「は〜、すっごくドキドキしました〜!」
夜の森に快活な声が響く。月のない、鳥も虫も眠りについた静かな夜だ。
舞草は葉佩の目配せに「あッ」とわずかに声量を抑え、けれどなおも楽しげに話し続ける。彼らの後ろでそれを聞きながら、取手は頬を掠めようとする枝を避けた。
「夜の冒険って楽しいですね〜! ちっちゃい頃に出来なかったことを今やってるって感じです。いきなりお墓に呼び出された時はどうなることかと思いましたけど!」
「うん、それはごめん」
しだれた葉の下をくぐると、視界は一気にひらけた。舗装された歩道が、前方と左側の二手に分かれて伸びている。街灯の点々と並ぶ、學園内の見慣れた道だ。
「あッ、あたしはこっちで。それじゃあ、また誘ってくださいね〜!」
店に顔を出すという舞草と別れ、寮へ通じる道を進む。軽やかな足音がだいぶ遠くなった頃、葉佩が口を開いた。
「弾薬とか補充したらもう一回行くから、またついてきてくれる?」
「もちろん。……舞草さんはいいのかい?」
「うん、やめとく。『タイゾーちゃん』のこと気に入ってるみたいだし。それに、甲太郎もきょう怒ってたから。肥後のところに連れて行かなかったら、後でどやされる」
等間隔に現れる光の輪を辿るように歩く。森の中とは違い、道を見失う心配はもうない。「それで」と葉佩がゴーグルを外しながら続けた。
「どうだった? 奈々子さん。ちゃんと喋るの、今日が初めてだったでしょ。……あれ、喋った? よね?」
「多少は」
あまり内容のある話はしていない。彼女の言葉は賑やかな独り言が多く、そうでないときは葉佩がすぐに拾った。それで困ることも特になかった。
「君達は元気だから、ふたりで話していると僕の入る余地がない」
「それ、言葉通りなのか遠回しの『うるさい』なのか、判断に困るな」
「言葉通りの意味だよ」
とはいえ、それでは「どう」の答えになっていないことに気付き、改めて言い足す。
「元気な人だ。マミーズで働いている時もそうだったけれど、普段からああなんだね」
「目立つよね、奈々子さん。看板娘ってやつかな」
「うん。……それと、見ていて姉さんのことを思い出したよ」
「へえ?」
興味をひかれたらしい視線が、取手をちらりと見上げてきた。
「詳しく聞きたいな。これまで鎌治の話に出てきてた姉さん像とはかなり違う気がする」
「あ、うん。それはそうなんだけど……」
続ける言葉に迷う。外見も言動も、特に似ているというわけではない。葉佩がもう一度、促すように取手を見た。
「暗闇の部屋に入った時、舞草さんが大きな声で大丈夫だって言っただろう?」
「言ってたね。『あたしがついてますからね』って、すっごい震えた声で」
視界のきかない闇に、息をひそめる敵の気配だけがはっきりと感じられた。そんな中で、彼女が声を張り上げたのだ。ひどく震え、ところどころ上ずって裏返る高い声。
取手はわずかに微笑んだ。その目は先程の遺跡ではなく、もっと古い記憶を映す。
「小さい頃、家族でショッピングモールに行ったとき、親とはぐれて迷子になってしまったんだ。……怖かったよ。広くて知らない場所で、通り過ぎていく大人たちはあまりにも大きくて」
「鎌治よりも?」
「小学校に上がる前の話だよ」
軽口をいなし、折れかけた話の腰を戻す。空調のきいた暖かい通路、つるつるした白い床、ひとつひとつは判別できない声から成るざわめき。今でもはっきりと覚えている。
「そうやって怯えていた僕を、一緒にはぐれた姉さんは励ましてくれた。『私がいるから大丈夫』って、ぎゅっと手を繋いで」
その手の温もりがあれば、ずっとふたりきりでも生きていけるような気がした。実際には、ほどなくして慌てた様子の両親が戻ってきたのだけれど。
「後になって気付いたよ。そのときの姉さんの声と握ってくれた手が、少し震えていたことに」
「なるほどね」
葉佩が小さく笑った。感傷を打ち払うような調子で言う。
「確かに奈々子さんだ」
「……怖がっても、誰も責めやしないのに」
「年上ってそうしたくなるもんじゃない?」
葉佩はこともなげに言った。どこまで一般的なものと考えていいのかはわからなかったが、施設で大勢の子供たちと共に育った彼の言葉には、それなりの説得力があるように思えた。
「鎌治だって、部活の後輩とかの前ならそうするんじゃないかな。もしくは、俺の探索に下級生がついてきてたら」
取手は沈黙したまま葉佩を見つめた。その状況に置かれた時、本当に自分はそんな行動に出るだろうか。考えても、葉佩のような自信は持てそうになかった。
「そうかな」
「そうだよ」
ぽつりと呟くと静かに、けれど確信めいた声で返される。夜の先で、蛍光灯に照らされた寮の入口がぼんやりと見え始めていた。