※『〇〇するまで出られない部屋』スロットで出た結果の産物
『ひとりで見つめ合うまで出られない部屋』
壁に貼られた紙を前に、取手と葉佩は揃って首を捻った。見つめ「合う」には他者の存在が前提となる。ひとりでどうしろというのか。
「……矛盾してないかい?」
「謎解きならよくあることだけどねえ」
石造りの壁と床。部屋の中には、いくつか長方形や正方形の台座じみた岩が点在している。大きさと位置関係だけでいえば、ベッドとテーブルセットを備えたホテルの一室と見えないこともなかった。そう捉えるには、家具のひとつひとつがあまりにも武骨で角ばりすぎていたが。そして、背後には開かない扉。遺跡の中で、もう歩き慣れた通路に突如として現れた見慣れない扉をくぐった先がこれだった。入った途端にロックされ、室内には砂と岩と謎の文言が書かれた紙しかない。敵がいないのは幸いだったが、それが脱出の手助けになるわけでもない。もともと深くまで探索するつもりがなかった葉佩に同行しているのは取手だけで、外から助けが来ることも期待できなかった。
「とりあえず、この部屋を調べてみよっか。何かあるかもしれないし」
手分けして室内をあれこれ検分したが、手掛かりになりそうなものもそうでないものも見つからなかった。水や食料といったものも当然なかったため、紙に書かれた条件が達成できなければ餓え渇いて死ぬということだけがわかった。取手は眉根を寄せて隣の恋人を呼んだ。
「……どうしようか、はっちゃん?」
「うーん、鏡とかあればなって思ったんだけど、ないかー。じゃあやっぱアレだな」
「えっ、ひょっとして、もう出る方法に見当がついているのかい?」
「多分? これで駄目だったらどうしようって感じだけど。ってことで、鎌治ちょっと座ってくれる?」
促され、近くにあった長方形の岩に腰かけた。高さもベッドに似ていて、立ったままの葉佩に見下ろされる形になる。彼はゴーグルを外してアサルトベストに突っ込むと、そのまま両手を伸ばして取手の顔を支えるように添えた。そのまま顎を持ち上げられる。いかにもこれからキスをするといわんばかりの角度だった。それは数えきれないほどしてきたが、間違いなく今はそのタイミングではない。
「は、はっちゃん……!?」
「まずね」
葉佩の声も顔も至って真面目だった。日ごろ遺跡で彼が素顔を晒すことはまずないので、石の壁を背景にしてそれを見ていることにどこか不思議な心持ちがする。
「この部屋には鏡がなくて、水も手頃な金属もない。ついでに俺が今持ってる武器は鞭とメイスとハンドガン。つまり、自分の顔を反射させるものが手元にないってこと。となると、残された手段はただひとつ。相手の目に映る自分と見つめ合うしかない。……と、俺は思うわけ」
「そう、だね……」
確かに、現状で打てる手はそれしかないように思えた。それで開くなら謎解きでもなんでもないが、遺跡の罠に何か言うだけ無駄だというのは今までの経験で嫌というほど知っている。
「俺より鎌治の目の方が黒いから映りやすいと思うんだよね。だから俺が見る。鎌治はこのままじっとしてて」
「う、うん」
釣り込まれるように首肯しかけて、顎下を押さえられているので出来ないことに気付く。それでも言葉で承諾したのを受けてか、取手をまっすぐ見据えたまま葉佩が顔を寄せてくる。強い視線だ。眼光鋭いというわけでもないのに射抜かれそうになる。気恥ずかしさに思わず目を逸らせば、たしなめる声で名前を呼ばれる。
「駄目だよ、鎌治。黒目動かしちゃ」
「ご、ごめん……」
「今さら恥ずかしがることでもないと思うけどなあ」
これまで過ごしてきた夜のことを指して言ったのだろうが、取手からすればそれとこれとは全く別物だ。葉佩とのキスもセックスも沢山してきたが、いつも何かに急かされるように目まぐるしく、こんなにじっくりと見つめ合うことは今までなかった。今もなお正面からぶれることなく向けられる視線に、どうしても頬が熱くなる。言葉に詰まって目を伏せると、葉佩は悪戯っぽく笑った。
「鎌治。鎌治も俺のこと、ちゃんと見て」
そう言われれば従ってしまうのだから、葉佩の声には何か不思議な力があると取手は思う。誰も認めなくても、取手にだけは効く力が。
躊躇いがちに視線を戻す。葉佩は満足したように頷き、再びゆっくりと顔を近付ける。遠くからは黒としか見えない虹彩が茶褐色になる。鼻先が触れ合う。耳元で心臓の音がする。唇までも重なりそうな距離だ。葉佩がこんなにも近くに、そして長身の取手が彼を見上げる形でいる状況は限られている。身体が思い出そうとする記憶は今この場には相応しくないもので、紛らわせるために指先を握り込む。そこに触れるベッドもシーツもなく、自分の掌に爪を立てるだけになった。
「っ、は、」
葉佩の視力は取手よりも良いはずだったが、どれだけ近付けば瞳に映る影を見つけてくれるのだろう。顔が熱い。もう呼吸の仕方さえ忘れてしまいそうだった。瞳の中央で、ひときわ小さな黒い瞳孔が取手を捉えている。そこにうっすらと浮かぶ白い影を見出したとき、うるさいほどの鼓動の向こうで、小さく軽い金属音が聞こえた。
「はっちゃん、今、そこで鍵の開く音が」
「え、本当!?」
足早に扉へ駆け寄った葉佩が力を籠めると、重そうな音を立てながらも抵抗なく開いた。
「よかったー……」
心底ほっとしたように呟いた葉佩は、すぐに気を取り直して部屋をきょろきょろと見回した。罠を解除したことで他に変化が起きていないかを探っていたらしい。だが、目に見える範囲での変化はなく、何かしらの秘宝が出てくることも当然なかった。
「結局なんのための部屋なのかはわかんないけど、無事に開いたんだから良しってことにしよう、うん」
「そうだね……」
「じゃ、何もないしさっさと出ようか。……鎌治? 大丈夫?」
「えっ……?」
未だ腰かけたままで葉佩をぼんやりと見ていた取手は、忙しなく目を瞬かせた。どくどくと音を立てていた心臓を落ち着かせたくてじっとしていたとは言えない。
「あ、うん。平気だよ」
「そう?」
じゃり、と足音を立てて葉佩が近付く。取手が立ち上がるよりも早く、先程と同じように両頬を包まれた。今度は一気に顔を寄せられる。唇が、近い。
「したくなっちゃった?」
笑いを含んだ声音。引きかけた熱が戻ってくる。喉まで灼かれたようで、答えた声はひどくかすれていた。
「……うん」
「俺も」
落とされた声には、取手と同じ熱が宿っているように思えた。だが、それとは裏腹に彼の身体はあっさりと離れていく。え、と取手は思わず息を漏らした。その様を見て、葉佩はまた笑う。
「でも、ここは……何もないけど、監視されてるみたいで嫌だな。だから、早く出て俺の部屋行こ。ね?」
その声に、どうして逆らえるだろう。手を引かれて立ち上がる。普段より熱い掌に導かれるまま、開け放された扉から見慣れた通路へと出て行く。葉佩も取手も、もう石造りの部屋を見向きもしなかった。