吐き出されたのが聞こえたかと思うと、そっとジョセフの頭を撫でる手にジョセフは顔を上げた。
 ジョセフにこんなことをするのはアンナしかもうおらず、顔を上げると案の定アンナの手がジョセフの頭をそっと撫でていた。そして恐る恐る見たアンナの表情に、ジョセフは目を見開き言葉を失った。


「そう。彼は、…シーザーは死んでしまったのね」
「、っ…」
「でも、あなたが帰ってきてくれて、生きていてくれてよかった」


そう言って、彼女は驚くほど優しく微笑んで見せたのだ。

***

 病院から退院したジョセフは体が万全になるまでエア・サプレーナ島で、主にスージーQの手厚い看病を受けていた。そんな中アンナもよくジョセフの元に顔を見せてくれて、スージーQの手伝いをしながらジョセフの様子を見ていた。


「なあ、スージーQ」
「なあに?」
「おめえよぉ…アンナが泣いてるとこ、見たことあるか」
「、」


 ジョセフの問いにスージーQはこくりと息を呑み、言葉を失った。そんな彼女の様子を尻目に、ジョセフは右腕をまぶたの上に乗せて上を向いた。
 アンナはシーザーの死を告げた時から、一度も泣いたことがなかった。いや、もしかしたら泣いているのかもしれないが、それをジョセフは見たことがなかったし、そんな様子すら感じられなかった。彼女は今まで通りに穏やかな微笑みをジョセフへと向けるばかりで、それ以外の負の感情を決してジョセフへ見せることはなかった。
 それがジョセフには辛く苦しかった。シーザーが命を落とした一因はジョセフにもあり、それをジョセフはアンナに正直に話してある。だというのに、アンナはその時だって怒りも泣きもしなかった。ただ自分を責めなくていいのよ、とジョセフを許すばかりだったのだ。
 そんなアンナだから、もしかしたら友人であるスージーQになら悲しみの姿を見せているのではないかと思って聞いたのだ。
 スージーQはしばらく何かを考え、耐えるような表情をして口を閉ざしていたが、やがておずおずと口を開いた。
 そして、その時のことを語り始めた。
 ある日、シーザーの部屋を片付けると言ったアンナが心配で、スージーQは彼の部屋の近くをうろうろと行ったり来たりしていたが。しばらくは静かに片付けをしているらしい物音だけが聞こえていたのだが、唐突に何かが倒れるような音が聞こえてきたのだ。アンナの身を案じて慌てて部屋へ飛び込むと、そこには綺麗に重ねていたであろう本を崩した床に座り込んだアンナがいた。驚いて恐る恐る彼女の名前を呼べば、彼女は応えずに嗚咽を零すばかりで。


「アンナっ」
「スージー、」


 アンナを抱きしめると、珍しくアンナがスージーQを愛称で呼び、子供のように泣きじゃくっていた。しゃくりあげて息も絶え絶えにしながら大粒の涙を零す彼女が手の中に何かを持っていることに気付き、スージーQはそれを見て目を見開いた。
 スージーQはアンナと2人でジョセフとシーザーらを待っている間のうちに、アンナがシーザーと約束を交わしていることを聞いた。帰ってきたら聞いてほしいことがある、と。そうシーザーに言われたのだと頬を赤くして微笑むアンナに、スージーQは「その話って、きっとプロポーズよ!きゃーっ!」と、まるで自分の事のようにはしゃいだのを思い出した。
 なぜそのことを思い出したのかというと、アンナの手の中にあったのは濃い青色の小さな箱の中、台座の上で美しく輝くダイヤの指輪が鎮座しているのを見たからだ。ダイヤは小ぶりなものであったが、美しく輝くそれは婚約指輪にしか見えないもので。
 スージーQの憶測は当たっていたのだ。
 しかし、この指輪を彼女の薬指に嵌めてあげるべき男は、もうこの世にはいないのだ。
 シーザー、シーザー。と、名を呼んで泣きじゃくるアンナの背を撫でながら、スージーQも溢れてくる涙を堪えることはできなかった。
 それがスージーQが初めて見たアンナの悲しみだった。
 その話をジョセフにすると、案の定ジョセフは目を見開いて言葉を失っていた。そして弾けるようにベッドから飛び出して走って行ってしまったジョセフの背中を、スージーQは黙って見送った。
 館を走り回ったジョセフは、日の当たる庭で洗濯物を干しているアンナを見つけた。


