※本編ストーリー終了後捏造
※燭台切さんはほぼ名前だけ
気が付くと俺は森の中にいた。俺の周囲だけが何故かひらけていて、満月の光が遮られることなく円形の広場じみた空間を照らす。霧にけぶる樹々には緑の葉が瑞々しく茂っているのに、足元には乾いて枯れた葉や枝が散っている。風はなく、暑いとも寒いとも思わない。初めて見たはずなのに不思議と慣れ親しんだような気もする、妙な場所だった。
歴史修正主義者との戦いが終わり、勝利に貢献した付喪神の身の振りは各自に委ねるという通達を受けたとき、人間として転生することを即座に選んだ仲間はそう多くなかった。一時的に人の器を得たとはいえ、曲がりなりにも俺たちは神だった。天上のものとは違って人のすぐ傍にありはしたが、彼らと同じものとして刀よりも遥かに短い生を享受できるかは別の問題だった。俺はこれまで長いこと生きていて、自ら動くこともできず人間の都合に振り回されるばかりの年月にいい加減飽きがきていた。だが次々と移り変わっていく世界の様子はいつまでも飽きずに俺の心を楽しませたから、それを捨て去っておそらく百年にも満たない歴史だけを刻む身になりたいかと訊かれれば素直に頷くことも難しかった。俺は結論を出せないまま、共に戦った奴らが自分の決めた道へ旅立っていくのを何度も見送った。
「僕はひとになりたいな」
光坊がそう言ったとき、そこに残った仲間はもう僅かだった。
「僕たちが守って、彼らが変えたかった歴史。今までの主が足跡を残してきたそれに、僕も飛び込んでみたくなったんだ。物としてじゃなく、ひととしてね。……刀として生きてきたこれまでのことは忘れてしまうだろうけど、それでもどこかで、みんなとまた会えたらいいなって思うよ。生まれ変わったみんなとも、刀のままのみんなとも」
あのときもこんな満月で、風のない夜だった。
樹々の間から光坊がやってくる。樹が途切れるところから先には行けないらしく、広場と森の境で太い幹に隠れるように立っている。最初に見たときはほんの子供だったのに、今は随分背が伸びた。ここには朝が来ない。頭上の満月はいつまでも沈まない。眠りもしない俺に日数での換算は全くできなかったが、人の尺度でいえば十年以上の時間が経っているはずだった。光坊はそれだけの期間ずっと、気まぐれに現れては俺を遠目に見て、しばらくしたら去っていく。
「なあ光坊」
俺の声はどうやっても光坊には届かないらしい。初めて姿を見たときに知った。それでも俺は無言でいたくなくて声を出す。新しい話題は用意できないから昔の話をする。光坊が忘れてしまった過去の話を。
なあ光坊、この話は何度目だったか。きっと一度だって聞こえてないんだろうし、これからも聞こえないんだろう。それは仕方のないことだが、俺たちはいつまでこうしていればいいんだろうな。
俺は確かにあのとき、きみが生まれ変わるならそれをどこかで見守れたらいいと思った。でもそれは決してこんな形じゃなかったし、人間になったきみに付喪神だった頃の思い出なんて必要ないだろう。きみが寿命を迎えるまでこれが続くんだとしたら、それはもう不幸としかいえない。誰かもわからない、話も出来ない男が何年経っても変わらない姿で待っているなんて、どう考えてもまともじゃない。ここに縛りつけられたと気付いたときは何の罰かと思ったが、これは俺じゃなくて光坊への呪いかもしれないな。あるいは魂の行き先を選べなかった俺の心中に付き合わせているだけかもしれない。けれど残念ながら、俺はそれでもいいと思っているんだ。
ここには夜空と月と森しかない。泉も鏡もないから、俺がどんな顔をしているのかもわからない。
なあ、光坊。今の俺は、むかし光坊が懐いてくれた鶴丸国永か? 人を呪い殺す鬼の顔をしていないか? きみには俺がどう見えている?
……ここには風も音もない。
***
「幻影」 中原中也
私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命さうなピエロがひとり棲んでゐて、
それは、紗(しゃ)の服かなんかを着込んで、
そして、月光を浴びてゐるのでした。
ともすると、弱々しげな手付をして、
しきりと 手真似をするのでしたが、
その意味が、つひぞ通じたためしはなく、
あわれげな 思ひをさせるばつかりでした。
手真似につれては、唇(くち)も動かしてゐるのでしたが、
古い影絵でも見てゐるやう――
音はちつともしないのですし、
何を云つてるのかは 分りませんでした。
しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、
眼付ばかりはどこまでも、やさしさうなのでした。