「九サマ、その配合でいきますの?」
「え、駄目?」
「駄目じゃありませんけどォ……、でも、こちらは少し減らした方が、炎の色が綺麗に見えると思いますゥ」
「うーん……威力としてはどう?」
安全が確保されている井戸の前で、葉佩と椎名が爆薬の調合を試みている。井戸はなぜか葉佩の部屋と繋がっているらしく、材料に困ることはないようだった。爆発物のエキスパートである椎名ほど化学の知識のない取手は、口を挟まず扉の傍で見守っている。
耳をすませると、壁の向こうから低い稼働音が微かに聞こえた。外の回廊に囲まれた巨大な柱が発するものだ。何のためにあるのか、どういう仕組みで動いているのかもわからない機械が、この区域にはいくつもあった。おそらく現代の技術では到底追いつけない代物なのだろう。遥か古の時代にあったもの。遺跡の内部を進んでも、まだその全容が見えたわけではない。だが、断片だけ見てもそこから察せられる技術はあまりにも高度だ。それを自由に操っていたであろう古代の人間のことを考えると時おり空恐ろしい気持ちになる。
遺跡を徘徊するヒトを模した敵の声に、取手は様々な感情を聴いた。苦悶、憎悪、悲嘆、憤怒、怨嗟。ネガティブな感情ばかりを発するあの敵たちが、この遺跡から自然に生まれたとは思えなかった。いや、仮にそうだったとしても、この遺跡そのものを作り上げたのは人間なのだ。その中で蠢く不自然な生命もまた、人間によって生み出されたと考えていいはずだ。
壁の向こうとこちらの気温は大差ないはずなのに、扉の隙間を冷気がすり抜けてくる気がした。この区域には悲哀の気配が色濃く漂っている。それは、各所を守るつぎはぎの兵も同じだった。「何か」によって無理やりに繋がれ、動かされる苦しみと痛み、そして悲しみ。
かつて、音楽と人の心は似ていると姉は説いた。それは決して暗い曲ばかりではない。だが、取手が彼らの断末魔から聞き取れたのは、ひたすらに昏い感情のみだった。世を恨み呪う重苦しい音を吐き続けるものたちが憐れに思え、それを作り出したものたちをおぞましいと思った。遥か未来を生きる自分たちが、彼らと同じ生き物だったとしても。
「鎌治」
不意に名前を呼ばれ、はっと顔を上げると葉佩がこちらを見ていた。爆薬は無事に完成したらしい。
「入ってから結構経ってるし、先に進む前になんか食べない? 俺作るよ」
「あ……うん。ありがとう」
「鎌治はやっぱオムレツかなー。リカはキャラメル?」
「まあッ、意地悪。確かにキャラメルは好きですけど、九サマのお料理なら話は別でしてよ」
「お、嬉しいね〜。んじゃ、良い卵使ってオムレツ三人分作っちゃおっかな。ちょっと待っててね」
そう言って、葉佩は井戸の中で揺らいで見える空間に手を差し入れた。料理が出来上がるまで、取手たちに手伝えることは特にない。手持ち無沙汰になった椎名が、それでも上機嫌で取手の足下まで歩いてくる。
「九サマの作るお料理って、とっても美味しくて、なんだか幸せの味がしますの。取手クンも、そう思いませんこと?」
「……うん、そうだね。僕も、そう思うよ」
遠い昔にこの遺跡を作り上げた古代人と現代の人間が大差ない生き物だったとしても、自分たちが生み出すのは悲しいものばかりではない。取手がピアノを弾くように、誰もがその言葉や行動で優しく明るい曲を奏でることができる。そして、葉佩はその力がとりわけ強いのだろう。彼の振る舞いが光を生み出し、それがこの遺跡を照らしていく。きっといつかは、誰も辿り着いたことのない奥深くまで。取手は迷いなくそう信じ、その時を彼の傍で見たいと思った。その日が来るまで、彼の助けになれる自分でありたいと。
外の稼働音は絶えず唸り続けている。だが、心を凍えさせるような冷気はもう感じられなかった。井戸からの淡い光に照らされた葉佩の背中に視線を向ける。彼の手元からは、あたたかく懐かしい匂いがしはじめていた。