シチュお題でお話書くったー様(https://shindanmaker.com/293935)の
『あなたは3時間以内に2RTされたら、旅人とその用心棒の設定で受が片想いしている鶯燭の、漫画または小説を書きます。』
という結果が非常にツボだったのでRTされてないけど書きました。趣味のごった煮です。
***
三日ぶりにありついた屋根のある寝床に光忠は満足していた。いま腰掛けている寝台はシワ一つなく完璧に整えられており、空調は室内を快適な温度に保っている。
最も安い客室を指定したのだが、ここはその中で最も景色の良い部屋なのだという。通りの向こうに幾つもそびえ立つ長方形の建物が、無数の四角い窓から色のない人工的な光を投げかけていた。すでに深夜に近い時間だ。あの建物は国の産業を担う労働のための場所で、働いているのは疲れも眠りもない機械だという。高度な科学に支えられている国だ。光忠よりもずっと多くの国を渡ってきた鶯丸でさえ、これほどの技術は見たことがないと言った。
労働のほぼ全てを機械に任せることができるほどの科学技術を有する国。それを囲む高く堅牢な城壁を守るのもまた機械だった。光忠は、今日の昼に出会った男のことを思い出す。正確には、指先の動きひとつで巨大な門を開けてみせた入国審査官の、その手首に痣のように刻まれた無機質な数字の羅列を思い出す。あれがなければ生身の人間とほとんど変わらないように見えた。彼らは他所の国から来た人間の目に最初に触れるから精巧に作られているが、働く場所と役割によって労働機械の形は様々なのだという。実際に、そう語った案内役を名乗る機械の形状は宙に浮く球体だった。
この国の機械たちは音声認識に優れており、人間の発した命令を解析し、星の数ほど登録されたパターンから最も適切な受け答えと行動を返すことが可能なのだと球体は言った。安くて質の良い宿、という条件で今いる宿の入口へ連れてきたのも球体だ。球体は建物の中にはついてこなかった。そういう風に作られているのだという。球体はそのことに何一つ疑問を持っていない様子だった。会話は人間のように流暢であっても、それはやはり作られた物なのだった。
眼下の道路を自動運転の車が走っていく。歩道を滑るように行き来しているのは清掃用の機械だという。光忠の腰ほどの高さをした円柱は、下からゴミを吸い込むことができるらしい。中に入らない大きさのものは、また別の機械が台車に載せて廃棄場へ運ぶという。機械の清掃は細かに行き届いており、入国してから歩いた道には塵一つなかった。無論、室内は室内で床から窓の桟に至るまで埃もなく清潔で、この国の生活水準の高さを感じさせた。光忠は球体に案内された、この国の歴史を収めた資料館のことを思い出す。
「ひどい国だな」
展示を見終えた後、鶯丸はそう言った。
「働かなくてよくなったのなら、茶でも飲んでのんびり暮らせばよかったものを」
内戦の激しい国だったという。労働から解放されたことで生まれた暇が高じて戦争を始めたのか、人間がこれだけは機械に譲り渡さなかったのか、展示には何も書かれていなかった。おそらく球体に尋ねても答えは得られないだろう。確かなのは、どれだけ技術が発達しても戦争は人間同士のものであったこと、科学の追究が敵を体内から殺傷する不可視の光線銃の開発に収束していったことだった。皮肉なことに、対立するふたつの人種のどちらもが同じ研究に行き着いた。どちらが先に開発を成功させるか、それによって戦争の勝敗が決まり、この国は勝者たる人種のものとなるだろう、というところで展示は終わっていた。薄く透明な板に浮かび上がった年表の更新は二年前から止まっていた。おそらくはそういうことだった。
がたん、と大きな音がして、光忠は視線を窓から室内に戻した。部屋にもう一つある寝台の下から収納具を引き出した鶯丸が、それをためつすがめつしている。
「どうかした?」
「この箱、外見の割に中がやけに浅いと思ってな。どうやら二重底らしい」
鶯丸がそう言って底面を叩くと、確かにその下には空洞があるような音がする。ひとつ目の底であり蓋でもある板は抽斗の枠にぴったりと嵌っており、一見した限りではわからないつくりになっていた。
