食用の花を育ててみたいと思う。実物に触れたことはないけれど、書物で見た砂糖漬けの花はとても美しくて魅力的だった。この本丸で作れたら、可愛いものの好きな乱くんや加州くんが喜びそうだ。雪のような粉砂糖がまぶされた小さな花を口に運ぶ彼らの姿は、きっと童話のようで愛らしいだろう。そのまま食べてもいいけれど、紅茶に浮かべるのもいいかもしれない。ただ緑茶には合わないだろうから、この人にはそのまま出した方がいいかもしれない。
 部屋の外では風が吹いて、散り時を迎えた桜の花びらが一斉に舞う。朝に掃き清めたばかりなのに、この分ではまたすぐに当番を決めなければならなくなる。どれだけあっても食べるには適さない大量の花びら。薄くやわく、力をかければすぐに裂ける。砂糖を塗っても強度は増さないだろうけど、何かそれに似た保存方法はないんだろうか。薄い蝋とか硝子とか。
「光忠」
 そんな益体もないことを取り留めなく考えていたら気付くのが遅れた。受け取った湯呑の中で波打つ淡い緑は、この人の瞳の色によく似ている。
 普段は時間なんて気にしないと言わんばかりの態度で暮らしている人が、こういう時だけは正確に動く。お茶を淹れることにかけて鶯丸さんの右に出る人はいない。時計もないのに、お茶が一番美味しくなる頃合いを正しく見極める。一度どうやっているのかと訊いたら「茶葉の開く音を聞いている」とどこまで本気かわからない顔で言われた。少なくとも僕に聞こえたためしはないのだけれど。
 鶯丸さんは急須を置くと、傍らの菓子皿を取り上げた。黒い皿の上には、一口分には少し大きいくらいのわらび餅が載っている。最近お気に入りの和菓子屋から歌仙くんが取り寄せた、きな粉までこだわったという逸品だ。鶯丸さんはそれを黒文字で半分に割って口へ運ぶ。薄い唇に淡黄色の粉が残る。僕は砂糖漬けの花びらのことを思い出す。種類によっては花の味などほとんどない、砂糖そのものを食べるような味にもなるという。けれど咲いた花は美しいから、味がしなくとも皿の彩りにしたいと思うし、舌に品も何もない甘さしか残らなくとも口にしたいのだ。生きるためには全く必要ないけれど美しいものを己の内に取り込みたいという気持ちは、人間でない僕にも痛いほど心当たりがあった。それはひとたび舌に触れたら最後、味わう暇もなく貪るしかなくなる毒のようなものなのだけれど。
 少しぬるくなった緑茶を飲み干して視線を上げると、鶯丸さんと目が合った。一枚だけの菓子皿はすでに空で、いつもの湯呑と並んで盆の上に置かれている。いつの間に残りの半分を食べて口元の粉を拭ったのか全然わからない。とりあえず倣って湯呑を置くと、鶯丸さんが唐突に言った。
「光忠は欲しいものをもう少し口にした方がいいな」
「え」
 二杯目のお湯注いでこようか、と尋ねるつもりでいた僕は、何の脈絡もない発言に面食らう。鶯丸さんは、ついでに葉も換えてくれというような調子で続ける。
「無いというには視線が雄弁すぎる。まあお前がそれでいいというならいいんだが、自制も過ぎると体に毒だ」
「え、うん、気をつける……?」
 いつも以上に掴みどころのない言葉は、どう答えるのが正解なのか全くわからない。ひとまず無難と思える返事をすると、鶯丸さんは呆れたように笑って僕に手を伸ばす。
「だから口にしろというのに」
 引き寄せられて触れた唇はすぐに離れた。と思うと、ゆるく食まれた下唇に戯れるような強さで歯が立てられる。その跡をなぞるように這った舌先が去ると、僕はようやく掴むところを見つけたような気持ちになった。
「鶯丸さんの『口にする』って、どっちの意味?」
「さあな」
 鶯丸さんはそう言って、掴みかけたつもりでいる僕の手を笑いながら払うのだ。自分は僕の心臓を掴んだままで。
「言っただろう? お前が自分からしないでいいというならそれでもいい。結果は同じだ。過ぎた自制は、俺にだって毒なんだ」
 笑みを含んで落とされる細い声は、砂糖漬けの花よりもひどく甘い。弧を描いた薄い唇は、僕を際限なく高いところまで連れていく。性質の悪い毒だ。麻痺も痙攣も窒息もすべて甘やかなものに変えてしまう。けれどそれをもたらす美しいものがどうしても欲しくて、僕はゆっくりと口を開いた。



***



「(そのうすいくちびると)」  中原中也

 そのうすいくちびると、
 そのほそい声とは
 食べるによろしい。

 薄荷のやうに結晶してはゐないけれど、
 結締組織をしてはゐるけれど、
 食べるによろしい。

 しかし、食べることは誰にも出来るけれど、
 食べだしてからは六ヶ敷(むつかし)い。
 味はふことは六ヶ敷い、……
 黎明(あけぼの)は心を飛翔させ、

 美食をすべてキナくさく思はせ、
 人の愛さへ五月蠅く思はせ、――
 それでもそのうすいくちびるとそのほそい声とは、
 食べるによろしい。――あゝ、よろしい!




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