同じ高校生とは思えないふたりの大人っぽい後ろ姿が見えなくなると、あたしは体ごと振り返った。どう見ても高校生の制服と見慣れない仮面の友達に抗議の声を上げる。
「も〜ッ、ひどいよ九チャン!」
「ごめんごめん」
口元しか見えないけど、へらへらと笑って九チャンは言った。全ッ然謝る気ない。「何が?」とか聞かないってことは、あたしが怒るだけのことしたって自覚はあるんだろうだけど。
「断ったらすんなり諦めてくれるかと思ったんだけど、まさかやっちーを連れて行くとは……」
「ホントだよッ! あたし無理だって言ったのに!」
――じゃあいいわ。そっちの可愛いお嬢さんと行くから。
双樹サン――とは名乗らなかったけど絶対そう――に手を引かれて広間の真ん中へ連れ出されるあたしを、九チャンは止めもせずに見送った。元はといえば九チャンがお誘いを断ったからなのに。
「まあまあ。一応ダンスフロアも見てたけど、そこそこちゃんと踊れてたよ」
「そういう問題じゃなくて〜……」
「俺が見てないとこで嫌なことされた?」
「それもない、けどォ……」
双樹サンは優しかった。リードしてくれたおかげで何もわからないあたしも多少はそれらしく踊れたし、最後には「筋がいいわね」とも言ってくれた。けど、それとこれとは別で、黙って送り出されたときのなんだか見捨てられたような、生贄にでもされたような、そういう腹立たしさはまだある。まあ、ちょっとだけで、別にそこまで本気で怒ってるわけじゃないけど。そこまでわかってるのかどうかも曖昧に、九チャンは「だろうね」とだけ言った。
「だろうね、って何?」
「阿門も双樹も、そういう小さい嫌がらせはしないだろうなってこと。ってか、建前上はお互い見知らぬ相手だし」
仮面をつけている間は誰が誰だかわからない。それがこの夜会のルールで、立場も確執も忘れるための配慮だって聞いた。最初は正直ピンとこなかったけど、九チャンと《生徒会》のふたりとのやり取りを見たら、そんなルールが必要な理由もなんとなくわかった気がした。
「知らない相手っていうんなら、九チャンが踊ったってよかったじゃない。なにも断らなくてもさ」
あんな綺麗な人から誘われてたんだし。でも九チャンはルイ先生が美人だって話にもあんまり食いついてこなかったから、やっぱり他の人とは価値観が違うのかもしれない。恋愛話に興味なさそうっていうか、お宝が最優先っていうか。
そんな風に考えていると、ぽんと放り出すような声が落ちてきた。
「鎌治の前で?」
「えッ?」
なんで取手クンが出てくるんだろ。
聞き返したら、ちょっと驚いたみたいだった。独り言のつもりだったなら聞こえないふりしてた方が良かったかな。そう思っている間に、九チャンの口元はにっこりと笑った。いつも通りの顔に見えたけど、一瞬の間が空いたせいか、何かとってつけたような雰囲気がした。
「俺たちがいるからって気合入れてたのに、ふたりともダンスに必死で聴いてないってなったら悪いだろ」
「それは、そうかもしれないけど……」
双樹サンが九チャンと踊ったところで、阿門クンはあたしを誘ったりしないんじゃないかなあ。……それはそれで、ふたりを待ってるのが気まずすぎて演奏を聴く余裕なんてなかったかも。
それにしても、とあたしは気付かれないように注意深く九チャンを観察した。さっきからどことなく違和感がある。ほんの少しだけど、そう感じるときは大体なにかあるんだって、秘密の多い九チャンとの数ヶ月の付き合いでもうわかってる。
「……まあ、鎌治の方は、そうなったって気にしないだろうけどさ」
だから、気がついちゃったんだ。普段通りに聞こえるその声に寂しさが混ざってることに。
でもどうして? そう考えて、夜会に来てすぐに取手クンが声をかけてくれた時のことを思い出す。
――迷惑、だったかい?
――そんなわけないじゃん! 俺だってわかってくれたの、すげー嬉しい。もー、大好き鎌治。
――ふふ、君は本当に面白い人だな。
カチリと何かのピースがはまったような気がして、あたしは首だけ振り向いてフロアを見た。ダンスの終わった今は、みんな思い思いの場所で立ち話をしたり周りのテーブルの食事をつまんだりしている。そのさらに奥には、大きくて立派なグランドピアノがある。数分前まで取手クンが座ってた場所。そこが九チャンの立ってた位置からよく見えるのは、偶然?
――あたしと踊ってくださらない?
――悪いけど、俺けっこう身持ち固いんで。
――鎌治の前で?
ねえ、九チャンが踊りを断った理由、わかっちゃったかもしれないよ。さっき「一応」フロアも見てたって言ってたけど、本当はずっとどこを見てたの?
ピアノの周りにはもう誰もいない。辺りを見回しても制服の子ばかりで、背の高いタキシード姿はどこにも見当たらなかった。本当にピアノを弾くためだけに来てたみたい。演奏する前と同じように、こっちに来てくれればよかったのに。取手クンにかけたい言葉が、きっと九チャンにはあったから。
「九チャン、あのさ――」
「あ、そうだ。さっき向こうのテーブルに新しいケーキ補充されてたよ。食べに行こう、やっちー」
取手クンと話さなくていいの? いま追いかけたらまだ間に合うんじゃない?
そう言いたかったけど、隣をすり抜けて広間を突っ切ろうとする九チャンに遮られた。明らかにごまかすためのその動きは、まるであたしが口を出していいことじゃないって言ってるみたいだった。それでも、振り向いた仮面の奥の目は優しいままだったから、あたしは大人しく頷いた。とりあえず、恋愛話に興味なさそうって評価は間違ってたな、と思いながら。