「開く?」
「角を押せば逆側が持ち上がるだろう。手伝ってくれ、光忠」
光忠はそれに従ってわずか二歩の距離を移動し、鶯丸に並んで膝をついた。体格の分、腕力は光忠の方が上だ。板の手前側、ちょうど目の前にある角を下へ押しつけるように力をかけると、対角にあたる隅が壁面に沿ってわずかに上へずれる。ひとつ目の底は浅く、押し込めばどこまでも沈むとさえ思えた。軋むように持ち上がった角が抽斗の外まで浮いたところで鶯丸が即座にそれを掴み、引き寄せる形で板全体を引きはがす。光忠は、あらわになった二重底の内部に目をやって息を呑んだ。
最初に目に入ったのは白い布だった。それが服だと気付いたのは、視線を横に滑らせて黄土色の布を認識したときだった。二股に分かれた筒状の出口の先には、かつては白かったであろう薄汚れた小さな靴があった。それらを身につけたまま、抽斗に収まるほど小さな子供がひっそりと死んでいた。光忠の視界の端から伸びてきた白い指が、弾力のない頬に触れる。
「乾ききっている。餓死だろうな」
それは、様々な国を渡り歩いてもそう見かけない死に方だった。ミイラ化した子供がどれだけの時間ここに閉じ込められていたのか、それを考えて光忠は胃の腑に鉛を流し込まれたような気持ちになる。
「……どうして、こんなところで」
「この辺りで戦闘があった。その直前に親が子供を隠した。敵兵がここに踏み込んできても簡単には見つからないようにな。だが、親はそれきり戻れなくなり、踏み込んでくる敵兵も現れなかった。この部屋を訪れる清掃用の機械には、二重底に気付くだけの知能がなかった。そういうことだろう」
鶯丸は子供の亡骸を抱き上げると、ふたつの寝台の間に備え付けられた机に置かれた呼び鈴を鳴らした。そうしたところで光忠たちに音は聞こえないが、受付には通じているのだという。ほどなくして扉の外からノックとともに声がかかった。
「お呼びでしょうか、お客様」
鶯丸が扉を開けると、従業員の制服を着た女が立っている。
「寝台の下で見つけた」
そう言って子供の亡骸を差し出すと、髪を高い位置で結い上げた女は痛々しげに眉を下げた。
「大変申し訳ございません、清掃の不備でございますね」
鶯丸はやや考えるような間の後に続けた。
「この国に墓地はあるか」
「はい、ございます。明朝、マシンからご案内を差し上げましょうか」
「いや、必要ない。この子がどこの誰かわからんが、弔ってやってくれ」
「かしこまりました」
深々と頭を下げた女のうなじに数字の羅列があるのを光忠は見た。それがなければ人間と区別がつかないだろうと思った。表情のつくり方も声の調子も完璧である。だが、やはり彼女は機械なのだ。受け取った亡骸の襟首を掴み、片手にぶら下げて立ち去った女の後ろ姿が、それを何より物語っていた。
「……理解できたかな?」
「どうだろうな。『弔う』と『処分する』の違いぐらいは知っていてほしいもんだが」
光忠は、資料館から宿に向かう道中で見た廃棄場の光景を思い出す。そこに持ち込まれたものを処分する炉は灰による大気汚染を防ぐために稼働時間を厳しく制限されており、そのために今は焼却が追いついていないのだという。敷地内に築かれた山が更地となるまでにどれだけの月日がかかるのだろうか。干からびた子供も、あの山の一部となってしまうのだろうか。光忠は目を閉じた。それらを確認することなくこの国を去っていく自分たちには、考えても意味のないことだった。
蓋であり底であった板を元に戻そうと再び目をやったとき、その裏側に薄い封筒が貼り付けられていることに気がついた。はがして中を見ると便箋が一枚入っていた。大層乱れた走り書きの筆跡だったが、なんとか読めた。
『この子を見つけてくださった方へ
どうかこの子を助けてください
この子は物心つく歳でなく何も知りません
どうかあなたのもとで生かしてください
この子の名前は……』
いつの間にか隣に立っていた鶯丸が、もうここにはいない子供の名を読み上げた。そうして一言、「ひどい国だな」と言った。
「そうだね」
「生かしたいのなら、争いが絶えない国からは逃げてしまえばよかったものを」
