※葦木場版ワンドロ&ワンライ投稿作品:お題「めがね」



 体育の授業で眼鏡を壊した。避けきれなかったボールが眼鏡のつるに当たってレンズにひびを入れたのだ。右側のレンズはもう使い物にならない。眼鏡なしでも自転車に乗れないことはないが、道の状態どころかサイコンの表示もおぼつかないのでは練習についていけるはずもなく、何より周りに迷惑だ。大人しく、山を下りてふもとの眼鏡屋へ行くため今日の部活を休む旨を、主将となった泉田さんに伝えることにした。
 階段を上り、二年生の部室が並ぶ廊下に出る。上級生の教室へ行くことは普段ほとんどないので、つくりは一年生のフロアと変わらないはずなのになんとなく緊張する。といっても眼鏡なしではあまりよく見えないのだが。
 各教室の扉の上部から廊下に向けてせり出しているプレートを凝視しながら歩いていると、中から出てきた人に思いっきり激突してしまった。クラスの確認に注意を向けすぎたらしい。
「あ、ごめんね」
「いえ、す、すみません……あ」
 ぶつかった目線は相手の肩あたりで、顎の先さえ視界に入らない。よく見えなくても、そんな先輩はひとりしか知らなかった。
「葦木場さん」
「え?」
 見上げると、ぼやけてはいたがそこにいたのはやっぱり葦木場さんだった。先輩はこちらに正面から向き直って「えーと」と言葉を探す様子を見せた。次に何を言われるかはそれでだいたい予想がついた。
「ごめん、誰?」
 ほら。
「一年の高田城です」
「たかだじょう」
 完璧にひらがなに聞こえる発音で復唱したあと、何かに思い至ったような調子で言った。
「自転車部にもいるよ、高田城。そっちはメガネだけど」
「その高田城です」
「えっ」
 葦木場さんは心底驚いた顔をした、と思う。そういう声だった。
「なんで? メガネは!?」
「ちょっと壊れたんで、今日の放課後」
「メガネは顔の一部なのに!?」
「いや、えーと」
 やりづらい。どう説明したものかと思案していると、
「何をしているんだ、葦木場。廊下の真ん中で」
 葦木場さんの後ろから聞こえたのは紛れもなく目当ての声だった。救いの神にでも会ったかのような気持ちでそちらを覗き込む。
「泉田さん!」
「うん? あぁ」
「一年の高田城です!」
「ああ」
「メガネの方の高田城だよ」
「そうだな、うちに高田城はそのひとりしかいないな」
 葦木場さんの言葉を軽く受け流した泉田さんに事情を説明する。主将は持参した現物に「これはひどいな」と苦笑して、部活を休む許可をくれた。
「そういうわけだ、葦木場。今日のA班はひとり少ないからそのつもりで」
「うん」
「一年の取りまとめは村上に任せるといい。走りながら適宜指示してやってくれ」
「葦木場ー、そろそろ移動しないと授業始まるぞー」
「あぁ、うん。……ごめん、オレ村上の顔知らない」
「スタート前に教える」
「ありがと」
 そう言うと、葦木場さんはクラスメイトらしい人に続いて去っていった。大きな背が階段の方へ消えたのを見届けて尋ねる。
「泉田さん」
「何かな?」
「村上はそんなに存在感がないでしょうか」
「そうなんだろうね。あくまで葦木場から見れば、だけど」
 葦木場さんはひとのことを覚えない。いや、覚えはするが顔と名前を一致させることが極端に苦手なのだ。一年生に至っては、レギュラーの真波と体格が近くて気に入られているらしい銅橋の他に覚えられている者がいるかも怪しいとさえ言われていた。だから、さっき名乗ったときの反応は正直いって意外だった。
「……ボクのことはメガネ程度には認識してくれていたようですが」
「それは覚えているだろう」
 泉田さんがあまりにも当然だという風に返すので、思わずまじまじとその顔を見つめてしまった。この距離ならさすがによく見える。泉田さんはくすりと微笑んだ。気のせいでなければ、どこか嬉しそうに。
「おまえはついてきただろう、ファンライドで。ボクと新開さんが出るまで。教えてくれたのはユキだけど、あの場には葦木場もいたはずだ」
 そうだ。結局あのあとすぐに千切られてしまったけれど、確かに束の間、次のインターハイメンバーと目される面々と肩を並べて走ったのだ。黒田さんは「いいガッツだ」と褒めてくれた。そう、葦木場さんの隣で。
「真波以外でボクたちについてくる一年がいるとは思っていなかった。誇っていいぞ」
「あ、ありがとうございます」
「それに葦木場。彼はああ見えて、自転車乗りに関してはボクより厳しい」
「え?」
「悪気はないんだろうが、強いと思った相手のことしかちゃんと覚えないんだ」
 だから誇っていいぞ、と泉田さんは繰り返した。
「おまえはうちのエースのおめがねにかなった、ということさ」




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