老いた祖父からぽつりぽつりとこぼれ落ちるように話された過去の話は、全てが初めて耳にするものばかりだった。
 一応、スピードワゴン財団の記録上でならば祖父の過去の戦いがどんなものであったかを知っていた。だがその記録は非常にあっさりとした内容で、たった数枚の記録しか残っていなかった。
 吸血鬼を作り出す石仮面を作った柱の男たちが成そうとしていたことは、スーパーエイジャと呼ばれる宝石を使って完全なる生命体になること。動植物を食べる人間を捕食する吸血鬼を食料とする柱の男たちは地球上での食物連鎖の頂点に君臨する存在だった。しかしその男たちにも弱点があり、それが太陽光だった。何万年も生きることが可能な男たちは太陽光を浴びると鉱物へとその身を変化させて活動を停止してしまう。男たちのリーダーであったカーズはその太陽を克服し、完全なる生命体となってこの地球に頂点の存在として君臨しようとしていたのだ。それらと戦って打ち破ったのが祖父であり、祖父の友人であったのだ。
けれど戦いの功労者の1人である祖父の友人の記録はほんの少しのものしかなく、それこそ簡単なプロフィールしか残っていなかった。
 友人の名前はシーザー・A・ツェペリ。ジョナサン・ジョースターに波紋を指導したウィル・A・ツェペリの孫である。ジョセフよりも早く波紋の力を会得し、彼の兄弟子として共に高め合い、そして柱の男の1人であるワムウとの戦いで戦死した。
 ただそれだけであった。
 祖父は決して過去を振り返ることはしなかった。頑なに過去を語ることはしなかったし、ひ孫の徐倫が尋ねても、決して口を開くことはしなかった。家族を愛し慈しみ、家族の願いならできるだけ応えてきた祖父が、それだけは頑なに譲ることはしなかったのだ。
 だがある日突然、祖父は思い立ったようにイタリアへ行きたいと言い出したのだ。ローマへ行き、コロッセオを観光し、ヴェネチアの街を観光し、最後に祖父が来たがったのがジェノヴァだった。季節外れのひまわり2輪を花屋で買い、そうしてやってきたのは墓地だった。
 そこに佇むある墓標の前で、祖父は初めてぽつりぽつりと過去を承太郎へと語ったのだ。
 なぜ頑なに口を閉ざしていた過去を語ったのか。それは墓標に刻まれた文字を読めば察するのは簡単であった。
 Caesar Anthonio Zeppeli
 そして横に並ぶ墓標には祖父の話の中で出てきたアンナという女性の名が刻まれていた。


「こいつの墓に来たのは、葬式以来かのう。…もう、随分と時が経ってしまった」
「なんで来なかったんだ。婆さんは来てたんだろう」
「ああ、スージーは命日には必ず行っていたな。そうじゃのう、なんで、か…」


 ふっと息を吐いた祖父は手に持っていたひまわりをそれぞれの墓標に供えるように置き、仰ぐように青空を見上げた。一緒にエジプトを旅した頃よりも年老いてくすんでいた祖父のエメラルドがきらきらと輝き、それからきゅっと目を細められた。


「わしはあの時にあいつから誇りと魂を託された。未来を紡ぐ大切な魂を、じゃ。だからかのう。わしはあれからずっと、未来を繋ぐために生きることが、せめてあいつにしてやれる精一杯の恩返しだと思っている。わしには振り返ることは許されない。前を向いて、次代のために道を作るのがわしの役目だと信じてな」
「……」
「…なんて、かっこいいことを言ったが、それが全てでここへ来なかったというのは半分嘘じゃ。確かにその思いもあったからわしは進み続けたが、それでも決してここを訪れなかったのは、わしのせいで1人で戦いに行ってしまったあいつがわしを怒っているのではないかと怖かった。そして、あいつの隣りで眠る彼女にわしは会わす顔がなかったからじゃ」


顔を墓標へと向け、静かにそこに立つ墓標を見た。シーザー・A・ツェペリの隣りで眠るアンナという女性の墓石を祖父は見つめた。口調はいつもの飄々としたものだったが、見つめる視線や表情を彩るのは孫の自身ですらあまり見たことのない切なげな色だった。