「とは言っても、生まれ育った国を出て行こうなんて思う人、実際そうはいないからね」
「……そうか、そうはいないか」
鶯丸は面白がるように返した。何しろその珍しい選択をした者の筆頭である。今や同じくうつろう者である光忠にも故郷があるように鶯丸にも生まれた国があるはずだったが、彼はそのことをほとんど語らない。
「外が安全とも、生まれた国より住みやすいとも限らない。こんなに色々行き届いた国なら尚更だよ」
「おまえはこの国を住みやすいと思うか?」
「大体のことは機械がやってくれるみたいだし、住みにくくはないんじゃないかな。住みたいとは思わないけどね」
「そうか」
「……鶯丸さん、ここに移住したいの?」
寝台の下に抽斗を戻すと、また大仰な音を立てて収まった。そうして何気ない風を装いながら慎重に尋ねると、鶯丸は本当に何も気に留めない様子で答えた。
「そんなわけないだろう」
「だよね」
鶯丸は探しものをしている。光忠はそれが"物"なのか"者"なのかすら知らないままついていく。気に入る国を見つけたら根を下ろせばいいと鶯丸は言ったが、その日が来ないことを光忠は知っている。
「寝るか」
抽斗を開けたときと同じくらい唐突に鶯丸が言った。とはいえそれは今に始まったことでもないので、光忠もすぐに従った。やはり指先の動きひとつで真っ暗になった部屋で、それぞれの寝台に潜り込む。ついさっきまで棺だった抽斗の上で眠れるのだろうかという考えが頭をよぎったが、今も亡骸があるというならまだしも、終わったことを気にする鶯丸ではないと思い直した。光忠は眼帯を外し、柔らかい枕に頭を預けた。外敵を警戒せずに眠れる夜は久々だった。
朝まで明かりが消えないだろう建物と、どこにでもいる無数の機械と、廃棄場で焼却を待つ国ひとつ分の死体。城壁の中に、旅人を脅かすものは何もなかった。
人の動かない国は停滞する。物も情報も外からは入らず出ていかない。今ここにないものは、きっといつまでもやってこない。つまるところ長居する理由は無いに等しいので、早々に出国することにした。宿の受付には昨夜ふたりを出迎えたのと同じ男が立っている。数字の刻まれた手首が、光忠から後にはもう誰にも渡らないだろう代金を受け取った。硬貨と同じに冷たい指だった。
宿を出たところでふよふよと待っていた球体を引き連れて、通りに面した店で携帯食料を買う。ただ作られて廃棄される日を待つだけの商品たちが、棚から光忠たちを眺めていた。城門へ向かう前に、裏路地をいくらか入ったところの工房然とした建物へ立ち寄る。昨日預けておいた銃を受け取った鶯丸は、やはりこの国ではもう用をなさないであろう金を、球体のいう"国一番のガンスミス"に支払った。機械の手による整備は、人間がするよりも精密であるらしい。刀しか扱えない光忠にはわからなかったが、鶯丸の満足そうな様子からはそれが察せられた。
入国したときとは別の門で球体と別れ、出国手続きをした。審査官は昨日見たものと同じ顔をしていた。
「我が国にお越しいただき、ありがとうございました。またのご来訪を国民一同、心よりお待ちしております」
良い旅を、と見送った"国民"の目に心が宿っているのかどうか、光忠には判じかねた。
城壁の外には石畳の道が延びていた。科学の進んだ国とは全く違う、だが彼らには見慣れた、荒れ地の中の街道だった。光忠と鶯丸が並んで歩いていると、そのうちに周囲には緑が増え、やがて足元は森の中を走る獣道になった。頭上に葉は茂っているが日の光を遮るほどではなく、青い空に時おり鳥の横切るのが見えた。光忠はそれを疎ましいとは思わなかったが、そのさえずりに鶯丸の声がふと止まってしまうことは少しばかり惜しいと思っていた。
「光忠」
数歩先を何羽かのうっすらとした影が通り過ぎたあと、鶯丸が言った。陰りのない空に、鳥の声が遠く聞こえた。
「もし俺の旅が、探すためじゃなく逃げるためのものだとしたらどうする」
光忠は横目で鶯丸の表情を伺ったが、こちらから見える顔は長い前髪で隠れている。だが、きっといつもと変わらないだろうと思った。だから、光忠も同じように答えた。
「別に」
いつも通り鶯丸の真意は掴めないまま、本心で返した。
