バレンタインだから、と差し出されたのは何の変哲もない板チョコだった。包装も飾りもなく、年がら年中売っているやつだ。
「色気も何もあったもんじゃないな」
別に菓子会社の陰謀に乗ってほしいわけじゃないが、バレンタインにかこつけるにはそれらしさがなさすぎる。渡された場所が真昼間の食堂な時点で今さらかもしれないが。向かいの取手は表情を変えないまま小さく首を傾げた。
「だって、皆守君は結局カレーの隠し味にするだろう?」
「……よくわかってるじゃないか」
「君の体の八割はカレーで出来ているからね」
「まだ言ってんのか、それ」
去年の終わりに學園中をさんざん引っかき回していなくなった《転校生》が、今は無くなった遺跡を歩きながら言ったことだ。正確には「甲ちゃんの体はカレーが八割、あとは周りのパンとライスが一割ずつ」らしい。そんなわけあるかと俺は呆れたが、取手には何か気に入るものがあったのか、九ちゃんとふたり揃うとその言い回しがよく蒸し返された。
話題は多少それたが、つまりどんなチョコレートを渡しても鍋に放り込むなら見た目にこだわる意味はないと言いたいらしい。取手はロマンチストのようでいて、妙なところで合理主義だ。そして変なタイミングで弱気になる。
「ごめん、迷惑なら持って帰るけど……」
「そうは言ってないだろ」
テーブルに置かれたそれを引き寄せると、あからさまに安心した顔をする。前から思ってるが変わった奴だ。女でも九ちゃんでもなく俺を選んだあたりが特に。
「こちら、お食事はお済みですか?」
店員が皿を下げている間はなんとなく無言になる。学ランの内側に隠した板チョコを否が応でも意識する羽目になり、それを持ってきた目の前の奴にも考えが及ぶ。
ベッドの中では女側に回っているとはいえ、取手だって男だ。仮にも恋人という肩書のつく相手がいながら今日この日に何もないというのは、さすがに少し酷な気がする。
この手のイベントに興味がないならまだしも、向こうは多少なりと乗っかってきた。そうなると、こちらも何かしてやらないと悪いように思えてくる。愛想も素っ気もない板チョコだって、俺がもっとも有意義な使い方をするのを見越して取手なりに気を遣ったんだろう。決して、考えるのが面倒で適当に安いのを買ったわけじゃない、はずだ。
「……取手」
「うん」
「夕飯時になったら俺の部屋まで来られるか?」
「えッ、うん、いいけど……」
どうして、と目が言っている。俺は学ランの内側を指した。
「これからコイツを使ったカレーを作る。出来たら食わせてやるよ」
三年生はもう自由登校だから出るべき授業もない。今から仕込めば夜には間に合う。思いつきにしては悪くない話だ。
俺達は同じ鍋のカレーを食い、その中に溶けた隠し味を分かち合う。腹の中に収まったそれは、やがて同じように血肉になる。取手の寄越したものと俺の作ったものが混ざり合い、互いの身体の一部になる。そう考えれば、それなりにうまい提案だろう。取手は合理主義なところもあるが、根本的にはロマンチストだ。
「……うん」
正直、その意図がどこまで伝わったのかはよくわからなかった。わからなかったが、頷いた取手は嬉しそうだった。
「楽しみにしてるよ」
それなら、まァ、いいか。