「アンナ!」
「ジョセフ?どうしたの、そんなに息を切らせて…」


 相変わらずいつも通りの様子のアンナに、ジョセフは飛びつくようにアンナの肩を掴んだ。驚きに目を白黒させるアンナがどうしたのと尋ねる声を無視して、ジョセフはアンナの手に目をやった。右手にはない、左手の薬指に輝く美しい宝石を見つけ、ジョセフは泣き出しそうに顔を歪めた。そしてずるりと体から一気に力が抜けたように地面へとジョセフは座り込んだ。ジョセフに引っ張られるように一緒に座り込んで、驚いた声で名を呼ぶアンナの手を掴んで、彼女の膝の上に置いたその両手に額を合わせるようにジョセフは体を丸めて蹲った。
 唐突なジョセフの行動に驚いてばかりだったアンナだったが、彼が額を当てた手や膝から伝わってくるものに動きを止めた。


「アンナ、アンナ。すまない、俺は、俺はなんてことを…っ。俺はっ、アンナから、シーザーを、幸せを奪っちまった!何度謝っても足りねえっ。アンナ、すまない、すまないっ!」
「ジョセフ…。ねえ、泣かないで?」


 ぐずぐずと鼻を鳴らしながら泣いて謝るジョセフに、アンナは困ったように笑みながら殊更優しい声色で彼の名を呼んだ。


「シーザーが逝ってしまったのは、あなたのせいではないわ。そうでしょう?」
「でも俺が!あの時に俺があんなことを言わなければ、シーザーはっ!」
「ううん。シーザーは何があっても、誰に止められても、きっとその時に敵に挑みに行ったはずよ。だってあの人はそういう性格だから。でもジョセフがシーザーの誇りと魂を受け取ってくれたんでしょう?彼が遺したものはあなたの中で今も生きている。あなたがシーザーを忘れない限り、彼の魂は朽ちることはないわ。だから、ね?泣かないで、ジョセフ」
「ああ、ああ!忘れねえ!俺は絶対にシーザーのことを忘れたりなんてしねえ!」
「うん。私はそれだけで十分よ。シーザーの誇りと魂はあなたの中で、シーザーの愛と思い出は私の中で生き続けるの。ね?誰も悪くなんてないわ。だってシーザーはあなたと私の中で生きているのだもの」
「アンナ…!」


 アンナの優しさは、その時のジョセフにとってはどんな鋭い刃物よりも鋭く残酷なものに感じられていた。
 ジョセフは自分自身への罪悪感で苦しくて仕方がなかった。だからというわけではないが、いっそ彼女に責めて詰められてしまった方が良かったのだ。誰もジョセフを責めないから、ジョセフは必要以上に自分を責め続けていたのだから。
 しかしアンナはそれを感じ取っていた。だからこそ、ジョセフは何も悪くないのだと伝えて、彼の罪悪感を少しでも軽くしてあげたかったのだ。彼女がジョセフを責めない理由はそれもあったが、事実アンナはジョセフのせいでシーザーが死んでしまったのだとはこれっぽちも思っていなかったのだ。愛する人を喪ったのは悲しい、身が裂ける以上の痛みを感じた、だが彼を死に追いやったのは柱の男たちという存在だ。しかしその存在もジョセフが倒してくれた。そしてジョセフは遺されたシーザーの誇りと魂を受け継いでくれた。 アンナはそれだけで本当に十分だったのだ。
 この日以来、ジョセフは表立って今までのように自己嫌悪と罪悪感に押しつぶされるような様子は見せなくなり、そしてシーザーのことはまるでタブーであるかのように口に出されなくなった。

 やがて体調も万全になったジョセフはスージーQを連れて、あの戦い以来アメリカに行っているリサリサや彼の祖母であるエリナやスピードワゴンに会いにアメリカに行った。そこでスージーQとの婚約を伝えるのだという。
 2人はみんなに祝福され、盛大に行われた結婚式にアンナも、実はジョセフの母親だったというリサリサやエリナ、スピードワゴンにジョセフの友人であるというスモーキー少年らと共に出席した。
 そのままリサリサ改め、エリザベス・ジョースターはジョセフとスージーQと一緒にアメリカに移住することとなり、エア・サプレーナ島に残ることを拒んだアンナは、シーザーが生まれ育ったというジェノヴァへ移住した。そこで施設で生活する子供たちを支援しながら、引き取った施設の子供達をたくさん育てながら生涯を生きた。
 そうして。
 彼女はあの結婚式以来友人夫婦と会うこともないまま、自身が育てた子供達に囲まれながら、その生涯の幕を静かに閉じた。
 彼女の死は財団によってジョセフの耳に届けられることとなった。
 1992年2月27日。
 奇しくも彼女は生涯愛し続けたシーザーと同じ日にこの世を去った。
 穏やかに眠る彼女の左手の薬指には、あの日と変わらない美しい指輪がきらきらと輝いていた。

(2015/03/15)
(2015/05/13)
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -