※『リプきたキャラ×好きな曲のSS書く』的なタグで書いたもの
真波山岳×the band apart『Stanley』
※未来設定
真波山岳という、海派なんだか山派なんだかわからないような名前の男は、高一の頃のクラスメイトだった。オレがそいつを思い出すのはいつだって夏だ。特に日付が決まっているわけでもなく、大抵は今日みたいな休日の朝だ。ベッドで怠惰に寝転がるオレを容赦ない日差しが襲う。遮光性のまるでないカーテンは、開けっ放しの窓から入るかすかな風に所在なく揺れている。外からは朝の早い子供の声が聞こえる。今日が何日かは思い出せなかったが、小学生が夏休みの真っ只中なのはすぐにわかった。社会に出て以降、長期休暇というものにはまったく縁がない。大学生の頃のいちいち長い休みはこの前借りで出来ていたような気さえする。そもそも今にして思えば、大学生活自体が長い夏休みのようでもあった。一番"夏休みらしい夏休み"を過ごしたのは高校生の頃だったかもしれない。真波山岳と同じ、箱根学園に通っていた頃だ。
今も昔もオレは理系の科目が苦手だ。大学受験にそれらを使いたくないという理由で、志望校は私立文系と早々に決めていた。進学はするつもりだったが特に真面目な生徒というわけでもなかったから、一番苦手な化学の授業はしょっちゅうサボった。山の中の高校では一時間のサボりで行けるところなんてたかが知れている。人の来ない裏庭、寮に帰る途中にある公園、麓のコンビニ、その程度だ。オレの行き先はいつもコンビニだった。
高一の頃の火曜日は三限が化学、四限が数学という、オレにとっては地獄の流れだったから、二限が終わると校門から続く坂をのろのろ下るのがほとんど毎週のことになっていた。そうすると八割ぐらいの確率で、真波山岳が上ってくるのに出くわした。
すごい速さで坂を上る自転車の男がクラスメイトだと気付いたのは二回目の遭遇でだった。遭遇というかすれ違っただけだが。向こうはまったく気付いていなかった。ハンドルを握っているから他のものが見えていなかったのか、見えていたがそこらの通行人だと思ったのかはわからない。だがオレには真波の顔が見えていたし向こうの顔を認識してもいた。
「真波ー!」
声をかけると、ヤツは見ている方が心配になるような急ブレーキで止まった。そうしてこちらを振り返った顔を見た瞬間に理解した。こいつはオレが誰だかわかっていない、と。
「…………えーと」
「前の席の奴の顔ぐらい覚えとけよ」
「あはは、ごめんごめん。いつも後頭部しか見えてないから」
「おまえプリント回すときだいたい寝てるもんな! いつも席立ってひとつ後ろの奴に渡してんだぞオレは!」
「あ、そうなんだ。どうりで最近、起きたら頭にプリントのっかってることが多いなーって思ってたよ」
「笑いごとじゃねェんだけど」
「こんなとこで何してるの? サボりはまずくない?」
「三限まで遅刻してくる奴に言われたくねーな」
「や、そうじゃなくて、今日の化学は小テストだから絶対出ろって委員長に言われたんだけど」
「マジかよ!? っつーか言われといて遅刻すんなよ!」
「いやぁ、今日も坂が呼んでて」
「意味わかんねぇし!」
さすがに小テスト欠席だと単位が危うい。来た道を慌てて引き返す。真波も自転車を降りてついてきた。白い自転車はそもそも二人乗りが出来るつくりではなかったが、先に行くことだって出来たのに、妙なところで律儀な奴だった。小テストの終了には間に合ったが、当然大幅な遅刻だったので二人そろって怒られた。ついでにテストの結果も、二人そろってなかなか酷かった。
そんなことがあってから、オレと真波は話をするようになった。といっても、真波は遅刻してきたり休み時間まるまる寝ていたりしたし、オレもオレでもっと仲の良い奴らが別にいたから、教室で話すことはあまりなかった。それからすぐに席替えがあって、プリントを回す手間に文句を言うこともなくなっていた。オレたちが話すのはもっぱら火曜日の三限、坂の途中ですれ違うついでか、遅刻がひどいときは四限、コンビニから戻るときに追いついてきたあいつと坂を上るときだった。それはいつだってそんなに長い時間ではなかったし、大した話はしなかったと思う。そもそも高校生の会話が"大したもの"であることなんてほとんどないだろう。けれど場をつなぐ話題はそこそこあったし、真波と喋るのは楽しかった。
高一の頃の話だ。学年が上がるとオレと真波は別のクラスになったし、火曜の三限は化学じゃなくなった。自宅生の真波とは寮で会うこともなかったから、あっという間に疎遠になった。あれだけ喋っていたのに連絡先を知らないことに気付いたのは、ずいぶん経ってからだった。
家を出るついでに玄関の新聞受けを覗くと、ガス代の請求書が突っ込まれていた。大学生になって一人暮らしを始めて、就職を機にこのアパートへ引っ越した。最近は年賀状もメールで済ませるから、かつての同級生は今の住所を知らない。真波だってそうだ。オレも真波が今どこに住んでいるかを知らない。きっと、これからも知ることはない。たった一年同じクラスにいただけのオレたちの縁は、いまや見えないくらいに希薄だ。高校生の頃の、たった一年。高校生なんてみんな馬鹿なものだ。一日の大半を同じ場所で同じ面子と過ごして、それがいつまでも続くと思っていた。友人と知人の違いなんて、ろくに意識もしなかった。社会に出てみれば、それがいかに特殊なことだったか骨身に沁みて理解した。上司、同僚、取引先。深く話す時間もない顔見知りばかりが増えていく中で、オレは真波のことを思い出す。たった一度の夏、コースが近場だからと見に行ったインターハイのことを。オレは自転車のことは未だに何一つ知らないが、あいつが凄いことだけは知っている。
インターハイのあと、あいつはひどく落ち込んでいた。競技のことを知らないオレには何も言えなかった。あいつはオレには推し量れないものを背負って、オレには想像しきれないことで打ちのめされて、オレの知らないところで立ち直った。オレが真波の悩みにしてやれることなんて何もなかったし、真波がオレに何かしてくれたこともなかった。でもそんなのは当然のことだった。
オレたちの間には高校生の頃のたった一年、それも週に一度、一時間にも満たない程度の関わりしかない。真波は興味のないものにはとことん記憶の領域を割かないタイプだから、オレのことなんてとっくに忘れているだろう。
あの頃のオレたちは、あとから考えればちっぽけなことで世界が終わるかのように悩んだり、将来のことを考えれば何の足しにもならないようなことでひたすらに時間を浪費したり、たやすく消えてしまうものを永遠だと勘違いしたりしていた。真波との関わりは一年で途絶えてしまって、それから何の音沙汰もない。けれど、オレにとって真波はあの頃から今に至るまでずっと友達なのだ。今も付き合いがある奴らとはまったく違うベクトルだが、それでも懐かしさとともに思い出せる友達だ。
高校を卒業して十年近く経っても、オレは夏の風とともに真波のことを思い出す。もう会うことはない気はするが、あの夏の日に垣間見たあいつの物語の続きは見られるような気がしている。だからオレはこの時期になると、自転車レース特集の載った雑誌をついつい買ってしまうのだ。