「あいつが、シーザーが死んでしまったのはわしにも原因があった。それを彼女に告げるのは心が破裂しそうなほど苦しかったが、しかし話さないわけにはいかない。その事実を告げた時、彼女はどうしたと思う?承太郎」
「…さあ、な」
「彼女はな。泣くでもなく、呆然自失となるでもなく、嘆くでもなく、ましてや、わしを責めるでもなく、ただ微笑んだのじゃ。ありがとう、あなたが帰ってきてくれて嬉しい、と。その微笑みにはわしを責める色も悲しみも宿ってはおらなんだ。ただ穏やかに微笑んで、わしを迎えてくれたのじゃ。だがなあ。わしにはその微笑みが辛かった。わしは彼女の最愛を奪うきっかけを作ってしまったんだ、彼女に責められて当然だと思っていた。だからこそ、責めるでもなく、嘆くでもない、いつも通りに穏やかで静かな彼女の様子が苦しかったのだ。いっそわしを責めて責めて罵ってくれた方が楽だった。だが彼女はあいつ以外には気丈な性格でな。決してわしにはその悲しみと苦しみを見せることはなかった。だが、スージーがある時にシーザーの部屋で、あいつが遺した指輪を見つけて泣きじゃくる彼女を見つけてのう。どう見ても婚約指輪だったそれを彼女は抱きしめながら初めて人前でシーザーの死を泣いていたそうだ。後からスージーから聞いたのだが、シーザーは帰ってきたら彼女に話したいことがあったらしい。内容はその指輪のことだったのだろう。あとからそれを聞いたわしは罪悪感でどうにかなってしまいそうだった。彼女から最愛を奪い、さらに幸せまで奪ってしまったのかと。たまらなくなって彼女に泣いて謝れば、彼女はやはり微笑んでわしを許してくれたんだ。まるで聖女のようだったよ。彼女はどこまでも慈悲に満ちた女性だった。それ以来あいつの話は禁句のようになり、彼女とはわしとスージーの結婚式以来会っておらん。微笑む彼女に、わしは自分自身の罪悪感から逃げておったのだ」
「……」
「そうしているうちに、何年か前に財団を通して彼女の死を知ってのう。その時初めて彼女のそれからを知ったよ。彼女はそれから、慣れ親しんだヴェネチアから離れ、このジェノヴァに移り住み、施設で生活する子供たちを引き取ったりして施設を支援しつつ、その生涯を生きたらしい。まさに、彼女は聖女だったのだと思ったよ。訃報にすぐジェノヴァにある彼女の自宅を訪ねると、彼女が育てたという青年から亡くなる少し前に書いたという手紙をもらってのう。そこにはスージーへの手紙と、わしへの手紙があった。中にはあの時から今までの間、決してわしを責めたりは思わなかったと。むしろあいつの魂を受け継いだことに対する礼と、今世で会うことは叶わないようだから向こうでシーザーと待っている、あなたはまだまだゆっくりこちらへ来てね、というような内容だった。それを読んだ時、わしは涙を堪えきれんかった。わしは間違っておった。罪悪感から逃げるでなく、彼女のそれからをシーザーの代わりに見守るべきであったのだと。彼女は生涯独身じゃったらしく、財団を通して調べれば彼女の家族に行き当たることはできただろうが、わしは彼女を家族よりも、彼女が生涯愛したシーザーの側に埋葬してやりたかった。だからここに彼女の墓を作ったのだ。…すまなかったなあ、シーザー、アンナ。君たちから逃げたわしをどうか許してくれ」


 祖父の口から次から次へと溢れるのは過去への後悔と罪悪感ばかりが満ちていた。力強く誰よりも未来を見ていた祖父らしくない、弱々しい言葉の数々だった。そんな祖父の姿を初めて見たからだろうか。承太郎は薄く口を開く。祖父よりも青味がかった目を2つの墓へと向けて、帽子のつばを指で撫でた。


「てめえの話を聞いてる限り、そのシーザーってやつとアンナってやつは、本当にじじいを責めたりなんかしてねえと思うぜ」
「?そういう意味じゃ、承太郎」
「じじいが言う通り、シーザーが死んだ原因がてめえにもあったとして、本当に最後までてめえに対して怒っていたとしたら、そんな相手に自分の誇りを託すと思うか?てめえのために魂を遺すと思うか?」
「…!」
「アンナってやつもそうだ。てめえよりもそいつはシーザーと長い付き合いだったんだろう。そりゃあ大切な人を奪われ失ったことは辛く悲しく苦しかったろうが、その死に意味があったことや、じじいにシーザーが託したものを知っていたからこそ、じじいを責めることはしなかったんじゃあないか。さっきも言ったが、シーザーが本当にてめえに怒ったまま死んだのではないとアンナは分かっていたんじゃあないのか。だから、てめえを許すもなにもないだろう。そもそもその2人はてめえに怒っても恨んでもいねえんだろうからな」


