※未来捏造・成人済
「もう真波くん、きょう飲みすぎだよ」
「そんなことないよお。オレまだ酔ってなーいー」
嘘だ、と思う。お酒に弱い自覚のあるボクはいつも一杯程度にとどめているのだけど、それは必然的に酔いつぶれた人の介抱役が回ってくることを意味している。その経験が、酔っている人ほど「酔っていない」と主張するものだということを告げていた。
居酒屋の喧騒に耳をそばだてると、奥の個室に陣取っていた団体客が解散するところのようだった。ボクたちも、といっても二人しかいないけど、もうお開きにした方がいいかなぁ、と思っていると、真波くんがにこにこと声をかけてきた。やっぱり酔っぱらっている笑顔だ。
「ねーねー坂道くんー」
「うん?」
「坂道くんってさあ、彼女いるの?」
予想外の質問に、口に含んでいたウーロン茶を吹き出すところだった。
「彼女じゃなくても、好きな人とかー」
「え、あ、ごめん、ボクちょっとトイレ行ってくるね!」
「? うん」
思わず逃げてしまった。
好きな人だとか彼女だとか、そういうのはボクたちの間では不可侵の話題だった。それをやすやすと越えてくるのだから、酔った勢いというのは恐ろしい。
トイレで用を足したあと、手を洗いながら考える。好きな人、あるいは彼女。真波くんにはいるんだろうか。いるんだろうな、あんなにカッコいいんだし。でも、それならば尚更、さっきの質問に答えるわけにはいかなかった。昔から嘘をついてもすぐにバレる性質だからきっとごまかせない。
考えているうちにドアがノックされて、代わりの話題も思いつかないままそこを出るしかなくなった。が、その心配はすぐに杞憂に終わる。二人がけの席に戻ると、真波くんは授業中に居眠りするのと同じようにテーブルへ突っ伏して寝息を立てていた。
「真波くん」
呼びかけても起きる気配はない。枕がわりにしている重ねた腕に触れて軽く揺さぶる。起きない。
時計を見るとだいぶ遅い時間だった。真波くんが使う路線の終電はボクの帰りのものよりも早い。正確には把握していないけれど、そろそろ出ないと危ない気がする。
と、真波くんの手が動いた。何かを探すようにさまよう指先がボクのそれに触れた。と思うとすぐさま握りこまれる。まるで赤ん坊のような行動だけれど、握る力はずっと強い。痛くはないけれど簡単に抜け出すことはできない。それはそのまま、もうずっとボクの心を掴み続けているのと同じ力加減だった。
真波くんのことが好きだった。高校生の頃にきざした気持ちは、同じ大学に入って一緒にペダルを回したり、一人暮らし同士で食事やら飲みやらをともにしたりしている間に、しっかりと根を張ってしまった。花を咲かせるどころか、葉の一枚すら見せてはいけない想いだというのに。
そう、踏み越えてはいけないのだ。どれだけ仲良くなったと思っても、部屋に泊めることも泊まることも避けてきた。夜が明けるまで二人でいて、気持ちを隠し通せる自信がなかったからだ。どうしたってボクは臆病だ。服や手袋ごしでなければ触れることもできないほど。
けれど今、真波くんはボクの肌に触れている。その部分だけが妙に熱い。そこから気持ちが流れ出してすべて伝わってしまうような気がする。
これ以上は駄目だと頭の奥から声がする。それでもボクの手は真波くんを振りほどけない。彼を家に帰すには早く起こさないといけないのに。
ボクはどうしたらいいんだろう。どう、したいんだろう。目を閉じてゆっくりと息を吸った。それを吐き出して目を開けたら、次の行動を決めるのだ。
のんびりとはしていられない。なるべく早く、そう、たとえば、あと十秒で。