「どうもしないよ」
そろそろ森も終わろうかという頃、前方に壁が現れた。近付いてみるとそれは巨大な倒木だった。幹は周囲の樹々を圧倒するほどに太く、横倒しになった高さは鶯丸の肩ほどもあった。折れる前には相当の高さがあったらしく、左右を見てもどこまで続くかわからない。
「登った方が早いか」
「先がちゃんとした道ならね」
言うなり光忠は幹に手をかけてよじ登る。立ってみれば踵を下ろしても余裕のある幅だった。光忠は向こうへ続く景色をぐるりと眺め、眼下に断崖絶壁が広がっていないことも確認して振り返る。
「道だね。地割れや通れないような障害はなさそうで、人間を含めて危険な動物も見当たらないよ。ただ、道が二手に分かれていて僕にはどちらが目的地かわからない」
「そうか」
「……お手をどうぞ?」
用心棒の体裁を繕って差し出すと、名目上の雇い主は軽く笑ってその手を取った。控えめな体温が手袋越しに伝わる。彼が登るのを助ける形で引き上げてやると、外套の裾がふわりと浮いた。光忠はそのままもう一度、視線を先の景色へ転じる。そこはほとんど森の出口といっていいところで、いくらも進まないうちに道の周りは丈の短い草むらになるようだった。街道というほど整っていないが獣道より歩きやすそうな道は、地平線の手前で左右に分かれている。その先に何があるのか、ここからは見えない。
「どっちに行くんだい?」
「栄えているのは右に行った国だな。平和で交易商人を多く抱えているらしい。左の国は、まあ田舎だが大きな湖がある。澄んだ水が特産だ」
「わかった、左だね」
「どうしてそう思う?」
「お茶は綺麗な水を使った方が美味しいから」
別に違っていたとしても構わなかった。人の多い国には追手がいるかもしれないからだとしても、もしもの話が本当に仮定で実際は右に進むつもりだとしても、鶯丸の望む旅路があってそこに光忠がついていくことを許されるなら何だってよかった。もしもの話が真実で鶯丸の旅が果ての見えないものだとしても、終わりが来ないというならそれはそれで構わないと思った。
光忠の内を波のようにひたひたと叩くものは、憧憬というには烈しすぎ、思慕というには爛れすぎている。心を灼く熱に近い感情を知ってか知らずか、鶯丸は「賢いな」と笑っただけだった。
「さっきの話だけど」
「ん?」
「鶯丸さんの旅が何のためだっていいよ。それは僕の旅の理由には影響しないから」
光忠は、おもむろに顔を向けた鶯丸の左目を見つめ返す。幾度となく見てきた、心の宿る瞳だ。
「鶯丸さんが言ったんじゃないか、『他人のことなんか気にするな』って。だから僕は僕のしたいようにするし、鶯丸さんは気にしないで行きたいところに僕を連れて行けばいい。どんな理由でどんな道を選んだって僕はついていくよ。そのための用心棒だからね」
光忠を見上げたまま、鶯丸は殊更ゆっくりと瞬きをした。気持ちを探ろうとするようなそれを数度くり返す。そうして吐き出した息には、呆れとも安堵ともとれる響きがあった。
「……頑固だなあ、おまえは」
「今したいことを主張しているだけだよ」
そう言って、鶯丸がよくするように口の端を持ち上げてみせると、彼は少し黙ったあとで「それなら仕方ない」と同じように笑った。
「やりたいように生きるのが一番いいからな」
「だろう?」
光忠は努めて自然に、黒い革で包まれた手を開いた。溶岩に似た想いが冷えて固まる日はきっと来ない。日に日に嵩を増すそれを飲み込み続けるのは、鶯丸の示す生き方に背くことになるだろうか。けれど彼の言葉を免罪符にはしたくなかった。いつか逆巻く溶岩が光忠を押し流したとしても、せめてこの白い指を焦がすことはすまいと思った。
「さしあたっては、ここを降りてどうするかを聞きたいんだけどね」
「とりあえずしばらくは一本道だ。ひとまず道なりに進む。ああ、手頃な枝があったら拾っておいてもいい」
「枝?」
「道が分かれたら立てて、倒れた方に行く」
「……後ろに倒れたら?」
「この森で野宿だな」
「うそ」
「冗談だ」
鶯丸がひらりと身を躍らせたので、光忠もあとを追って飛び下りた。道にはふたり分の足跡がどこまでも続く。頭上遠くを渡る鳥がまた高く、歌うように鳴いた。