※知念くんが上京して社会人になった未来設定
東京と沖縄の差異に関する諸報告
1.うちなータイムは通用しないということ
鳴り響く目覚まし時計を手探りで止める。左手で掴んだそれを引き寄せると、文字盤は午前六時を指していた。この時間にアラームを設定しているのも朝はその音で起きるのも数年前からの習慣なのだが、未だにいちいち確認してしまう。顔をしかめたまま知念はベッドから這い出した。
ラグも何も敷いていないフローリングの冷たさが足の裏に沁みる。洗面所で顔を洗い、戻るついでに台所でヤカンを火にかけ、トースターにパンを突っ込んでスイッチを入れた。沸騰を待つ間にインスタントのコーヒーフィルターをマグカップにセットし、部屋に戻ってクローゼットを開ける。就職してからほぼ毎日繰り返している流れ作業は、もはや半分寝ていてもこなせるだろう。
知念は大学に入ってコーヒーを愛飲するようになった。味そのものではなく、連日のレポートや実験で鈍った脳を覚醒させるカフェインの働きを求めてのことだ。進学先に選んだ東京は、彼の目と頭が自然に覚めるのを待ってくれるほど悠長な土地ではなかった。
沖縄と東京では時間に対する感覚が大いに異なること、しかも世の大勢からすれば沖縄の方が異質らしいことを知ったのも大学生の時だ。沖縄では予定時刻などあってないようなものだった。待ち合わせには遅刻が当たり前であり、特にひどい者は集合時刻に家を出ることさえある。それでもさほど咎められることもない。沖縄とはそういう土地だったのだ。
しかし東京は違う。指定された時間はすなわち全員が揃っていなければならない時刻であり、遅刻すれば非難される。就職して社会に出れば尚更その傾向は強まった。かつて「自由」の度を越した寄り道癖で周囲を困らせた友人にはまず耐えられないだろう仕組みだが、幸いにして知念は元からそれほどルーズなわけでもなく、内地の感覚はそういうものなのだと受け止めている。そうでなければ、毎朝決まった時間に起きて始業に間に合うように家を出る生活になど順応できるわけがない。
時計の針に支配される日々にももうすっかり慣れた。それと同じだけ馴染んだスーツに着替えて台所に出ると、これまた慣れきったタイミングでヤカンが笛に似た音を立てる。火を止めてフィルターに湯を注ぎ、黒い液体となってカップにある程度落ちるのを待って再度注ぎ足す。カップを十分に満たすと、ヤカンをコンロの上に戻した。中に残っているらしい湯が、衝撃で音を立てる。ちゃぷん、というそれに知念は眉をひそめながらトーストを皿に移した。
朝は一秒でさえ貴重なのだから、飲むのは一杯だけだ。そう決めてから数年経つが、未だに沸かした湯がきっちりカップ一杯でおさまったためしがない。
2.年に一度か二度は雪が降るということ
「知念さん、失礼します」
始業から三十分もしないうちに、斜め後ろから声を掛けられた。誰に対しても丁寧語で話す上司の手には、何枚かの書類を挟んだクリアファイルがある。
「ちょっとお願いしたいことがあるんですけど」
「はい」
急な仕事が発生するのは珍しいことではない。問題はそれが厄介なものでないかどうかだ。
「この企画書を英語に起こしてもらえますか? 営業が明日の会議で使いたいそうなので、今日中に」
そこまで無茶な量ではないな、とファイルの厚さからあたりをつけた。あとはその内容が変に珍しい用語を多用したものでないことを願う。承諾の意を返しながら受け取ると、上司が知念の右手に目を留めた。
「どうしたんですか、それ」
視線の先には、親指の下から手首まで貼られたガーゼがある。知念は曖昧な笑みを浮かべて答えた。これも標準語と同様、社会に出て覚えたスキルの一つだ。
「ちょっと転びまして」
「雪のせいですか?」
「ええ、まあ」
三日前に雪が降った。東京でも年に一、二度はあることだが、二十歳近くまで雪を見たことのなかった知念にとっては何年経っても珍しい。そして雪のある道にも慣れていない。足首まで沈むほど雪が積もることは滅多にないが、踏めば跡が残る程度にはうっすらと残る路面を歩くのはなかなか気を張る作業だ。昼に溶けた分が夜の冷えでまた凍る。そうして磨き上げられた箇所に足を置いてしまった時はなおのこと慎重になる。卓越したバランス感覚をもつ友人とは違い、多少足が滑っても持ち直せるようには出来ていない。
「うちの近所は日当たりが悪くて」
「知念さんの実家って沖縄でしたっけ」
「そうです」
「雪の上を歩くのは慣れないと大変でしょう」
こっちは除雪車も走ってませんからねえ、と苦笑する上司の出身地が日本海沿いだったことは覚えているが、それが東北だったか北陸だったかが思い出せない。地理が苦手で、本州の都道府県の位置関係を正しく把握できていないのは中学時代から変わっていなかった。
3.見える飛行機が小さいということ
長時間パソコンと向き合っていると目が疲れる。英字が並ぶ画面から視線を上げて窓の外を見ると、飛行機が晴れた空を悠然と横切っていくところだった。窓枠に区切られた空は狭く、過ぎていく旅客機は遠く小さい。地の果てで海と同化するような広い空と、金網の向こうで頻繁に離着陸していた武骨な機体とは何もかもが違う。知念はもう沖縄の砂浜を駆ける何の肩書きもない子どもではなく、東京のオフィスで企画書を英訳する会社員になっていた。