 承太郎は彼らのことを知っているわけではなかったが、しかし祖父の過去の話から窺える2人の様子は祖父が案ずるような性格をした人間ではないように感じられた。短い間だったが彼らはそこでの生活の中で祖父を弟弟子として、またはただの弟のように慈しんでいたのではないか。当事者である祖父には分からなかったのかもしれないが、こうして祖父から伝えられた彼らとの生活の様子に第三者といえる承太郎からしてみれば、そう感じられてしかたないのだ。だからこそ、そんな彼らであったであろうからこそ、祖父のことを怒りも恨みもしていないのだろうと、そう承太郎は言えた。
 そんな承太郎の言葉に驚いたように目を見開き、息を詰めていた祖父はややあってから小さく息を吐き出した。1度ぎゅっと目を閉じ、再び開いた目は先ほどのような切ない色ではない、優しい色を宿して彼らを見つめていた。


「そうじゃのう、そうかもしれん。きっと今頃わしのさっきの話を聞いたアンナは困ったように微笑んでいて、シーザーは俺はそんなにねちっこくないぞ、このスカタン!と、それこそ怒りながら笑っていそうだ」
「ああ、きっとそうだろうよ」
「まさか承太郎、お前の方が2人のことを分かっておるとはのう」
「てめえは当事者だからな」
「そうじゃのう。第三者の視点に立って改めて気付くこともあるな」


 来た時の暗い様子から一変して、晴れやかに清々しそうに笑う祖父の姿に承太郎は気付かれないくらいに薄く笑った。
 さあっとまだまだ冷たい2月の風が吹き抜けた。寒いのう!なんて言って大げさに肩を竦める祖父に小さく息を吐いた時だった。承太郎は視界の端に揺らぐ影を見た。そちらに視線を向けると、墓標の向こうで、先ほど祖父が供えたひまわりの花を持って、身を寄り添わせている男女がいた。
 かつて戦ったDIOもその禍々しさを除けば純粋に整った容姿をしていたが、そんな奴と並んでも見劣りしないような、奴よりも甘い顔つきの整った容姿をしたブロンドにペリドットの目の男と、そんな男に腰を抱かれている花のように可憐で優しげな微笑みを浮かべた、ふわりと揺れる明るいブロンドにアンバーの目を持つ女が祖父を見つめていた。2人は限りなく優しさのみが込められた目で祖父を見つめ微笑み、次に一瞬だけ承太郎へと視線を寄越して微笑んで、そうして瞬きのうちに2人はふわりと揺れて掻き消えた。


「承太郎?なに見てるんじゃ。冷え込む前にホテルに帰るぞ」
「…おい、じじい。シーザーは整った容姿にブロンドとペリドットの目をしていて、アンナは長い明るめのブロンドにアンバーの目をした控えめに微笑む女か…?」
「うむ。シーザーは甘いマスクにブロンド、んで綺麗なペリドットのような目を持ったえっらい男前でなあ。しかも女性を至高の宝と言わんばかりに大切にする男でな。歯が浮くような甘いことを言うスケコマシじゃったわい。アンナは花のような可憐な笑みをよく浮かべておってのう。ふわふな揺れるブロンドと光の加減で金色に輝くアンバーの目が美しい女性だったな。…ん?なんでお前、2人の容姿を知っているんじゃ?」
「いや…なんでもねえぜ」


 なんじゃなんじゃ?と首を傾げる祖父の様子に、そんな祖父をまさに弟を見守る兄と姉のような慈しみを込めた目を向けていた彼らの姿を思い出して承太郎は息を吐いた。
 思い出す一瞬だけのその様子からして、承太郎が憶測で祖父に告げた言葉は間違いではないだろうと確信を持つことができた。彼らは限りなく優しく、慈しんで祖父を見つめていたのだから。
 子供のように教えてくれー!なんで知っとるんじゃー!と騒ぐ祖父が若い頃を想像して、承太郎はもう高校生の頃からの口癖になっている言葉を息と共に吐き出して、帽子のつばを下げた。

 それは、2000年2月27日の青空が美しい冬の晴れた日のことだった。

(2015/03/15)
(2015/05/11)
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