※恋愛感強め
※刀剣破壊ネタ注意
夢を見ていた気がする。意識が飛んでいたとしても数秒程度のはずなのに、随分と長い時間が経ったようだった。
血の臭いに蝉も寄りつかず、夕立の気配もない。ただ暑く、熱いばかりの戦場だった。一面の青に塗り込められた空を見上げていた鶯丸の顔を、白い影が入道雲のように覗き込んだ。動くもののほとんどない荒れ野は不自然なほどに静かだった。その静寂に溶け込むような穏やかさで、鶴丸国永は口を開いた。
「調子はどうだい、鶯の」
地面に転がったままの鶯丸は、ゆっくりと瞬きをひとつして答えた。
「よくは、ないな。……正直、なんでまだ喋れているのか、自分でもわからん」
「刀とひとは違うからってことだろうさ」
鶴丸はその場にどさりと腰を下ろした。それでも彼の声は、鶯丸からすれば空から降ってくるように聞こえる。
「過程は違っても、こうなれば駄目になるという結果は同じ、だがな」
鶴丸は答えなかった。鶯丸は構わずに続けた。
「俺は約束を守ったと思わないか」
「うん?」
「春を告げずに死ぬ。そんな下手は、打たなかっただろう?」
「……そうだな」
鶯丸は過ぎ去った季節のことを思い返す。主と本丸中の刀と共に桜の下で宴をした、ついこの間の春ばかりではない。夏も秋も冬も、すでに何度も迎えていた。顕現してから、季節は幾度も廻った。それだけの時間を過ぎても、戦いはまだ終わっていない。
「だが、次の春を告げる声はもう聞けない」
「その頃には俺がいるだろう」
「きみではない鶯丸が、か」
それに何の意味がある、と言いたげだった。鶯丸はわざとそれには答えなかった。
「もう、余所の本丸にはごまんといるだろうがな。俺ではない鶯丸と、君ではない鶴丸国永が。だが、君に看取ってもらえる俺というものが、そのうちどれだけいるか」
「逆に、きみに看取られる俺というのもどこかにいるんだろうな」
「ああ。どちらがより幸せなのかは、俺にはよくわからんが……次の俺も、最期まで君とともにいられればいいと思う」
「どちらかが折れるときじゃなく、俺たちの役目が終わるときまでであってほしいもんだ」
「そうだな」
鶯丸は今しがた見たはずの夢のことを考える。様々な景色を見た。そこには鶴丸がいたこともあったし、いなかったこともあった。自分がいたことも、そうでなかったことも。今の自分たちが、通り過ぎてきたものに連なる夢のひとつでないと、誰が言えるだろう。そもそも人の器を得ている自分はただの分霊にすぎず、ここで死のうが生き延びて役目を全うしようが、いずれは本霊に吸収される身である。すべては戻らない一瞬であり、目覚めを逃れえないうつつの夢なのだ。そのひとつがここで潰えたとて、波間の泡のように新たな夢が生まれ出でるだけだ。今ここに在る鶯丸が見聞きしたことも、それに揺り動かされた感情も、何ひとつ受け継ぐことなく。
「次の俺は、きっと何も知らない。巧い戦い方も、本丸の間取りも、茶の味も」
「そりゃ大問題だ。そのときは、俺が茶を淹れてやる」
「君が、か。それはそれは……高くつくな」
言い終わるか終らないかのうちに、頭を持ち上げられる感覚がした。視界は白く染まり、肌にはさらさらとした布の感触がある。視線を下に向けると、滴る血が鶴丸の膝を汚していた。先ほどまでよりもずっと近く、耳朶に直接吹き込むように鶴丸の声が囁く。
「なに、鶴らしくしてくれた礼だ。気にするな」
着物の布地は厚く、耳をそばだてても鶴丸の心音は聞こえない。しかし、後頭部を抱き込む手の温度と力強さが、鶴丸の存在の確かさを伝えていた。
鶴丸は生きている。生きて、鶯丸の死にゆくことにその指を、声を、心を震わせている。それは、時のあわいに生まれた束の間の夢にすぎぬ自分が、たまたま手にした僅かな時間のうちに彼へ何かを与えていたことの確かな証だった。鶯丸は深い息をついた。これが幸いでなければ何と呼ぶのだろうか。この鶯丸が慕わしく思うのは目の前の鶴丸国永ただひとりなのだ。彼もまたうたかたの夢であるとしても、目覚めの時はまだ来ない。戦いの終わる日まで続く夢に、生きていく彼の中に、ここにいた自分が存在し続けるのならば、それはきっと。
「……ああ、悪くない、な」
どこからか、時季にそぐわぬ薄桃色の花弁が風に乗ってひらりと舞った。それは地面に広がった血溜まりに落ちると深紅の中に沈み、瞬く間に見えなくなった。