「すまん、財前!」
部室へ足を踏み入れて早々に頭を下げられた。状況に理解が追いつかない。とはいえ端からはいつもと変わらないようにしか見えないだろう俺の様子に、謙也さんはなぜか焦ったらしい。右手に持った何かを落ち着きなく差し出した。
「このCD、お前のやろ? ケースにヒビ入れてもうてん」
「あ」
プラスチックの中に収まったディスク。レーベル面のタイトルには見覚えがある。確かに俺が昨日買ったそれだ。
「なんで持ってるんすか。俺ロッカーに入れといたはずですけど」
「お前の戸締まりが甘いっちゅー話や。アレ強く閉めんと勝手に開くやんか」
「ロッカー開いてたら中のもの取るんすか。うわー謙也さん最低っすわー」
「ちゃうわ! 自分わかってて言うてるやろ!」
「謙也さんが盗ろうとしたわけやないのはわかりますけど他の事情は全然すわ」
「なら茶化さずに話させろや!」
「それは俺の趣味なんで無理っすわ。ちゅーか最初に逸れたの謙也さんとちゃいますか」
「……せやな……」
ツッコミを諦めたらしい謙也さんが話すところによると、俺のロッカーから落ちたと思われるCDを誰かが救出したものの、それが置かれた椅子に運悪く謙也さんが腰掛けてしまったということだった。
「椅子に置いたん誰ですかね。机にしてくれれば良かったんに」
「気にしてもしゃあないやろ。そいつのせいやないし」
「座面も確認せず座ったんは誰ですかね」
「俺やで」
すまんな、財前。そう続けた謙也さんの声がやけに力なかったのは、俺が好きなバンドのCDをやたら大事に扱うことを知っているからだろうか。そうするのは本当に一握りで、他は結構ぞんざいに扱っているのだが。
「別にええですわ」
「は?」
「そこまで興味あるバンドでもなかったんで」
「けど、お前の物に傷つけてもうたんは事実やし……」
「ええですって」
謙也さんの手からCDケースを取って辺りを見回すと、やはり昨日見たジャケット写真が机の上にあった。わざわざ歌詞カードを抜いてまで傷の有無を調べたのだろう。自分が座ろうとする椅子の上はろくに見ないくせに、変なところはマメで律儀な人なのだ。
「どうしてもって言うなら」
謙也さんに視線を戻すと、金のボタンが目に入った。そういえば、謙也さんが部活の後に制服で残っているのは珍しい。みんなで遊びに行く時以外は、着替え終わったらさっさと帰る人だ。
「謙也さんの家とは逆方向ですけど、甘味処できたの知ってます?」
「へ? あー、なんやオカンがそんなこと言うとったな」
「あそこ本店は京都なんすけど、白玉ぜんざいがめっちゃ美味いって評判なんすわ。けどうちみたいな一般家庭が中学生に与える小遣いやと若干負担が」
「言うとくけど俺かて一般家庭の小遣いしか貰てへんからな」
「……なら割り勘でええですわ。俺も半分出します」
「聞こえたで舌打ち」
細かい予定はメールで決めることにすると、謙也さんは慌ただしく帰っていった。夕飯の買い物を頼まれているという足音はすぐに遠ざかる。俺しかいない部室はさっきまでが嘘のように静かだ。
机の上の歌詞カードをケースに戻す。小さく横一文字に入ったヒビは、ジャケット写真の白い部分とちょうど重なった。ほとんど目立たない傷でも、CDの価値は随分と下がるらしい。手に取って近くで見てようやく気付く程度だというのに。
「男ふたりで甘味処って。そこツッコまないとか、あの人ほんまアホっすわ」
デートか、とかなんとか言って断る隙をあげているのに気付かない謙也さんは相変わらず抜けていて、ヒビの大きさからすれば理不尽だと思う要求なのに受け入れてしまう謙也さんはどこまでも優しい。
ケースの傷のせいで叩き売られていた中古CDは、聴く前から値段以上の仕事をしてくれたようだ。