※11月11日に書いた例のアレ
「ゲームしましょう」
部屋に入るなり突きつけた赤い箱を見て「なんの?」と言うほど、今日の葦木場さんは鈍くなかった。
「あー、そういえば今日やたらくれるなぁと思ったけど」
「えっ」
聞き捨てならない言葉に自然と勢いが増す。
「くれるって誰が? 女子が!?」
「うん。クラスの子」
「もらったの!? オレというものがありながらっ」
「だって一本だよ? 断る方が不自然じゃない?」
葦木場さんは、こういうときばかり常識人の顔をする。
「まさか、断れないからってオレより先に」
「やるわけないでしょ」
「なんで今日そんなに反応早いんすか。せめて最後まで言わせてください」
「リテイク?」
まさかのテイクツー。妙なワンクッションを置かれたせいで語気はだいぶ削がれてしまった。
「……まさか、断れないからってオレより先に女の子とこのゲームやったんですか」
「やるわけないでしょ、悠人というものがありながら」
……こういうときばかり、オレより一枚上手の顔をする。
「じゃあ、オレがやりましょうって言ったらやってくれます?」
「もちろん」
プレッツェルの端をかりかりと小刻みに噛みながら葦木場さんの顔が近づいてくる。向かい合って座ると、立っているときよりはマシだけどやっぱり身長差がすごい。オレが上体をこれ以上のばすのにはどうしても無理があって、必然的に葦木場さんが下りてくるのを待つ形になる。チョコがかかっている方を差し出してしまったから、オレがくわえている方は大した味がしない。手持ちならぬ舌持ち無沙汰だ。新しい。たぶん今後一生使わない。そんなことを考えるくらいにはやることがなく、葦木場さんの進みはゆっくりだった。
思えばこんなに時間をかけて顔を近づけるなんて初めてのような気がする。オレはここぞとばかりに色素の薄い目を見つめた。ガラス玉のような目だ。ふだん下から見上げられるばかりの瞳は、そのとき映しているものによって微妙に色が違う。頭上に広がる空や山に生い茂る緑を映した瞳はとても綺麗なのに、このひと自身にはそれが見えない。もったいないと思う。とっても。
あとひとくち、ふたくちで唇が触れる、というところで葦木場さんの動きが止まった。と思うと、ぱきりとひとつ音を立てて離れていった。
「え」
思わず声を上げると、葦木場さんは困ったように笑った。
「これ、どこまでやればいいの」
オレは仕方なく、残されたプレッツェルを噛み砕いてから言った。
「どこまでって、最後までですよ」
そして、開封済みの袋からもう一本引き出す。
「テイクツー、いきましょう」
今度はさっきより退屈しなかった。くわえる側を逆にしたので口内は甘い味で満ちている。オレは伏せられた瞼とそれを縁取る長いまつ毛、そしてその下にある瞳をしげしげと眺めた。チョコを映した焦げ茶色の虹彩が、時々ちらりとオレを見る。そうすると常に目が合うことをどう思っているのか、表情からは読み取れなかった。とりあえず、近づくのをやめるほど嫌がられているわけでないことは確かだ。
横から入っていた照明の光の白が消える。近い。逆光を背負って葦木場さんがオレを見ている。吸い込まれそうな目。そんな陳腐な表現しか浮かばない。薄く赤色の差したガラス玉。
……このひとは、自分が最も美しい瞬間を知らない。
床についていた手を持ち上げて、葦木場さんの首に回す。もうほとんど残っていないプレッツェルを口の中に引き込みながら、後頭部を抱き寄せる。唇がすでに軽く開いているので舌を入れるのも簡単で良い。そのまま後ろに倒れ込んだけれど、次の瞬間には身体を引き離されてしまう。横目で見やるとオレの顔の両脇に葦木場さんの手がある。はたから見ればオレが押し倒されている構図なのに、どう見ても焦っているのは葦木場さんの方だった。
「わっ、ちょっと、悠人」
離れたその瞳にまた違う色が混ざる。薄い茶色は床か、それともすぐそこにあるベッドの脚か。どちらにしても不純物だ。何か言おうとするのを制してもう一度引き寄せる。オレの目を映したそれが赤一色になったのを確認して笑った。
「今は、オレだけ見てて」
葦木場さんはそうしてるときが一番綺麗だ。