完成したばかりの刀身に審神者が霊力を込めるのを、近侍を仰せつかった鶴丸国永は後ろから見ていた。この本丸では初めて見る刀が出来たと呼ばれ、出向いた鍛錬所でのことである。背後で忙しく片付けなどしていた式神が姿を消した頃、その場の空気が審神者とその手による付喪神にしか知覚できない形で振動した。次の瞬間には、打たれたばかりの刀と審神者の間に、新たな人影があった。その周囲には、刀剣男士とともに顕れる桜の花が散らばっている。
その身は太刀に相応しく、鶴丸と同程度に若い男の見た目をしていた。全身を白で固めた鶴丸と異なり、黒を基調とした服に落ち着いた緑の籠手が色を添えていた。あちらの方が年上であるはずなのに、和服の鶴丸よりもよほど審神者の時代に適応した洋装だった。伏せられていた瞼が上がると、髪と同じく彼の名を象徴する色が覗いた。彼が誰であるかなど、名乗る前から知っていた。ここに来て、刀掛けに寝かされた本体を見たときからわかっていた。そのくらいには、付き合いの長い刀だった。
新しく迎え入れた刀剣男士に、本丸の案内や人間の身体を扱う上での注意といった諸々を行うのは近侍の役割である。あとは宜しくと目配せして鍛錬所を出て行った審神者と代わるようにして男の前に立つ。体格はさほど変わらないようだったが、履物の厚さがあるせいか視線は鶴丸の方がわずかに高い。穏やかだが何かを面白がっているような瞳を見ながら口を開く。
「随分と遅いお出ましじゃないか。美味い道草でも見つけたかい、鶯の」
「さあ、食う口がなかったからわからないな。……しかし、人の身体でも君の身なりは目立つな、鶴丸」
やはり間違えることなく付き合いの長い刀の名を呼んだ鶯丸は、白一色の着物と、おそらくは髪も見やって笑った。鶴丸は黙って肩をすくめる。否定はしないが、柄も鞘も黒い鶯丸からすれば大抵の刀は目立つし、派手と見えるに違いない。全く驚きの足りない評価だ。
「戦場に行けば嫌でも赤く染まって、もっと鶴らしく目立つぜ。らしいといえば、そっちのなりも相当だが……それにしたってのんびりしすぎたな。きみが告げるべきは春だろうに、夏も飛び越えてもう晩秋になっちまう」
「ふむ、秋か。なら君はこれから南へ行くのか。それともここで冬を越すのか?」
「あいにく、鶴は鶴でも俺はひとつ所に留まる性質でね。夏の初めにここへ来て、あとは役目を全うするまで働くだけさ」
鶴丸が言うと、鶯丸はその顔をまじまじと眺めた。凝視といってもいい。
「ん? なんだ?」
「いや、君の口から『働く』なんて言葉が出るとは」
「その言葉、そっくりそのまま返すぜ」
「俺はまだ言ってないだろう」
「言わないままならもっと問題になるところだ」
「梅の季節に間に合った。それで十分とはいかないか?」
「それは出来ない相談だな」
何人か、特にこと主命に関して融通が利くとは言いがたい者の顔を思い浮かべながら答える。鶯丸はさして残念がる風でもなく「そうか」と受け流した。彼にとって、周囲の評価というものは昔から大した関心ごとではないのだ。
「働いた結果、春を待たずに死ぬなんて下手は打つなよ」
「ああ」
「きみを呼ぶまで、主もここの刀たちも相当探した。一期と平野は特にな」
「あいつらもいるのか」
「ああ、俺より少し後に来た。秋の間じゅう、ずっときみを待ってたぜ。部屋の場所は教えてやるから、後で会いに行くといい」
「承知した」
不意に頭上から衝撃を受けた。状況と視覚から判断するに鶯丸の右手が置かれたらしい。と思うと、割に遠慮のない力で撫で回される。
「おいおい、急にどうした?」
「待たせて悪かった」
「言うべき相手は俺じゃないぜ」
「俺の知っているあいつらは、気持ちを同じくしない相手に心情を吐き出すような真似はしない。傷の舐め合いもしないが」
重みが遠のく。やや前のめりになった頭を上げると、鶯丸はやわらかく微笑んだままもう一度、今度は優しく手を乗せた。
「君も待っていてくれたんだろう、鶴丸。だから謝罪と、感謝だ」
そうして今度は、乱した髪を整えていく。この本丸にいる刀剣男士の中で、鶴丸は間違いなく年長の部類に入る。しかし、これではまるで子供扱いだ。確かに、打たれたのは鶴丸の方が後ではあるが。
人の身を得て間もない相手に何もかも見透かされたような言動をされて、己が感じているのは恥ずかしさか口惜しさか。心の中を探ってみても答えは見つけられなかったが、鶯丸の言葉を勘違いと切り捨てることはどうしたって出来なかった。
「……同じ場所で過ごした同士だからな。きみが余所の審神者のもとには居ると聞いたら、待ちもするさ」
「ああ、俺が同じ立場でもそうするだろうな」
「いやいや」
それはない、と鶴丸は言下に否定した。鶯丸を知る者にとってはわかりきった話である。
「きみは俺たちより兄弟を優先するだろ? 一期たちとも話したが、意見が一致しすぎて賭けの対象にもならなかった」
「まあ、確かに大包平は……あぁ、そうか」
鶯丸は言葉を切ると、鍛錬所の扉へ視線を向けた。何かを辿るようにその奥を見て、すぐに戻る。
「ここにも、大包平はいないのか」
「残念ながら、そうだ」
「……そうか」
失望の色がよぎったのは一瞬だった。その表情はすぐにとらえどころのない笑みに変わる。
「今度は俺が待つ番というわけだ」
「思ったより落ち着いてるんだな」
「会えないのは今に始まったことじゃないからな。待つのには慣れている」
さんざん名前を聞かされた大包平という刀を、鶴丸は一度も見たことがなかった。それは皇室という場の特殊性ゆえのことだったが、もしかすると鶯丸はそれ以前にもずっと、兄弟刀に会えないまま過ごしていたのかもしれない。鶴丸たちがここで彼を待っていたよりもずっと長い、ひとの一生の何倍もの時間を。
「だが、次の春までには来てほしいもんだな。大包平は春が好きなんだ。花が咲いているのを人間の目で見たら、きっと喜ぶ」
ついさっき人間の目を得たばかりの男は、声を弾ませてそう言う。鶴丸を映す瞳は若い緑の色であるのに、彼の生きてきた長い時間を内包した不思議な深さを持っていた。だが、彼とてまだ春を見たことがない。ほころぶ梅や萌え出ずる若葉や咲き誇る桜は、その目にどう映るだろうか。
「ま、ここじゃ桜は年中見られるけどな」
鶴丸は手を伸ばし、鶯丸の跳ねた後ろ髪に触れる。戻した指先には、薄桃色の花弁がひとひら挟まっていた。
「そら」
つまんだ指を開くと、瑞祥の名残はすぐに離れる。それは少しのあいだ空中を漂い、傍らに張られた冷却水に音もなく浮かんだ。
→ きみが俺をおいていく、あれは確かに夏だった。