「お菓子ちょうだい」
部屋に入って早々、何の脈絡もなく発された言葉に取手は面食らったが、それに続いた「くれないと悪戯するよ」で今日の日付とともに理解した。
「こういうのって、貰う側は仮装をするものだと思っていたけど」
「してるよ? 『普通の高校生』の仮装」
「それは……そうだね。遺跡にいる時の君が、本当の姿なんだろうね」
たまたま高校の敷地内にあった《秘宝》を探すのに都合がいいからそうしているだけで、本来なら学生と机を並べて授業を受ける必要もない身の上だ。試験勉強に追われることも、マミーズで食事をすることも、葉佩の人生には予定されていなかったことなのだろう。
いつか彼がこの學園を離れ、あるべき姿に戻るまでの僅かな時間であっても、それを共にできる偶然は取手にとって奇跡にも等しかった。すべてが嘘に基づいた日々だとしても、取手は葉佩の力になりたかったし、望みを叶えてやりたかった。が、この現状については何も想定していなかった。準備も何もしていない以上、ありのままで返すしかない。
「ごめんよ。特に用意はしていないんだけれど……のど飴でよければ」
冬が近付いてきたせいか、ここ数日は空気の乾燥がひどかったので買っておいたものだ。紙に包まれたそれを差し出すと、葉佩は大げさに肩を落とした。
「あるんだ……」
「えっ、駄目だったかい……?」
「鎌治からお菓子もらうのはすごい嬉しい……。けど悪戯もしたい……」
「ええと……」
どうやら本気で言っているらしい。取手は返答に困る。正直なところ葉佩のすることならまったく構わないのだが、「やります」と宣言されて同意したらそれはもう悪戯とは呼ばないのではないだろうか。考えている間に、存外あっけらかんとした声音で「まあいいか」と言われた。葉佩は普段から気持ちの切り替えが早い。
「ありがと、貰うね」
受け取った包みを開いてさっそく口に放り込む。と、ほどなくして拗ねたように眉を寄せた。
「うわ、全然甘くない」
言葉の合間に、口の中で飴の転がる音が小さく聞こえる。
「のど飴だからね」
「味より効能を重視するタイプか……」
「はっちゃんだって、よくわからない生き物の触手を何もつけずに食べたりするだろう?」
「遺跡ではそうだけどさぁ」
取り留めのない話は切れ目もなく続く。葉佩の隣で過ごす時間はいつだって心地がいい。そうして、声の中にかろかろと響く音が聞こえなくなった頃、不意に袖を軽く引かれた。
「ね、鎌治」
ふたりしかいないのに声をひそめる必要がどこにあるのだろう。そう思いながらもつられて身体をそちらに傾けると、髪をかき分けて露出した耳に直接息を吹きかけられた。
「ッ…………!?」
弱いところを完全に不意打ちされ、声もなく身悶える。なに、と目で問うたのは伝わったらしく、いかにも機嫌よさそうに「悪戯」と答えが返ってきた。追撃を防ぐべく耳をおさえ、震える声を絞り出す。
「あげたじゃないか……!」
「そうなんだけど、やっぱ悪戯もしたいなぁって」
「そんな……」
理不尽だ。ハロウィンの風習もルールもあったものじゃない。抗議の気持ちを視線に込めると、葉佩は眉を下げて困ったように笑った。
「ごめんね。でも、俺は欲張りなんだよ。鎌治も知ってるでしょ」
知っている。したいことはなんでもするし、欲しいものは何があっても諦めない。葉佩の瞳に宿る光の根底にあるものはその意志だ。取手を惹きつけてやまないその強さに背中を押された身としては、そう言われたら引き下がるしかない。それに、この理不尽が本心から嫌なわけでもないのだ。
おずおずと耳から手を離すと、葉佩は嬉しそうに抱きついてきた。はたから見れば許しを得た犬のようで、実情もほとんどそう言って差し支えなかった。
「ねえ、鎌治」
耳元で声がする。取手の肩に顎を乗せた葉佩の顔は見えない。その背に腕を回すと、抱きしめる力がより強くなった。「信じてもらえるかわかんないけどさ」と、どこか真剣さを増して言う。
「鎌治といる時の俺も、本当の俺だよ」
「……うん」
そうやって一番欲しい言葉をくれるのが、どんな悪戯よりも性質が悪かった。
「わかってるよ、はっちゃん」