二月も半ばのこの時期、新開のもとには大量のチョコレートが集まる。兄と同じく大食漢の彼にとってはあっという間に食べきれる量だが、曲がりなりにもアスリートである手前、一度に摂取するのははばかられた。自然、部屋の隅に積んだ箱を何日もかけて消費することになる。彼がふだん寮でも部室でもかじっているパワーバーは、この時期だけ小さなチョコレートに変わるのだった。
 新開は中が小さく区切られた箱からチョコレートを取り出す。彼の手元にあるのは、すべてロゴ入りの包装紙に守られた既製品だ。手作りのものは受け取らない。そのルールはもう学園中に広まっており、昨年はともかく今年になってそれを破ろうという者はいなかった。
 新開はチョコレートを口に含む。彼に渡される箱や袋は色も大きさも様々だったが、開けてみればやはりというべきか、申し合わせたようにハート型の塊が多く含まれていた。オーソドックスな焦げ茶色や白はもちろん、苺のピンクや抹茶の緑、コーヒーのライトブラウンなどもあった。これは鮮やかな赤だ。噛み砕く。真っ赤で甘ったるい小さなハート。心臓が本当はこんな風にかわいらしい形ではないことは誰だって知っている。恋だとか愛だとかそもそもの心だとか、そういうものだって本当は実物の心臓と同じくらいにいびつでグロテスクなものに違いない。
 新開はチョコレートを飲み込んだ。舌の上にはフランボワーズの味が残っている。本物の心臓からも空想上の愛からも程遠いだろうその味は、人間の生み出すあらゆる体液からはさらに遠かった。機械や職人の手で形作られたように美しいハートなど、人の心にも内臓にも存在しないのだ。
 不意に左肩がずしりと重くなった。背後から顎をのせてきた葦木場の視線は、ローテーブルの上の箱に注がれている。新開はこちらを向かない相手の頬を見つめた。人の心にも内臓にも存在しない美しい形が、その皮膚の上にある。精密な機械や熟練の職人の力を一切受けずにそれが刻まれる確率はどれくらいなのだろう。その持ち主と出会う確率は? 肌を合わせる確率は?
「今年もいっぱいもらったの、悠人」
「それなりに」
「去年もそう言ってたよ」
 去年、つまりは寮にいた頃のことを思い出したのか、葦木場は笑った。
「葦木場さんも食べます?」
「悠人がもらったものでしょ」
「オレがもらったものなんだから、どうしようと自由です。それとも、食べずに腐らせた方がいいですか」
「食べる」
「どれにします?」
「それ」
「どれ」
「丸いやつ」
 新開はトリュフチョコを取り出して葦木場の口元へ持っていく。渡したところで受け取らないのはわかっていた。彼の両腕は起き上がってきたときから新開の腰に回されている。鳥の給餌のように新開の指先を受け入れた葦木場は黙々と咀嚼し、きちんと飲み込んでから言った。
「甘い」
「チョコですからね」
「半端に食べたら余計におなかすいた」
「じゃあこっち」
 箱の半分を占めるスペースで重なっていた板状のチョコレートを一枚取り上げた。例に漏れずハート型をしているそれを真ん中で割って差し出す。葦木場が大人しく食べるのを見ながら、残り半分を口にする。
「半分だけ?」
「同じもの食べたら、いつかオレと葦木場さんのどっか一部が同じものでできるなって」
「同じ箱に入ってるチョコだったら、半分ずつでも一枚ずつでも成分は一緒じゃない?」
「こういうのはロマンが大事なんですよ」
 そのために彼の部屋まで持ってきたようなものだった。さらにもう一枚、同じように割ったチョコレートを突きつけると葦木場はまた同じように食べた。半分に割れたハート。それがいつか葦木場や新開を構成する何千億か何兆分の一になる。その数字がどれだけ小さいものなのか、新開には想像できなかった。それを考えることはきっと、彼らが肌を合わせなかったり出会わなかったり葦木場の皮膚にこの美しい形のしるしが刻まれなかったりした可能性を思うのと同じくらい無意味だった。
「ラスト」
 最後の一枚も同じように割って差し出した。葦木場も同じように歯で受け取った。瞬く間に腹の中に消える薄っぺらいハートの片割れ。本物は半分どころか欠片さえ預けられないことを知りながら、新開は紛い物の心に歯を立てる。すべて砕いて飲み込んだら、彼の完璧な形のほくろに口づけようと思った。
 いびつでグロテスクな心臓まで届くような、美しいキスがしたかった。




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