大学では化学を学んだ。就職先にもそれを活かせる企業を選んだが、産業翻訳という仕事に身を落ち着けたのには、米軍基地が林立する町で生まれ育ったことも無関係ではない。進学を機に離れても結局のところ知念は沖縄の人間であり、あの土地が彼に与えたものを無視することなど到底できないのだ。
いつか沖縄に戻るかもしれない、と言ったのは最も付き合いの長い幼馴染だった。その話をした成人式の時もおそらく今も彼の祖母は健在だが、いよいよの時は最期を看取るため沖縄に帰るだろう。その様は容易に想像でき、また彼が語ったことでもある。それからも故郷に留まるか、再び東京に戻るのかはまだわからない、とも言っていた。
それでは自分はどうだろう。知念も自身の行く先がまだわからずにいる。実家の母や祖父から戻ってこいと言われたことはない。だが、それは彼の意思を重んじてのことか、言わずとも彼の将来などわかりきっているということなのか。
今は内地にいたとしても、最後には帰ってくるだろう、だってお前はこの島で生まれたのだから。
おそらく、沖縄に生まれ育った者でなければこの感情は理解できないだろう。少なくとも、他の土地で生まれて東京にやってきた大学の友人たちにはこの手の葛藤はないように思えた。
それは、自分たちが内地の者でない「外」の民だからだろうか。どれだけ時間が経ち、こちらの暮らしに慣れたとしても、内に入ることはいつまでもないのだと半ば確信している。
それでも、知念が今いる場所から見上げた空は、あの島の何もかもを凝縮したような深い青とはどうしても違う薄い色を頭上に広げていた。
4.食事の量が少なくて済むということ
悩もうが楽しもうが、とかく一人暮らしには金がかかる。家賃に電気にガスに水道に携帯料金。限られた給料からこれらを支払ったうえで生活するのだ。削れるところは削りたいし、その「削れるところ」に食費が入るのもよくあることだろう。
幸運なことに、知念は子どもの頃から母親の代わりに家事をしていたので人並みに料理ができる。そして身長の割に食が細い。要するに、最低限の食料で自炊生活をするために必要な条件を元から満たしているのだ。実際、彼の家計簿における食への支出額はかなり抑えられている。もしも彼に、故郷で家業を継いだ友人と同じ毎食おかわりの習慣があったとしたら、とてもこうはならなかっただろう。
とはいえ、さすがに毎晩自炊とはいかない。会社員である以上、残業も飲み会もある。どうにも疲れて料理などする気力も湧かない時だってある。まして遅くまで開いている店に行けばいつでも食べられる状態のものが買えるのだから、易きに流れるのも仕方がない。
今どきスーパーで手に入らないものの方が珍しいんじゃないか、と思いながら、棚に並んだ缶詰のひとつを取ってカートに入れた。一人分の食料や日用品と一緒に会計を済ませて家路につく。
知念の住むアパートはスーパーから歩いて五分程度、駅からも徒歩十五分圏内にある。都心の主要な駅までは乗り換えが必須なので、最寄の路線にはあまり人気がない。しかしその分家賃は安く、何より職場へは電車一本で行けるため、知念はこの立地が気に入っている。難があるとすれば、アパート近くの路地が密集した建物の陰になっていて日当たりが悪いことくらいだ。三日経ってもまだ雪が解けきっていない。近所の誰かが雪かきをしたのか、道の端に白い塊が寄せられている。
アパートと隣家の境に建っている塀の下にも、同じように雪が小さな丘を作っていた。その塀の上に器用に座っていた一匹の猫が、知念に気付いて飛び下りる。雪のない部分に着地するのがまた器用だ。猫はそのまま地面に腰を据えてじっとしている。見透かされている気分になりながら、手にしたビニール袋から缶詰を取り出した。プルタブを引いて置いてやると、むしゃむしゃとかぶりつく。「高級猫缶」の表示は嘘ではなかったらしい。
視線を移したアパートの外壁には「野良猫にえさをあげないでください」の張り紙があった。部屋を借りている身としては見るたびに大家に対して申し訳ない気持ちになるのだが、反面うまく言いくるめられないかと思ってしまう。このアパートはペット不可だから部屋に入れないで放し飼いにしているのだ、とかなんとか。
「マヤー」
猫、と呼んでいる。相手とはここ数日の付き合いで、名前を付ける暇も必要性もなかったのだ。それでペット扱いはさすがに無理があるだろうか。しかし、東京生まれの大家に沖縄の言葉の意味がわかるとは思えない。なんとか通らないだろうか。
「もし『ならん』ってあびらりたらまじゅんうちなーんかいけーるかやー」(もし『駄目』って言われたら一緒に沖縄に帰るか)
なんとなく言ってみただけだが、口に出してみると存外いい案に思えた。沖縄は道も広いし車もあまり通らない。少なくとも、二日前のようにいきなり道へ飛び出して轢かれかけるという事態にはなかなか陥らないだろう。
実家の家族も猫好きなので、否定的な反応はしないはずだ。連れてきたのが結婚相手でなく猫であることに驚きはするかもしれないが。その様子を想像して口元をほころばせた知念を見て、猫は首を傾げる。そして、轢かれそうになった体を抱き上げた右手を思い切り引っ掻いたことなど忘れたように鳴いた。
なぁご。